第四章「希望」③

「アーシャ!」


 落ちていく相棒を追って、俺も飛び降りる。

 幸い下の方はまだ闇に侵蝕されていない。


「《ゾオン》《停止ゼルプ》!」


 真言マルナを唱えてアーシャの周りの重力を止める。

 そのまま手頃な枝に着地させるが、何か様子がおかしい。

 すぐに立ち上がって前へ進むかと思いきや、アーシャは恐る恐ると言った様子で手で周囲を探り、一向に立ち上がろうとしない。


「おい、どうし……」


 隣に着地した俺を見上げるその顔に、思わず息を飲んだ。


「目、やられたのか?」


 痛々しい一文字傷が彼女の顔を横断していた。


「あぁ、すまない。今全然見えないんだ」


 いつもは海のように美しい紺碧の瞳も今は真っ赤に染まり、血涙が絶えず流れている。


「だけど、行かなきゃ」


 恐る恐る立ち上がるも、足を滑らせて落ちそうになるアーシャ。

 咄嗟に、俺はその腕を掴んだ。

 そのまま横抱きに彼女を抱え、《力》の魔法で漆黒分身ダークアバターと枝の攻撃を回避する。


「そんな状態じゃ無理だ。

 お前の回復力なら、じきに見えるようになる。それまで待とう」


「ダメだ、今は一分一秒が惜しい。

 こうしてる間にも、ナターシャのところへ行く道がどんどん失われていく。

 敵も、増えていく」

 

 アーシャの言うことももっともだった。

 今こうしている間にも、漆黒分身と枝の猛攻を俺達は受けている。

 無差別にばら撒かれる種子が枝に当たって弾け、闇が次々と活動できる空間を奪っていく。

 せめて俺の魔力を送ることができればアーシャの回復ももっと早くなるのだろうが、余力も少ないし敵の猛攻を躱しながらではそれも難しい。


「頼む! 行かせてくれ、ロア!

 ここまで来たんだ。ここまで、来たんじゃないか!」


 血涙を流しながら、アーシャは懇願する。

 俺だって、できることなら行かせてやりたい。

 だが、こんな状態で戦ったところで勝てるわけがない。


「くそ……」


 逃げ惑っている間に、四方を……いや、四方どころではない、上も下も、漆黒分身に囲まれた。

 ジリジリと迫る漆黒分身を牽制しながら、次に飛び移れる場所を探す。

 この大群を超えた先、敵の数が比較的少ない場所がある。

《力》の真言を唱え、そこを目指して跳躍するも、足を枝に貫かれた。


「ぐぁ!」

 咄嗟に《火》の魔法で枝を焼き払い、アーシャを庇って背中から落ちる。

 態勢を崩した刹那、漆黒分身が一斉に襲いかかってきた。

 

 打つ手無し。

 万事休す。

 

 なんとかアーシャだけでも守ろうと体を丸めた、そのときだった。


「破ァっ!」


 鈍い風切り音と同時に錆と火薬の臭いが鼻をくすぐった。

 同時にけたたましい剣撃音と爆音。

 何かと打ち合った漆黒分身が吹っ飛ばされ、ぼとぼとと枝から落ちていく。


「遅くなってすまなかった、二人とも」


 俺達の前に立っていたのは、巨大な戦斧を握った筋骨隆々の獣人――砂龍狩りのロロ。


「立て直しに時間がかかってな。有志を募ったつもりだったが、動ける奴ら全員来た」


 後方を顎で示すロロ。

 その先を見やれば、生き残った男衆達が枝の上で戦っている。

 腕に自信がある者は漆黒分身を止め、それ以外の者は伸びようとする枝を切り払い……総勢八百人くらいだろうか。枝の上を器用に走り回り、後ろから来る敵を抑えてくれている。

 更に、


「《ヴォルガ》!」


 雄々しき白虎が紫電を纏って枝を駆け抜け、前方の漆黒分身ダークアバター共を問答無用で蹴散らしていく。


「オルガ!」


 その男の名を、俺は叫んだ。


「すまない、回復に時間がかかった。露払いは、俺達に任せろ」


 白い毛並みにバチバチと紫電を蓄え、俺達の隣りに立つと、


「ナターシャを、頼む」


 真っ直ぐに俺の眼を見て、オルガはそう言った。


「ロア、見えなくても分かるぞ。みんなの心が、風を呼んでる」


 俺の胸をアーシャが引っ張る。


「あぁ、そうだな」


 ポツリ、ポツリと。

 精霊アルマがその数を徐々に増やしていく。

 精霊は、この世に存在する全ての者に平等にその恩恵を与える。

 しかし、「精霊に愛されやすい存在」というものが、実際には存在する。

 強固な意志と揺るがぬ信念を持ち、それが強ければ強いほど、精霊はその者の周りに集い、喜んで力を貸す。

 今この場に精霊を呼んでいるのは間違いなく、愛する者を、愛する大地を守らんとする、獣人達の強い意志だ。


「私はこれに応えたい。頼む、ロア」


 未だ、アーシャの眼は見えていないのだろう。伸ばした右手が宙を彷徨った。


「……仕方ねぇな」


 その手を掴んで、一緒に立ち上がる。


「俺がお前の眼になってやる」


「あぁ、任せた」


 少し焦点が合わない眼差しで俺にそう言うと、アーシャは【光翼スパルナ】を顕現させた。

 獣人達が呼んだ精霊を集め、青白い翼は黄金の輝きを纏っている。

 心なしか、アーシャの体もほんのりと輝いているように見えた。

 あの時と同じだ。

 迷宮で俺が魔法を取り戻した時も、聖域でナターシャの魔人化を一度防いだときも。

 アーシャの体の輝きは、俺達に数々の奇跡を齎した。

 だから今回も、きっと大丈夫。

 勝つぞ、絶対に。

 手を繋いだまま、俺達は闇と光が入り乱れる空へと飛んだ。


「いくぞ!」


 そう意気込むと、アーシャは凄まじいスピードで進み出した。


「わ、ちょ、待てバカ!」


 見えていないはずなのに、どうしてコイツはこんなスピードが出せるのか。

《力》の魔法で姿勢制御をしているにもかかわらず、俺の体は右へ左へと激しく揺さぶられる。

 ぐるぐると回る視界の中で、こちらに向かってくる枝をオルガの雷がバリバリと焼いているのが見えた。そのお陰で何とか開けた場所に出る。

 あとは、大樹に向かってまっすぐ飛んでいくだけでいい。

 そう思った矢先、新たな黒樹群が一斉に生えてきた。


「右! 左! 上ぶつかる! 下がりすぎだ、バカ!」


 目まぐるしく変わる状況の中、いちいち口で伝えていては間に合わない


「あーーーもう!」


 繋いだ手に力を込め、俺はアーシャを引き寄せた。


「真っ直ぐ飛ぶことだけ考えろ! 障害物は俺が力尽くで避ける!」


「わかった!」


 頷くと、アーシャは本当に何も恐れず真っ直ぐ飛んだ。

 俺はその体を引き、突き放し、また抱き寄せ、身を捻り、回転させ……薄皮を切りながら、何とか黒樹の群生を抜けた。


(まるで、下手くそなダンスだな)


 今の動きを顧みて、ふとそんな感想を抱いてしまい、口端が一瞬緩む。

 ナターシャが閉じ込められた大樹まで、あと数百メートル。

 大樹が大量の種を全方位にばら撒いた。

 そして自らを覆うように黒樹群を生やし、問答無用に種を破裂させていく。

 大樹の周りを、闇が凄まじい勢いで広がった。

 このままでは、俺達が辿り着くよりも早く道が閉ざされてしまう。


「ロア、あれやるぞ」


 まっすぐ闇を見据えたまま、アーシャは告げた。

 その眼にはいつもの紺碧の輝きが戻っている。


「あれ? 魔法を【光翼スパルナ】に吸わせるやつか?」


「そうだ」


「だが、そんなことしてもあの闇に精霊を……」


「逆だ、ロア」


 俺の言葉をアーシャは遮った。


「精霊が吸い尽くされる前に、あの闇を抜ける。そのために、私にありったけの力をくれ!」


 何者にも揺るがせぬ決然の光が、アーシャの瞳には宿っていた。


「それに、私とお前……そしてみんなの意志が、あんなものに負けるわけがないだろ」


 そう付け足した時にはすでに大量の精霊が集まっており、黄金の波となって俺達の背中を押してくれていた。


「……あぁ、そうだな。その通りだ」


 俺は繋いでいた手を大きく振りかぶり、


「いけ! アーシャ‼」


 アーシャの体を、大樹目掛けてぶん投げた。

 無数の精霊が螺旋を描き、アーシャの【光翼】に――いや、違う、アーシャの体に宿っていく。

【光翼】が今まで見たこともない大きさに広がり、長い尾を引いて飛んでいく。その姿はまさしく黄金の神鳥だった。


「《赤なる畏怖よファルヴァーズ逆巻けストレア進化の祝福ロウ・ラ・ロー進化の業ロウ・ラ・バーその真なる姿と共にアルガナス・シールエ――踊れロント》‼」


 もう何度となくやってきた形式動作ルーティンで集中力を高めると、肌がチリチリと焼けるほどの精霊が俺の元に集まった。

 俺の真詩マルエナに応え、精霊が巨大な炎の渦へと変わっていく。


「いっけぇええええええ‼‼」


 一擲乾坤を賭した炎がアーシャへと飛んでいき、彼女が掲げた二振りの半月刀“紅月”へと宿る。


「はぁあああああああああああ‼‼」


 咆吼一閃。

 黄金と紅蓮――二対の翼を生やした神鳥が、闇を貫く。


「ナターシャをぉ……」


 その身に纏った全ての精霊を“紅月”に乗せ、


「返せぇええええええええええ‼‼‼‼」


 振り下ろした巨大な光刃が、漆黒の大樹を大地ごと両断した。


『オォ、オオオオオ……オオオオオオオオオオオオオオ――――……‼』


 大樹から浮き出た無数の人面が、断末魔の叫びを上げる。

 アーシャが刻んだ斬傷から白い燐を噴き上がる。

 その勢いに耐えきれぬとでも言うようにビシビシと音を立てて幹がひび割れ……

 漆黒の大樹は、ボロボロと崩れ去った。


 噴き上がった燐が雪のように風穴の空いた世界に降り注ぎ、闇を埋めていく。

 東の地平線から太陽が顔を出し、夜が明けていく。

 白々と冴えた光が照らす、その大地には。

 青々とした緑が生い茂っていた。


「すげぇ……」


 白い砂のキャンバスに、藍と黄金が混ざった朝焼けの空と眩しいほどの緑。

 その光景が、あの日見た光景と重なる。

 思わず、俺は口遊んだ。


 其の金色は父母にして

 其の金色は我が子なり


 いざ踊らん精霊アルマと共に

 いざ歌わん精霊アルマの調べを


 風と共に未来はなびき

 波と共に過去は揺蕩たゆた

 大地と共に現在いまを踏みしめ


 精霊アルマと共に我行かん

 精霊アルマの元へ我還らん


 この世界に生を受けて間もない頃、母が口遊んだあの歌。

 精霊が踊り、生命が全身全霊で生きるこの世界で、俺は誓ったんだ。

 大切なものを手放さず。

 自分を信じて、立ち止まらず。

 この命を全うしようと。

 

 見れば、アーシャがひざまづいている。

 その腕に、ぐったりと身を預けるナターシャを抱いて。

 ナターシャには微かに意識があるようで、そっとアーシャの頭を撫でながら何かを告げていた。

 しかし、彼女の体は既に精霊へと還り始めている。

 ナターシャは、アーシャにちゃんと言葉を残せたのだろうか。

 その体の全てを精霊に還して、ナターシャはサラサラと消えていった。

 今、アーシャはどんな表情をしているのだろう。

 こちらに背を向ける少女の顔を、俺は見ることができない。

 

◆◇◆


「ナターシャ! ねぇ起きてよ、ナターシャ!」


 ぐったりと倒れ伏す母を、私は必死に揺り動かす。

 このままお別れなんて嫌だ。

 せっかく助けたのに。

 せめて一言、もう一度声が聞きたい。

 ナターシャ、ナターシャ、ナターシャ……!

 何度も何度も、私は母の名を呼んだ。


「う……ぐぅ……」


 何度も揺り動かしていると、ナターシャは苦しそうに呻いた。

 まだ生きてる!


「ナターシャ! ねぇ、分かる? 私だよ、アーシャだよ?」


「うるっさいね……死人を起こすんじゃないよ、この子は……」


 弱々しい息遣いながらも、ナターシャは私に微笑んだ。

 いつもの黄金の瞳には、もう太陽のような輝きはない。


「死人だなんて、つまらない冗談やめてよ。これからゆっくり休んで、元気になって、また一緒に旅をしよう?」


 何とか笑顔を作りながら言葉を紡ぐ。

 声が震える。

 涙が勝手に出てくる。


「……分かってるんだろ?」


 消え入りそうなくらい優しく、ナターシャが私の頬を撫でる。

 その言葉に、私は愕然とした。


「嫌だ! 分かりたくない‼」


「本当に、仕方のない子だねぇ」


 ため息を吐いて、ナターシャは続ける。


「あんたにはずっと言ってなかったんだけどね……あたしの命は、紛い物なんだよ。

 あんたを守り育てるために造られた上位分身ハイ・アバター……それがあたしさ。あんたを拾った本物オリジナルのナターシャは、もうこの砂漠にはいない」


「えっ?」


 その言葉に、私は言葉を失った。


「そんな……いつから……?」


「もう、ずっとずーっと昔からだよ。

 あたしが造られたとき、あんたはまだ小さかった。

 きっと本物よりも、あんたと過ごした時間は長いよ」


「どうして……」


「さぁ、どうしてだろうね。あたしも教えられてない。

 キャラバンの仲間にもあんたにも、あたしが分身であることを告げてはならない。

あたしはこの砂漠で、本物の“砂漠の女神”でいる。

 それが、あたしに課せられた使命。……今、その使命も破っちゃったんだけどね」


 そう言って、ナターシャは苦笑した。


「だから、どうか悲しまないでおくれ。

 本物のナターシャは死んでない。この世界のどこかで生きている。

 死んだのはあたし。偽物のナターシャさ」


「そんな……そんなの……」


 何て返したらいいか分からない。

 ナターシャが、偽物?

 本物は別のどこかにいる?

 心がぐちゃぐちゃする。

 でも……


「そんなの関係ない‼」


 胸の中で渦巻くこの気持ちを、私は全部ぶちまけた。


「偽物とか、本物とか、そんなの関係ない‼

 私のことをここまで育ててくれたのはあなたなんでしょ? 踊りを教えてくれたのも、砂漠の生き方を教えてくれたのも……全部全部、あなたなんでしょ?」


 嗚咽と涙が止まらない。

 胸が苦しい。

 息ができない。


「優しいね、あんたは……」


 そう言って、母は私の涙を拭った。


「あんたを育てるのは、本当に苦労したよ。

 獣人よりもずーーーっと成長するのが早いんだから。キャラバンの皆に聞いても、誰も子どもなんて育てたことないから、毎日が大慌てだった。

 でも、そうさね……」


 震える手で、私の頭に手を乗せて、


本物オリジナルには、感謝しないとね。本当はずっと傍であんたを愛したかっただろうに、あたしにその役目を譲ってくれた。紛い物の命なのに、本当の命よりも命らしいことをさせてもらった。

 こんな贅沢なんて、ないよ」


 そう言って、優しく撫でた。


「優しく、強い子に育ってくれてありがとう。あんたはあたしの誇りだよ」


 手の感触が、少しずつ消えていく。

 身体がどんどん見えなくなっていくのは、溢れる涙のせいじゃない。


「嫌だ、嫌だよ。消えないで……」


「どうか、生きて。あんたの命を、力いっぱい。

 それがあたしの……あんたの母ちゃんの、願いだよ」


 そう告げ終えた頃には、母の身体はそこに無かった。

 それでも……姿が見えなくても、隣に立っていてくれてるような気がして、


「うん、ありがとう。……お母さん」


 世界へと還った母に、私は心からお礼を言った。

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