友の会

ハヤシダノリカズ

入会

「美味い肉だったんだよ」

 哀しみと寂しさを身体中に纏わせて目の前の彼は言う。

「獣の肉の重厚さと、新鮮な果実のような甘さと爽やかさが何重にも重なっているような、そんな肉だったんだよ」

 涙を流さずに泣いているような、そんな表情で彼は話してくれている。

「八百比丘尼が食べたという人魚の肉。多分、オレが食べたのは、それだったんだと思う」

 私を見下ろしながら話す彼の告白は、衝撃でもなんでもなかった。そんなことだろうと思っていたもの。

「ごめんね。ごめんね。一緒に老いる事が出来なくてごめんね」

 今も青年といった風貌でいる瑞々しい彼の手は、枯れ木のようなカサカサとした私の手を握っていてくれている。

『愛してくれてありがとう』って、私は彼にちゃんと伝えられていたかしら。もう、声を上げる事もできない。握ってくれている手を握り返す力もない。せめて、思いを念じます『たくさん、愛してくれてありがとう』

 そして、すべての知覚が失われていく……。


 ---


「おつかれさまー、新入りさん!」

 気が付くときれいなお嬢さん達が私を取り囲んでいて、その中の一人が私に話しかけてきた。

「え、は、はい……」

 訳が分からないまま、私はどうにか返事をする。

「晴子さん。私たち、ずっと応援していたんだから!あなたもよく頑張りました!」

 初めて会った若くて美しいお嬢さんに、私の様なおばあさんが応援されるってどういう事かしら? でも、私の名前を知っているし……。

「あの、みなさん、どちら様なのでしょう?私には皆さまのような若い女性の知り合いがいないハズなのですが……」

「いやねぇ、晴子さんこそが、この中で一番若いのに」

 と、お嬢さんの一人は言う。

「肉体から離れた私たちは、死んだときの年齢に囚われる必要がないの。晴子さん、あなたも私たちと変わらないわ」

 そう言われて、私は自分の手と腕を見て、そして、顔や首の素肌を撫でた。ふっくらと柔らかく、張りがある。それから……、やっぱり死んだのね。

「えっと、ここは死後の世界……、なんですか?」

 死んだことは間違いないだろうけど、沢山のきれいな若い女性が楽しそうに私を取り囲んでくれているこの状況は、思っていた死後の世界っぽくない。

「んー、私たちはみんな、そうね。肉体の死の後にここに来たから死後の世界って言えば死後の世界なんだけど」

「生きてた頃に思っていた死後の世界とはまるで違うわよね」

「そうそう。それに、私たちには全員共通点があるしね。そこんとこの共通点を持たない人がココに来た事ないしね」

 私を取り囲む美女たちは私という新人に伝えようとしてくれているようだ、ここの事を。そして、共通点って、何?

「ごめんなさいね。大勢で取り囲んじゃって。えぇ、そう。私たちには共通点があるの」

「そう。目一杯、洋介さんを愛してくれてありがとう、晴子さん。ここは言うなれば、洋介さん友の会ってトコなのよ」

「ホント、ホント、ありがとー!」

「よく頑張ったよねー」

「ステキだったわ、晴子さん」

 周りの美女たちは口々に言う。洋介さん友の会、なんだそれ。


 ---


「私はさ、洋介&晴子のこのシーンがめちゃめちゃ好き」

 そう言って、ミキと名乗る先輩はノートPCを操作している。その操作に連動するように大型モニターに洋介さんと私が映し出される。リビングルームのようなこの空間に壁はなく、遠くを見ようとすれば何もかもが曖昧になって何も見えないけれど、八人の女たちが寛ぐのに快適なソファやテーブルは確かな姿形をもって存在していて、みんながリラックスした面持ちで大型モニターを眺めている。

「な、なんなんですか、これ!いつの間に撮ったの? それに、ノートパソコンに、テレビに、ソファって……、これのどこが死後の世界なんですか! そして、めっちゃハズい、めっちゃハズい!テレビ消してーーー!」

「アハハ。ごめんごめん。でも、みんな通る道だから。恥ずかしがらなくてもいいんだよ」

「みんな……って、大型テレビとかパソコンって最近のものですよ。皆さんが洋介さんと連れ添った時間を平均四十年として、最初の人は三百年くらい前じゃないですか!そんな時にパソコンなんてある訳ないじゃないですか」

「そこは、ほら、その時代に応じた情報端末ってのがあった訳よ。水を張った盆に映像を映したり、大きな銅鏡に映し出されるドラマを見たりしていた時代もあったそうよ。今は晴子さんも使いこなしていたこのパソコンっていうカタチの端末のユーザビリティが良すぎてねー」

 そう言って、ミキさんは笑う。


 ---


「まー、洋介さんが食べた肉が人魚の肉だったのかどうかは、私たちだって分からないよ。だって、最初の一人、ゆきさんだって、洋介さんがその謎の肉を食べて不老不死になった後で、洋介さんと出会ってるんだから。ねー!ゆきさん」

 そう言って、ミキさんはソファに座っている一人に向けて言った。

「そうなのよ。私たちにも分からない事だらけなのよ。分かっているのは、洋介さんを愛して死んだ女はここに来るようになっているらしい、って事くらいよ」

 ゆきさんと呼ばれた美女は私たちに顔を向けてそう言う。

「……そうしたら、ゆきさんが初めてここに来た時はお一人だったんですよね?」

 私は疑問をゆきさんに投げかけてみる。

「えぇ。寂しかったわよー。何もない薄ぼんやりした空間にポツンと一人だけだったからねー」

「うわー。それはイヤですねー。それで、お一人の間、どうしてたんですか?」

「そこはほら、愛の力よ。寂しくて辛かったけど、『そんなことより、洋介さんはどうしてるかしら?』って、ずーっと思っていたら、ある時水の張った大きなお盆が現れてね。そこに洋介さんの姿が映った時には小躍りして喜んだわよ」

「へー。水鏡が」

「それに私たちが生きた時代って、それほど長生きも出来なかったしね。すぐに二人目のやえちゃんがやってきたし、寂しかった時間ってそれほど長くはなかったわ」

「やえさんって?」

 そう言いながら私が周りの美女を一人一人見渡すと、

「やえさんなら、今、ここにいないよ」

「え?」

 ミキさんの返事に私は驚く。この世界から出る事も出来るのか?成仏する手段があるのか?

「やえちゃんは今は自室にいるわ」

 私の想像を掻き消すようにゆきさんが言う。え?自室?

「あ、そうそう。言ってなかったけど、ここ、【洋介さん友の会】の空間内では何でもできるから。自分がそうと信じ込んだらあるようになるから。晴子さんも自室が欲しかったらイメージしてみて」

 ミキさんはそう言う。


 ---


「えーっと、という事は、洋介さん友の会にいるメンバーは一体何人いるのですか?」

「何人だっけ?」

「さぁ?」

「三十人くらい?」

「そんなものかな」

 リビングルーム空間に集っている美女たちは口々に言う。

「洋介さんって、モテるんですね」

 小さな嫉妬心を隠し切れないまま、私は言う。

「アハハ。そうだね。洋介さんはモテるよね。でも、洋介さんは二股なんてしたことは無いし、洋介さんと付き合って一年もしない内に不慮の事故でここに来たもいる。ゆきさんが知り合って以降の洋介さんのログは全部残っているから、いつでも見れるよ。興味があったら私に言って」

 なるほど、短命だった同志もいるのか。ミキさんのこの提案は有難い。今度、色々と見せてもらおう。


 若く美しい友の会の同志は、みな明るく親切だ。

 だけど、どことなくオカシイ。その違和感は毎秒毎に小さくなってきてはいるのだけど、なにか変だ。私は少しぼんやりした思考を自覚しながら考える。あぁ、そうか。みんな、成仏できない事を受け入れているんだ。洋介さんに看取られて死んだ私は成仏を望んでいたはずなのに。そして、そんな感情は今もどんどん薄れていってる。成仏なんてしなくてもいいかと思い始めてる。そして、友の会の仲間への嫉妬心もどんどん薄れているし、この後の永遠かも知れない洋介さんを見守る時間を良いものだと思いかけてる。そう言えば、さっきまで思っていた事も忘れかけている。何を思っていたんだっけ。あぁ、そうそう『今までの全てのオンナに観察され続ける人生っていうのは、不老不死よりも強烈な呪いかもな』なんて思ってたっけ。『人魚の肉だかなんだか知らないけど、酷いトラップね』とかも思いついていたような……。『係わった女が成仏できないというのも呪いね』なんて思っていたかしら。まるでそんな事はないのに。これから始まる洋介さんを見守り愛でる時間は素晴らしいに決まってるのにね。


 洋介さんと出会って幸せな人生を送り、そして洋介さんと別れ、またここで洋介さんを愛でる機会を得、洋介さんを愛した同志の仲間に恵まれた。なんて、幸せなのでしょう。まずは、私の部屋を作ろうかしら。プライベート空間は大事だわ。たぶん、そこでも、洋介さんの今までとこれからを見れるのね。ワクワクしちゃうわね。


 ---


「へっくしょん!」

 山道を一人で歩いている青年がくしゃみをした。旅人の様に見えるそれは誰であろう洋介だ。

「なんか、こんな山道なのに、誰かに見られてる気がするんだよな。いつでも。あるはずのないその視線は昔に比べて随分増えたような気がするんだよな。これも人魚の呪いだろうか」

 洋介は立ち止まってポツリとそう呟いて、空を仰ぎ、そしてまた、歩き始めた。

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