あとがき

 私とシャーロック・ホームズの出会いはいつのことだっただろうか。「ドラえもん」の中にホームズの推理に触れた話があったことを憶えているので、おそらく小学生の頃にはこの偉大な探偵の名前ぐらいは知っていただろう。世の中に推理小説なるもののあることを知ったのは、ホームズがきっかけだったと思う。しかし、はっきりした記憶のあるところでは、この手の小説を読み出したのは「怪盗アルセーヌ・ルパン」が先だった。中学校の図書室に置いてあったポプラ社刊南洋一郎訳のルパンシリーズを手当たり次第に借りて読んでいた。訳者が子供向けに翻訳したものだが、「ボンジュール」、「ムッシュー」、「マドモアゼル」、「アントレ」など、作中に散りばめられるフランス語に、なんとなく異国情緒をかぎ取っていた。子供向けに書かれたものとは言え、氏の翻訳は物語のエッセンスを的確に捉え、原作の雰囲気を上手く伝えている。後に読んだ完訳本にはない味わいがあったように思う。このシリーズの中に「怪盗対名探偵」という作品があり、ルパンの敵役としてホームズが登場する。もしかすると、物語に語られるホームズを読んだのはこの時が初めてだったかも知れない。書いたのは「ルパン」の原作者モーリス・ルブランなので、「シャーロック・ホームズ」のパスティーシュとも言える作品だが、フランスの大盗賊とイギリスの名探偵の対決という構図には、読む前から創造力をかき立てられた。ただ、ここに登場するホームズは「ルパン」の作者ルブランによって「ルパン」の側から描かれたホームズである。当時の私はきっと本物の「ホームズ」がどんな物語なのか、大いに興味をそそられたに違いない。

 私がそれと意識してホームズの物語を読んだのは、父が買ってくれた「シャーロック・ホームズ全集」を通してだった。父自身がホームズ物語の熱心な読者だったわけではないと思うが、ルパンシリーズに夢中になっている私を見て買ってくれたのだろう。船乗りだった父は一度航海に出ると半年ほど家に帰ってこなかった。私が幼かった頃には自分が読んだ小説をテープに吹き込んで送ってくれたりした。父が読んでくれたジャック・ロンドンの「野生の呼び声」は、後に大学の卒業論文のテーマにもなった。私の読書好きはそうした父の性癖を受け継いだものかも知れない。ともあれ、真作ホームズは若い私を魅了し、人生の糧となる読書への道を開いてくれた。

 三十代に入った頃、ふと思い立って小説を書き始めた。私にはもともと厭世的な気分があり、その一方で世に打って出たいという思いも常に持っていた。書き始めた理由の一端はそんなところだろう。以来ずっとオリジナルの作品を書いてきたが、ホームズのパスティーシュを書きたいという思いは、いつも心の隅にあった。自称シャーロキアンとして、多くのパロディやパスティーシュを読み、「自分ならこう書く」というものを書いてみたかった。実際に書いてみて、原作に近い世界を再現すること(それを目的としていたわけではないが)の難しさを知った。その意味において、ジューン・トムスンのホームズパスティーシュは群を抜いている。映像の世界では、イギリスのグラナダTVの制作したドラマが秀逸だ。個人的には宮崎駿監督のアニメ「名探偵ホームズ」も好きである。翻って拙作はというと、シャーロック・ホームズの世界を借りたオリジナル小説と言ったところだろうか。しかし、読んで頂ければ分かるとおり、本作においてシャーロック・ホームズは欠くことの出来ない要素となっているため、やはりパスティーシュと呼んで差し支えないと思う。いずれにせよ、著者自身が楽しんで書いた作品である。読者となって下さった方々の無聊の慰めとなれば幸いである。

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