煙は白く、串焼きは赤く

五色ひいらぎ

煙は白く、串焼きは赤く

 厨房に入った時、目の前にはもうもうと白煙が立ちこめていました。

 火事を疑うほどではありませんでしたが、コンロのあたりはすっかり白く霞んでいます。その中に見える白衣の背中は、料理長のラウルでしょう。彼はいったい何をやっているのでしょうか。


「おう、来たかレナート」


 ラウルが振り向き、得意満面に笑います。


「何をしているのです」

「まあ、見てみな」


 促されてコンロを見ると、一口大に切られた鶏肉が、ぎっしりと鉄串に刺して並べてありました。薄桃色の新鮮な肉は、炭火の上で炙られ、脂をぽたぽたと滴らせています。透明な滴が炭の上に落ちるたび、赤い炎がぱっとひらめき、香ばしい白煙があがります。煙の出どころはここだったようです。


「鶏肉の串焼きスピエディーニですか?」

「だな。そろそろ焼きあがるぞ……ほら」


 薄桃から白に変わった鶏肉の串を、二本、ラウルは皿に取りました。


「王宮料理は、毒見人様に届く頃にはすっかり冷めちまってるからな。たまにはアツアツもいいだろ」


 ラウルの手が、岩塩入りのミルを回しました。粗く砕けた塩が、脂の上にぱらぱらと薄く散ります。なにげない動きながら、塩のかかり方が均一なのは、さすが宮廷料理人というべきでしょうか。


「少しお待ちくださいね。ナイフとフォークを持ってきますので」

「いや、このままでいい」


 ラウルの言葉に耳を疑います。串焼きスピエディーニは、串を外して食べるのが作法。それはあなたも、当然ご存知ですよね?


「言いたいことはわかるがな。屋台風にそのままかぶりつくのも旨いぞ。……なあに、見てる奴は誰もいねえ」


 にやにや笑いながら、ラウルは二本のうち一本に、串のままかぶりつきました。

 絶句する私の前で、民間あがりの宮廷料理長は、目を細めて満足げに鶏肉を頬張ります。


「うめえ。やっぱり串焼きは、豪快にかぶりついてこそだな……味が違うぜ」


 味が違う、との言葉に、私の中の何かが疼きました。

 気のせいだと思うのですが。くだけた場、緊張のない席での方が、正式な場でよりも美味しく感じるのは、ままあることですし。


「無礼講の食事を美味しく感じる類ではないのですか?」

「そこは、自分で確かめてみりゃあいいだろ?」


 ラウルが、串焼きの皿を私の目の前に差し出してきました。ほどよく焦げ色のついた肉の下に、滴った脂が小さな溜まりを作っています。

 鶏と塩だけの、ごくごく簡素な料理のはずです……が、漂う香ばしい肉の香りは、どうにも私の鼻腔をくすぐってきます。

 料理というものは、手を入れるほど美味しくなるとは限りません。素材を活かす最小限の味付けこそが、至高の美味をもたらすこともある……少なくとも、目の前にいる彼はそれを知っているはずです。

 フォークとナイフを使わないことに、まだ若干の抵抗は覚えつつも、私は残る串に手を伸ばしました。


「……失礼しますよ」


 串に付いたままの肉を噛み……串から抜き取ります。

 ……これは。


「どうだ?」


 目の前で、ラウルがにやにやと笑っています。

 ですが確かに、これは……普段の私には縁遠い類の美味ですね。煙の香ばしさと岩塩の塩気を含んだ肉が、芯まで熱い。噛みしめるたび、熱せられた肉汁と脂が染み出して、舌の上でとろけて流れていきます。


「串から外すと、そのぶん冷めちまうからな。アツアツのまま味わうには、かぶりついた方がいい」


 なるほど、そういうものなのですね。もともと街で店を持っていた、あなたならではの知見です。

 感心しつつ残りの肉を楽しんでいると、ラウルは残りの串を皿に取り、上からなにやら真っ赤な粉を振りました。……香りから察するに、なにかの香辛料のようですが。


「じゃあ次、こっちいってみっか」

「その粉は?」


 私の問いには答えず、ラウルは、無言で皿を私の鼻先に突き出してきました。

 つんと香る、ガーリックや胡椒の香り……肉の匂いと混じると、否が応にも食欲をそそりますね。この香りがすべて、ということなのでしょう。

 私も無言のまま、串を一本取り、そのまま口に運びました。


「どうだ?」


 ラウルがようやく口を開きました。

 ですが私は、答えることができません。……赤い粉で染まった肉を、噛みしめていましたから。

 不思議な味でした。胡椒の刺激、ガーリックの強い香気、バジルやオレガノの青くささ……そういった既知の香辛料の他に、二種ほど未知の味がありました。たいへんに強い辛味と、ほのかな苦味を含んだ甘味と。鮮やかな赤色は、これらと関係があるのでしょうか?

 鶏肉は、さきほどのものより脂を多く含んでいます。にじみ出る熱い脂が、香辛料の強い刺激と混じり合って、濃厚な旨味を作り出しています……これが宮廷にふさわしいかと言われれば、疑問符を付けざるをえません。ですがこれは、洗練と優雅を旨とする王宮料理とはまた別種の、地上の美味なのでしょう。


「さすがはあなたですね。確かにこの美味は、私が知らない類のものです」

「そうかそうか。で」


 ラウルの目が、鋭く細められました。


「……そいつの味、覚えたか?」


 顔から気さくな空気が消え、厨房を担う者としての真剣な表情が取って代わっています。

 ああ、なるほど。そういうことですか。あなたの意図、ようやくわかりました。

 ですがその前に、確かめておきたいことがある。


「この粉、何が入っていましたか?」

「当ててみな」


 ラウルが、口の端を軽く上げました。

 なるほど、この「神の舌」への挑戦ですか。ですがこれが勝負とするなら、はじめから成り立ちませんよ。


「ガーリック、胡椒、バジル、玉葱、クミンにオレガノ、セロリシードにタイム……まではわかりました。ですが、未知の香辛料が二種類混じっていますね。辛みの強いものと、甘味を含んだものと。おそらく、鮮やかな赤色の由来はそのどちらかでしょう」

「……さすがは『神の舌』だな」


 未知のものが入っている以上、判じ物はそもそも成り立たないでしょう。

 ラウルは満足げに笑うと、香辛料の瓶を二つ棚から取り出しました。どちらも真っ赤で、流れる血をそのまま固めて挽いたような色をしています。


「辛い方が赤唐辛子ペペロンチーノ、甘い方がパプリカ。どっちも、遠い国から最近持ち込まれた新しい食材だ」


 なるほど。新世界の食材の噂はいろいろと耳にしていましたが、これらがそうだというわけですね。

 だからこそ、私にこれを食べさせた。


「感謝しますよ、ラウル。いかに私の舌が鋭いといえど、未知の食材の正体を見抜くことはできませんからね」


 私の職務は毒見役。この鋭い舌で、混入された毒や異物を見つけ出すことが仕事。

 彼の職務は料理人。国王陛下をはじめとした貴人たちに、安全で美味な食事を届けることが仕事。

 おそらく彼は、この未知の食材で新しい美味を作ろうとしているのでしょう。それゆえ、私にその味をあらかじめ「伝えておく」必要があったわけですね。

 ですが、だとすると……ひとつ、わからないことがあります。


「あなたが私に、この香辛料の食味を事前共有したかったのはわかりました。ですが――」

「ん、なんだ?」

「――だとすると、最初の塩味の串焼きはなんだったのですか? 目的を考えれば、赤唐辛子の串だけで十分だったのでは」


 問えば、あー、と声をあげて、ラウルは破顔一笑しました。


「違うのを比べた方が、味が引き立つだろ? どうせ食うなら、美味い方がいいしな!」


 残りの串が乗った皿を、ラウルが私の鼻先に突きつけてきます。


「ほら、熱いうちに食えよ。……しっかり味を覚えるまでな」


 わかりましたよ。そういうことなら、しっかり味わって帰るとしましょう。

 これも、私の、仕事ですからね。




【終】

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煙は白く、串焼きは赤く 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

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