あの鶏

鈴ノ木 鈴ノ子

あのにわとり

コロナ禍で頑張る地元の焼き鳥屋さん!


地方にあるコミュニティー雑誌記者、坂東頼子はまとめ上がった特集記事の下書きを見ていてそこにふと懐かしい面影を見つけた。

 それは地域マップに複数書かれたお店の中の右端下にあった。店名は「あの鶏」短髪の和かな店主の顔写真の横に結衣島美鶴と書かれていた。この取材には地元の高校生が協力してくれていたので、頼子が直接、取材に行ったわけではなかったが、その写真の上に「店名に秘密あり♪」と書かれていた。


記事には店名の由来を書くところがあって、そこも秘密となっていた。他のお店の方々は皆さん書いてくださっている中で、ちょっとした秘密主義を飾ると不公平になることもある。コミュニティー雑誌という特性上、今後の取材に影響されても困るし、何より広告収入の減少に繋がるのも死活問題だ。


「しかたない、よしみで教えてもらおうかな」


再度取材したい旨を申し込むと、いつでもどうぞ、今からでもどうぞ、とすぐにメールが返ってきたので、頼子は席を立ちホワイトボードに取材と書き残して事務所を出ると店へと向かうことにした。

車のハンドルを握り交差点で信号待ちをしていると、ふと押し込めていた過去の恋心が頭の片隅から浮かび上がってきた。


結衣島美鶴。


この女の名前を冠した男は、かつて大学進学のために頼子が上京する過程で別れた恋人だった。美鶴の家は地元で代々続く酒蔵で数多くの名酒を世に送り出していた。美鶴は三男坊だから、自由気ままに店をしているのではないかとも邪推した。実際、あの頃の美鶴は高校生なのにどこか自由人の雰囲気が漂っていた。

車を走らせて20分ほどで、焼鳥屋 あの鶏 の駐車場へとたどり着いた。道の反対側にある店舗は酒蔵近くにあった古民家を改装した作りで、入口横に木製の格子戸がかかり、扉は重厚そうな木の引き戸であった。


「頼子?」


「え?」


車から降りていきなり声をかけられた。その声には聞き覚えがあって懐かしさが込み上げてくる。


「やっぱり頼子か」


「久しぶり、結衣島君」


ぎこちなく苗字で呼んでしまったが、彼は気にもとめていない感じであった。


「おう、久しぶり、メールの名前でもしかしたらと思ったけど、やっぱりか」


「女子高生でなくて悪かったわね」


言葉の端に少し残念な言い回しが感じ取れたので軽く嫌味を言った。


「いや、あれはあれで大変だったよ。若い子って凄いね。で、今日は何の用事なの?」


「あ、そうそう、例の企画に賛同いただいてありがとうございました。それでね、あの、記事に店名の由来を書くところがあったでしょ?そこが秘密になっていたから、できれば教えてほしいなと。他の皆さんには書いていただいてるから・・・」


少し上目遣いで美鶴を覗き込みながら頼子が問いかけると美鶴が突然吹き出した。


「なによ」


「いや、その癖変わってないなと思ってね」


ムッとする頼子に美鶴はそう言って笑いながら彼女の肩に手を置いた。


「どうしても聞きたいの?たぶん、記事にはならないよ?」


「どういうこと?でも、話だけはきちんと聞いておきたいのよ」


記者魂ともいうべきなのか、その、秘密の二文字を窺い知れないことに妙な抵抗感が頼子にはあった。


「じゃぁ、店内で話そう」


そう言って美鶴は店内へと頼子を誘ったのでその足取りの後について店の中へと入ってゆく。


炭火の焼き鳥台が出入り口近くにあって、カウンターとビールの機械、奥には座敷席が数席あるだけの小さな作りの店だった。並んでいるお酒は美鶴の実家の地酒で、なかなか手にいれることのできない頼子も飲みたい銘柄もひっそりと置かれていた。


「さて、店名の由来だよね」


カウンター席で相対するように座ると美鶴はそう言って、カウンターの上に飾られていた写真立てを下ろした。


そこには、美しい毛並みの鶏が一羽、顔をこちらに向けて写っていた。


「これが、あの鶏?」


「そう、これがあの鶏、じゃぁ、話すよ」


「うん、あ、録音してもいい?」


美鶴が頷いたので頼子はボイスレコーダーのスイッチを入れて卓上へと置いた。


「あの鶏は、その時は店名は違ったけど、店を始めた頃に拾ったんだ。ほら、よく食肉処理場へと運ばれる狭いケースに堆く積まれた鶏達をみることがあるだろ?、ちょうど店の前にね、多分、落としたと思うのだけそれが転がっていたんだ。開けてみれば、2羽は死んでいたけど、1羽だけは血まみれだったけど生きていてさ、仕方ないから、保護してみることにしたんだ。1ヶ月ほどするとあの鶏は外を闊歩するようになるまで回復してね。それからは焼鳥屋の外に鶏がいるというシュールな店になったわけさ」


同族を焼く男の手元で生活する哀れな鶏が思い浮かび、頼子の背筋がゾッと寒くなった。


「店のアルバイトの子がね、いたずらであの鶏に焼き鳥を与えていたことがあったらしくて、それに気がつくまでに数ヶ月を有したんだけど、それが分かって彼女達に説教をしているときにそのうちの1人がこう言ったんだ。あの鶏で店長の調子がわかったって」


「調子がわかる?」


「僕も意味がわからなくてさ、詳しく聞いてみたら、調子の良い日に焼いた焼き鳥には嘴をつけるけど、僕の機嫌が悪かったり、体調が悪かったりすると、見向きもしない、だから、1番に焼けた焼き鳥の一部をあの鶏に持っていって、毎日、僕の状態を確認していたんだそうだ。そんなことと思ったけど、僕の悪い日にバイトさん達は妙に気を遣ってくれていたことも思い出してね。まぁ、行為自体はしないように厳命して、しばらくしたらあの鶏は死んでしまったのだけど、死んでからあの鶏が夢に出てきたんだ。そこでね、説教された」


「説教?」


「ああ、大きさも変わらない、そして、あの時のままの白く綺麗な鶏が、夢の中で僕を前にして説教した。あんなに不味く焼くとは情けない。気分や体調で味すら変わることは情けない。あなたは私達を何だと思っているのだと。それはもう、こんこんと長いこと説教をされたよ。最後には一言、味が悪い時は容赦しないと言われたね」


「怨霊みたいね・・・」


「あ〜確かにそうかもしれない。焼き加減や味が悪いと僕が怪我をしたりすることもあったからね。でも、言われたことも一理あるから腕は磨いてるよ。美味しいと評判になったし、他県からも買いに来てくれるお客様もできた。店名は敬意を込めて あの鶏 とした。これが由来だよ。でも、できれば記事にはしてほしくないな。」


「そうね・・・。それは営業妨害に等しい気もするわ」


明らかに記事に載せれば営業妨害となる。これは美談ではないのだと頼子には思える。

 ふと美鶴からずらした視線の先にある座敷席に、美しい純白の羽に包まれて紅鶏冠をした鶏が1羽、座布団の上に座ってこちらを見ていた。

 その姿は恐ろしいということはなく、出来の悪い生徒を見るような先生といった感じの雰囲気を漂わせ、そして、なぜか食べに来いという妙な熱意も感じ取れた。


「記事にはしないけど、その代わりに食べにくるわね」


「ああ、それは嬉しいし、サービスもするよ」


あの取材の後に、私は「あの鶏」の常連となり、飲みたい銘柄も格安で飲むことができた。あの鶏には、たびたび遭遇してはいるが、不思議と怖いとは思わなかった。ときより足元で蹲ることのある あの鶏 に親近感さえ覚えたほどだ。


そして、数年を経て足繁く通うことはなくなった。


結衣島頼子は有名店となった、あの鶏、の若女将として美鶴と2人で、鶏仕切る店を盛り立ている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの鶏 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ