禍から生まれた華

 四月半ばを過ぎ、新入生たちでキャンパスは賑わいをみせている。

「春だね」

「うん。桜もきれい」

 野口さんとキャンパス内の大通りを彩る桜を見上げながら、あの事件のことを思い出す。


 三尾さんによって取り押さえられた吉村さんは騒ぎを聞きつけて駆け付けた他のボランティアたちによって、警察や救助隊が来るまで一室に隔離されることになった。部屋からは吉村さんのすすり泣く声がしばらく響いたという。


 夜遅くになって、ようやく救助隊がやってきて村の孤立が解かれた。


 続々と村を後にする来村者に混じって、警察官に連行される吉村さんがいた。僕と対面すると彼は幽霊でも見るような目を向けたけど、事情を話すと「悪かったな」と言って大粒の涙を流した。それ以来、会っていない。事件現場となった三尾さんの宿泊施設には早速規制線が張られ、何人もの警察官や鑑識班の人たちが集まっていた。


 事件のことはニュースで大きく取り上げられた。閉鎖空間と化した山奥の村で起きた殺人事件に世間の関心は高く、一ヶ月以上経った今でもワイドショーを賑わせている。


 その後の捜査で、吉村さんが出入りしていたボランティア事務所の彼の所持品から顔認証システムが搭載されたボウガンが押収された。警察の事情聴取に彼は「村の愛犬を殺された恨みだったが誤って別人を殺してしまった」と犯行を認めた。


 一方、三村さんも警察に事情を訊かれている。吉村さんが指摘した偽名の件がどうやら真実だったらしい。数ヶ月前から村では貴重な記録や物品が盗まれる被害が度々あり、警察に被害届を出していたという。彼が偽名を使っていたことから彼が関わっている可能性が強まったというが、本人は「知らん」と真っ向から否定している。しかし、彼の携帯電話に骨董品店の連絡先がいくつか保存され、事件があった日も連絡を取っていたことが判明したらしい。


「それにしても、三雲くんの推理すごかったなぁ」

「いや、たまたまだって」

 今でもたまに夢にみる。大勢の人たちに向かってスピーチしているときもあった。話し終わると拍手が体を包み込み、目が覚めるのだ。突き立ったナイフが本当に刺さってしまう悪夢のときもあるけれど。


「どこで吉村さんだってわかったの?」

「一番の決め手は、事件後最初に三村さんと顔を合わせたときの吉村さんの反応かな」

 顔は見えなかったけど、ひどく困惑しているような声音だったのを覚えている。殺そうとした人間が生きていたのだから、彼は相当戸惑ったに違いない。


「仕掛けを準備するのも禍が書かれた文言を用意するのも彼なら都合がよかったし」

「でも三村さんを殺そうとしていたなんて」


「僕もびっくりしたよ。でも吉村さん、三村さんとは顔見知りだったみたいだから」

 その根拠として、宿泊施設に着いた直後だというのに三村さんの名前を呼んでいたことを挙げた。


「今にして思えば、三村さんは孤立状況に相当憤っていた。あれは偽名を使っていることがバレるかもしれない焦りがあったんだと思う」

「確かに。なるほど」


 野口さんはメモを取りそうなほど熱心に僕の話を聞いてくれている。

 夢かと思って太ももをつねる。刺すような痛みが走って安心した。


「あの夜、たとえ個室で休むことになったとしても、吉村さんは計画を絶対に実行したのかしら?」

「それはどうだろうね。個室に仕掛けを施すのは難しいから。なんとか大部屋に僕らを誘導したと思うよ。そのための口実を彼は言っていたから」


「うそ?」

 僕は頷き、事件の夜にした会話を思い出す。

「彼は『大部屋もあることですし』って言っていたんだ。僕が提案したから譲ったけど、誰も言わなかったら彼が提案していたかも」


 その後準備のため三尾さんたちと協力し、矢野さんに硬い枕の位置を指示した。二人が目を離した隙に仕掛けを設置した後は、部屋に入らず容疑者候補から外れようとした。複数人が休む部屋で殺人が起きたら、真っ先に疑われるのは室内にいた人間だから。


「吉村さん、戻ってくるかしら」

「きっとね」

 初めて会った時の楽しそうな表情を思い出す。抱かれていた子犬も幸せそうだった。


 彼ならきっと、身に纏ってしまった禍を晴らし、罪を償って再び三華村の大地を踏みしめてくれると思う。


 事件後、矢野さんと定期的に連絡をとっている。吉村さんが逮捕された直後は放心状態だったけど、最近は気持ちを切り替えて彼の帰りを気長に待っているという。近々、また村においでよと絵文字たっぷりで誘いを受けていた。五月のゴールデンウィークの連休にまた行こうかと野口さんと決めていた。


 今度こそ、三華村を堪能したい。


「その、野口さん」

「ん? なになに」

 大通りの隅によって立ち止まる。行き交う学生たちの頭上に桜の花びらが舞い散る。その内の一枚がはらりと野口さんの絹のような黒髪の上にのった。


「改めて、怖い思いさせてしまってゴメン!」

「え?」


 僕は頭を下げた。これだけはどうしても言っておきたかった。

 あの日。僕が誘わなければお互いあんな思いをしないで済んだ。矢野さんや三尾さんと知り合えたのは良かったけど、それにしても釣り合わない体験だった。何回謝ったって記憶に刻まれいつまでも残るだろう。胸を抉る大きな傷跡として。


「顔をあげて。三雲くん」

 言われて僕は野口さんと対面する。薄いレースが施された服越しに綺麗な肌がみえる。柔らかい笑みを浮かべた表情に僕は釘付けになった。


「三雲くんが謝るのなら、私は感謝しなくちゃ」

 そう言って、今度は野口さんがぺこりと頭を下げた。


「あの日、私を誘ってくれてありがとう」

「ええぇ!」

 思いがけない言葉は止まらなかった。


「私、その……三雲くんが気になってて。もっとお話ししてみたいなって思ってたの。確かに大変で辛い出来事だったけど、親密になるきっかけになったわ。だから――」

 野口さんはモジモジと体を捩らせた。


「今度は私の番。今度、一緒にディナーでも……その、いかがでしょうか」


 体の中でビッグバンが起こったようだった。顔があつい。全身の細胞たちが沸騰しているようだ。

「そ、そんな……僕なんかでよければ」


「ちがうの! 三雲くんがいいの」

「ありがとう。こちらこそ、よろしく」

「ほんと? やった!」


 僕たちは並んで、ディナーの予定をあれこれ話し合った。

 彼女に肩を寄せて歩いているからか、服が当たってこそばゆい。行き交う学生たちが多くなってきた。


 こんなとき、命を助けてくれた本には確か――。


「……その、はぐれちゃうかもだから」

「……ありがと」


 僕は野口さんの手を握った。彼女も安心したようにぎゅうっとしてくれる。彼女の体温を感じ、心臓がドクドクと早鐘を打ち始める。


 舞い散る桜吹雪の中、はにかんだ野口さんにうっとりする。

 大変な事件だった。命の危機にも瀕した。


 けれど、野口さんと親密になるきっかけになった。

 こうして手を繋ぐきっかけにもなった。


 もう一つ――なにか大きな華が待っている気がする。

 胸の高鳴りは止まりそうにない。


  完

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禍から生まれた華 向陽日向 @kei_ichi

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