怪人八十八面相

スロ男

怪人の生活と意見


 怪人八十八面相は流石に年齢による衰えを感じざるをえなかった。

 いつもなら高笑いをする、高所に登って探偵やら警察やらを睥睨する場面で、いま笑えば確実にムセると息を整えた。

「八十八面相! 今回は逃がさないぞッ!」

 壮年の探偵がまっすぐ指を突き出している。小林探偵だ。

 かつて好敵手だった男の愛弟子。

 いまでは名探偵として名を馳せ、探偵といえば小林か工藤かといわれるほどだった。

(立派になって……)

 思わずほろりとしてしまうのは、怪人として表舞台に立つのが、実に30年ぶりだったからである。

「さらばだ、小林探偵! それから警察諸君! お宝はいただいた! フワーッハッハ……ゲフ」

 怪人はどこからか取り出した巨大なドローンに捕まって、夜空へと消えた。


       ☆


「遠藤さん、遠藤さん!」

 スーパーで今日の特売品を探しながらのんびり歩いている時、声をかけられた。

「ああ、時田さん、こんなところで」

 近所に住む噂好きの主婦だった。歳は自分よりひと回り以上若いが、それでも年金生活者である。

「明日、町内会館で米寿祝いあるの、忘れてないわよね?」

「え?」

 忘れるも何も、そんなのがあることすら知らなかった。

「あら、やだ。だから言ってるじゃない、ちゃんと回覧板読みなさいって。いつも判子だけ押して次回しちゃってるでしょ」

 はあ、と気の抜けた返事をして、とっとと立ち去ろうとした。

 腕をつかまれた。


 近所付き合いなどというものを自分がするとは、若い頃には考えたこともなかった。いや、あの当時ですらもう若くはなかった。30年前には、もう還暦が近かったのだから。

 もっと若い頃には、生活などというものは人に任せて自分はただ浪漫や痛快さ、美しい美術品だけ追い求めることに夢中だった。

 それを邪魔するあの男はまさに天敵だったが、次第にそのやりとりを——頭脳対決を楽しみにするようになっていた。

 こういうのを本末転倒というのだろう。

 あの男に固執しすぎた私は、やがて手下たちに見限られ、けれどさらに伸び伸びとあの男とバチバチやりあったのだ。

 だが、あの男が交通事故で亡くなり、私を駆り立てるものはすべて失われてしまった。


 あとはただ生活があるだけだ。


 家庭も持たず独り身で生きてきた私にとって、あの男と少年探偵団こそが家族のようなものだった。

 いや、一人、父親のように慕ってくれた娘もいたが……いまも元気でいるだろうか。



 町内会館には、大勢の米寿を迎えた者、これから迎える者がひしめきあっていた。これでも三回に分けているのだという。これだけ多くの年寄りがいたら、そりゃ若者の負担も大きいだろうと嘆息する。

 私は、かつては怪人を名乗っていたぐらいだから国から年金はもらっていないが、だからといって生きていくにはコストがかかる。ただ生活するだけでも社会の恩恵に預かっているのだ。

 などと考えてから苦笑する。

 反社会的存在として生きてきた男が、いまさら何を。


 立食パーティー形式で行われた米寿祝いの式は、町議員の挨拶や地元の子供の合唱などがつつがなく行われ、そろそろ閉会を迎えようとしていた。

 まだ日が高いというのにウトウトと眠くなってきた私は、会場の隅で壁に寄りかかってぼんやりとしていた。

 これだけ年寄りを集めて立食形式なのは、予算の削減もあるのだろうが眠気防止と長居防止を兼ねているのかもしれない……。

「遠藤さん、遠藤さん!」

 いつのまにかそばに時田さんがいて、ねえねえ知ってる、と声をかけてきた。

「なんです?」

「遠峰さんから聞いたんだけど、小林探偵引退するらしいわよ」

 眠気が覚めた。

「え、そうなんですか⁉︎」

「あの人も、もういい歳だしねえ。むしろいままでよくやってきたほうだと思うけどねえ。なんか時代が終わったって感じがして寂しいわねえ」


 花道を飾らせてやろう、と思ったわけではない。ただ、名探偵の最後の事件には、やはり怪人がふさわしかろうと思っただけだった。負けてやるつもりはないし、最後に高笑いをあげて逃げおおせてやりたい。

 私は久しぶりに予告状をしたためた。

 明智記念館にある電人Mを取り返しに参ります、と。

 署名は、しばし悩んだ末、怪人八十八面相とした。四十面相の名はついに定着しなかったが、どうせ何面相を名乗ろうが二十面相の犯行といわれるのだ。

 きっと小林探偵だけは、律儀に「八十八面相!」と叫んでくれることだろう。



 

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