トナリとムカイと×××

宇部 松清

第278話 新たなる出会い!?

「とんでもないことが起きたんだ」


 なぜか左頬を腫らし、そんなことを言い出したのは、『隣のトナリくん』ならぬ、『向かいに住んでいるトナリくん』である。こいつからすれば俺の方が『向かいのムカイくん』らしいのだが、そんなことはどうでも良い。


 三度みたびの登場なのである。

 相変わらずこいつの脳内にて絶賛連載中らしい『向かいのムカイくん』第278話で、コンビ継続が危ぶまれるとんでもない事件が起こったと、1ミリも興味のない重大ニュースを引っさげて、白昼堂々やって来たのである。


「まぁ聞いてくれ」

「嫌だ。帰れ」

「これは実際に俺が体験したことなんだが――」

「俺の話聞いてる?」



「クソっ、またか」


 スマホを手に取り、時間をチェックする。午前二時。真夜中である。


 ここ数日、毎日と言っていいほどこの時間になると上の部屋がうるさいのである。上の階なのでさすがに声までは聞こえないものの、何をしているのか、どったんばったん大騒ぎなのだ。


 あれか。

 彼女か。

 連れ込んでるのか。

 この単身者向けアパートにか。

 いい度胸してんな貴様。

 下に住んでるこの俺が最近彼女に振られたばかりと知っての狼藉か。

 当てつけか。

 俺に対する当てつけかよ。

 俺には真夜中にどったんばったんする彼女がいるんですよってアピールか。

 俺だってな、彼女さえいたら毎晩どったんばったん大騒ぎだわ。……まぁ、毎晩はちょっと言い過ぎたけど、二日おきくらいならもう全然イケるんだからな。

 

 あーもーまじで寝不足だわ。

 お前のどったんばったんで寝不足なんだよこっちは。

 ここ数日、肌荒れとクマが標準装備だわ。装備っつーかこれステータス異常だろ。おい、誰か回復させてくれよ。ここが宿屋だったら、寝たら回復するシステムなんだけどな。いや、それも『寝たら』なんだよな。こんな感じで妨害された場合ってどうなんの? やっぱり全回復って無理なの? いやそもそもここ宿屋じゃなくて俺の部屋なんだわ。1DKの俺の部屋なんだわ。あー、RPGの世界に引っ越してぇー。


 とまぁ、いつもこんなことをダラダラと考えているうちに睡魔が襲ってきて再び寝るわけなのだが――、


「駄目だ。今日はなんか眠れん」


 眠れないのである。

 寝る前に怖い映画を見てしまったからかもしれないし、それを紛らわせるために濃い目に作ったカルピスをがぶ飲みしたからかもしれない。童心にかえれば何となく怖さが和らぐ気がしたのだ。全くそんなことはなくて、ただひたすら血糖値が上昇しただけだったが。クソが。


 だんだん腹が立ってきた俺は、一念発起して上の階に苦情を入れることにした。ソロプレイ彼女なし、ステータス異常のこの俺に怖いものなんてないのである。


 上の階のやつへの怒りを動力に、カンカンと階段を駆け上って、ドアの前に立つ。ぐっと拳を握りしめた。


 チャイムを鳴らすべきだろうか。

 このアパートのチャイムは案外うるさいのである。こいつのどったんばったんは俺にしか被害がないが、この時間のチャイムは両隣にダメージがいく。騒音の苦情を申し立てにきた人間が周りに迷惑をかけてはいけない。そうだろう?


 じゃあどうする。

 ノックか。

 この握りしめた拳を怒りのままに叩きつければ良いのか。いや、それもどうだ。コンコン、で済めばいいが、いまの俺ならドンガラガンガンズゴゴンズドン、くらいにはなりそうだ。力強く原始のリズムを刻みそうではある。何せ絶賛ステータス異常中だからな。ステータス異常にそんな効果はないけど。


 じゃあどうする。

 俺がこうしている間にも、この部屋の中ではどったんばったん大騒ぎなのだ。いまは下に俺がいないから良いけれども。いや、良くはねぇよ。


 やっぱりノックしよう。

 怒りよ、鎮まれ。コンコン、という常識的なボリュームになるくらいまで力を抑えるんだ。よ、よし行くぞ――……



「……というわけでな?」

「というわけでな、じゃねぇよ。お前、住んでるの二階だよな? あのアパート二階建てじゃん。ホラーかよ!」


 『向かいのムカイくん』はドタバタ日常コメディなんじゃなかったのかよ! ジャンルが違うだろ!


「まぁ待て。話はまだ続く」

「続くのかよ!」

「それで、そういうことがあって――」


 そう言って、戸成となりはぷくぷくに腫れている左頬を指さした。


「こうなったんだ」

「何がどうなったらさっきの話でそうなるんだ」

「何でだよ、わかれよ。だからさ」


 殴られた、のだそうだ。

 に。


「ちょっと待て。さっきの話、お前視点の話じゃないのか?」

「そんなわけないだろ、俺の部屋二階だぞ? ほら、お前の部屋も二階にあるからさ、窓を開けたら――みたいなのあるじゃんか、幼馴染みは」

「それは隣に住んでる幼馴染み限定のやつなんだよ! 道路挟んじゃ駄目だろ!」

「まぁ落ち着けよ向井。とにもかくにも、殴られたんだよ。ノックが聞こえたから開けたら、ズドン、だ。さっきのは下の階のやつ視点の話だ」

「お前、殴られてんのに、よくそこまで聞き出したな」


 ていうか下の階の人も怒り抑えきれてないじゃん。ドアオープンからのフルスイングなんて。まぁ、さっきの話が本当ならこいつはここ数日、真夜中にどったんばったんしてたらしいから、自業自得ではあるが。何やってんだ、真夜中に。


「いや?」

「は?」

「別に聞き出してない」

「へ? だってお前、彼女に振られたとかステータス異常がどうだとか濃いめのカルピスがどうだとかって」

「いや、どう見たって彼女いなそうだし、顔面がステータス異常だったし、濃いめのカルピスの匂いがしたんだって」

「最初の二つは失礼すぎるし、カルピスの濃さまでわかる嗅覚とかどうなってんだ!」

「あんな濃さで飲めるなんて、あいつ絶対金持ちだぜ」

「金持ちがどうしてあんな激安アパートに住んでるんだよ」

「たぶん……夢を求めて家を飛び出したんだよ。俺みたいに、さ」

「さ、じゃねぇよ! ていうか何なんだよ! お前が夜中にどったんばったん騒いで殴られたってだけの話をしに来たのか!? だとしたらマジでもう帰れ!」


 もう俺は学んだんだ。とにかく『いい加減にしろ』と言ったらアウトなのだ。あれを言ってしまうから何か本当の漫才をしていたみたいな空気になってしまうのだ。絶対に言わないぞ。


「いや、違うんだ。話はここからなんだよ」

「長すぎだろ! お前こんなのでよく『M-1出る!』とか言えたな!」

「その時はちゃんとダイジェストにするって」

「ダイジェストで良いわけないだろ!」


 とにかく最後まで聞いてくれ、と言う戸成の声が震えている。何だ、どうした。いきなりマジなトーンじゃないか。


「俺もさ、さすがに反省したからさ、さっき、菓子折持って下の階に謝りに行ったんだ」

「……ほぉ」


 驚いた。

 お前、そういう感情が搭載されてたんだな。そっちに驚いたわ。


「それで、そいつの部屋を尋ねたんだけど」

「お前、謝罪する気持ちがあるなら『そいつ』とか言うのやめろな」

「部屋の前に立った瞬間、何て言うんだろ、鳥肌が立つ、っていうの? ぞわっとしてさ」

「相変わらず俺の話は聞かねぇのな。いや、ていうか、何。ぞわって何だよ。これどんな話に着地すんだよ」


 もしかして、空き部屋だったとかそんなオチじゃないよな?! それとも、中で人が死んで――とか!?


「たぶん、お前もこれ聞いたらマジでビビると思う」

「なぁ、ホラーじゃないよな?」

「あのな、そいつ……」

「おい、俺の話を聞けよ!」

「ネームプレートがさ……」

「何だよ! もういっそ殺せ! 一気に言えよ馬鹿野郎!」


「『真下』って書いてて」


「……は?」

「だからさ! 真下だったんだよ! わかるか、この奇跡!」

「は?」

「わっかんねぇかなぁ! 『真下のマシタくん』だよ! これはもうスピンオフだろ! なぁ、どうするよ、本編を食う勢いで人気が出たらさ!」


 知らねぇよ!


「それでさ、もう俺も考えたわけ、まぁ、スピンオフは置いとくとしてもだよ。だってさ、向かいにはムカイくんお前だろ? そんで真下にはマシタくんがいるわけよ! これはもうトリオにするしかねぇのかな、って! これお笑いトライアングル完成してるよな! な?!」


 知らねぇよ! 何だよ、お笑いトライアングルって!


「だけどさ、俺、一緒にお笑いやるのはお前とだけって決めてたからさ、確かにちょっと運命的な出会いしちゃったけど、そんなことで安易にトリオにしちゃって良いのかな、って。何つーか、浮気、みたいなさ」

「いや、浮気も何もねぇから。俺、お前とコンビ組む気ないし。ていうか、真下さんを勝手に巻き込むなよ」


 真下さんの方でもはっきり言って恐怖だよ。

 毎晩真夜中にどったんばったんしてるやつを殴ったら、そいつから「トリオ組もうぜ!」って菓子折持参で勧誘されるとか。確実に通報案件だわ。


 ただとりあえず、真下さんは不在だったらしいので、こいつのトチ狂った連載に新キャラとして登場することは――まぁ時間の問題だろうけど。


「ていうか、真夜中にどったんばったん何してたんだ、お前。まずそれをやめろよ。真下さんが可哀相だろ」

「ああ、それはな――」


「お前からのツッコミで派手に転んだ時にちゃんと受け身を取れるように特訓してたんだ。ほら、収録中に怪我したら、それで仕事パァになっちゃうし、スタッフさんにも迷惑かけるだろ?」

「何でそんなところだけプロ意識高いんだよ! いずれにしても真夜中にすることじゃねぇよ!」

「自分のツッコミが原因で俺が怪我したってなったらお前も胸が痛むだろうしさ」

「痛まねぇよ! なぜならお前とコンビなんか組んでないからだ!」

「そんな! もう第278話なんだぞ?!」

「知るか!」

「もうお前は既に俺の人生の一部なんだよ!」

「勝手に組み込むな! だとしたら! ――あっ!」


 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 漫才の締めフレーズは「いい加減にしろ」だけではないのだ。

 案の定、戸成は、これを待ってました! と言わんばかりの満面の笑みで言った。


「どうも、ありがとうございました~」

 

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トナリとムカイと××× 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa

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