ウチのおばあちゃんは元気が良い
宇部 松清
おばあちゃんの日課はジョギング
「もう、おばあちゃんたら、あんまり無理しないでよね」
ちょっと軽く走って来るといって出掛けた祖母が、今日はかなり疲れたとぐったりして帰宅した。人一倍健康に気を使っている彼女だが、寄る年波には勝てない。
これが私の祖母だ。
令和になっても和服を普段着とし、見事な白髪を後ろでお団子に結った、いかにもな、『古き良きおばあちゃん』然とした88歳である。
口癖は、「アンタの花嫁姿を見るまでは死ねない」だ。残念なことに結婚の予定なんてないので、彼女はもう永遠に生き続けてもらうことになりそうではある。
けれどもそりゃあ昔は私にだって浮いた話の一つや二つあったもので、「じゃあ、私の花嫁姿を見たら、おばあちゃんすぐに死んじゃうの?」などと冗談めかして言ったこともある。すると彼女は入れ歯をカタカタさせながら、「そしたら孫の顔を見るまでは死なんさ」と笑うのである。そんなこと言ったら、次は孫が成人するまでだの、孫が結婚するまでだの、そうなればもちろんひ孫だって――となるに決まっているのだが、この祖母は冗談抜きにそれくらいまで生きそうだ。食べ物の好き嫌いもなく、本当に88歳の胃袋なんだろうか、とこっちがハラハラするくらいに脂っこいものも食べるし、夏にはアイスの早食い勝負だって仕掛けてくる。そして勝てない。彼女曰く、「入れ歯だから染みないのさ! あっはっは!」とのこと。
「それで? 今日はどの辺を走って来たの?」
冷蔵庫に常備してあるスポーツドリンクとレモンのはちみつ漬けを勧めながらそう言うと、「おお、これこれ」と目を細めてそれを受け取りつつ「今日はねぇ」と思い出すように視線を天井の方へ向けた。
「六甲トンネルさ。あそこはやっぱり良いね」
「まぁーた
「走りやすいんだよ、やっぱり。それにほら、あそこじゃあアタシもちったぁ有名人だからね。勝負を挑んでくる身の程知らずの馬鹿どもがいるんだよ」
「もう、無茶しないでよ? 昔ほどは走れないんでしょ?」
「馬鹿言っちゃあいけないよ! いまでもアタシの最高時速は180㎞/hさ!」
「最高時速は、でしょ? こないだなんて160㎞/hで限界だー、って言ってたじゃない」
「ふん! あの時はちょっと入れ歯の調子が悪かったのさ」
「入れ歯がどうして走りに影響するのよ」
「するに決まってんだろ! いいかい、ドライバーはね、まず、サイドミラーにチラチラ映る影を見る。そして、何だ何だと窓に視線を移すわけだ。そこに――、にっこりスマイルのアタシがいるってェわけよ。この一番の見せ場で入れ歯ががたついたら台無しじゃないか」
「えぇ? そういうものぉ?」
ため息混じりにそう言うと、ちょっと乱れた前髪を後ろへ撫でつけながら、得意気に「そういうもんさ」と胸を張る。
「第一アンタだって、思春期の頃は『ちょっとビタミン摂り過ぎちゃって裂けた口が治りそう~』ってアタシに泣きついて来たことがあったじゃないか。何が悲しくて孫の口を裂かなくちゃいけないんだい」
「そっ、そんなの昔の話でしょ!? もうそんなことでイチイチ騒いだりしないもん! いまはちゃんと自分でメンテ出来るし!」
「それと一緒ってこった。口裂け女のアンタがマスクを外した時のインパクトを大事にしてるのとおんなじなんだよ。アタシにだってターボババァとしてのプライドがあるんだ」
「もう、わかったわよ」
白旗を上げると、「アタシに勝とうなんざ100年早いんだよ」とカラカラ笑う。今日の入れ歯はしっかりフィットしている。ということはきっと、調子が良すぎて飛ばし過ぎたのだろう。そりゃあ疲れるわけだ。
やっぱりこの祖母にはいつまでも勝てる気がしない。
たぶん彼女は本当に私の花嫁姿を見るまでは死なない――というか、そんな予定もマジでないから、本当に永遠に生き続けるだろう。
六甲トンネルを走るドライバーの皆さん、申し訳ないですけれど、ウチの祖母を見かけたら、ほんの少しでも速度を落としてくださいね。あの人、追い抜いたら満足しますんで。
ウチのおばあちゃんは元気が良い 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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