食後に一杯の紅茶を

石濱ウミ

・・・



 それ、は猫だった。

 

 いや、猫というには大きすぎるし、何しろ後脚の二足ですっくと立っているのだから、猫ではないのだが、どう見ても猫だった。


 僕の頭一つ分小さなその姿から、身長は、およそ百六十センチメートル。風にそよぐ陽を含んだ長い毛並は厚く、ふわふわと柔らかそうなシルバーを基調にブラックの縞模様が美しい。複雑にオレンジが混じるグリーンの瞳を、玄関の扉の前で戸惑いを隠せない僕に、真っ直ぐ向けている。


「……通達です」

「えっ? 誰が? 誰の? 何の?」


 彼? 又は、彼女? は斜め掛けした帆布の鞄から何やら取り出すと掌……肉球? の上に乗せて僕に差し出すようにした。

 封筒に入ったそれを、恐るおそる受け取って目を上げる。

 その目の前にある、ぷっくりとした口元が微かに震える様子は、緊張や不安からなのだろうが、柔らかそうで思わず視線が吸い寄せられた。


「ボクは……特例孤児法に基づき、貴方の被保護者として、この家で養育されることになるそうです」

「……え? 聞いてないよ何それ、本人来ちゃうとか、すでに決定事項なのってそれより君は、誰? どこの星から来たの?」

「えっとそれが……それは……その通達に書かれていることを読んで頂ければ、分かると思います」


 渡された通達に書かれていた彼――十四歳の男の子であった――は、宇宙探索任務に就く地球人の両親の元で育ったのだそうだ。

 元は惑星ツイ・ゴアブでの星間戦争に巻き込まれ孤児となっていたところを、探査任務でその惑星に赴いていた後の養父母となる地球人と出会い、拾われ、特別養子縁組を組んだというのだから驚く話だ。

 どうやれば異星人と特別養子縁組が組めるのかも分からないが、添付されたファイルの中の養父母に抱かれている彼は、どう見ても地球に良く居る仔猫だった。

 間違えて拾ったとかじゃないよな、と不謹慎な疑問までもが思わず浮かび上がるのを打ち消すように読み進めれば、彼の出身地である惑星ツイ・ゴアブの乾燥大気の主要成分は、ややアルゴンが多いものの地球と酷似しており、であるならば彼も適応出来るだろうと探査任務を終えた養父母は、彼と三人で懐かしい故郷に帰還し、地球で暮らすことを選んだそうである。


「帰還途中でした。ボクたちの船は紛争空間を迂回する形で……」


 要するに、迂回したつもりが叶わず、彼を遺し養父母は亡くなったのだ。


「で、その養母の実弟である僕に白羽の矢が立ったという訳なんだ……って、ええ?!」


 実弟とはいえ僕と姉は四十歳も歳が離れている上、面識も無い。

 勘弁してくれよ、と言いかけて口を噤む。

 目の前でションボリと洞毛口髭を下げられてしまっては、それを言葉にするのは憚れたし、心なしか耳も下がって見えるのは気の所為では無さそうだった。


「と、ともかく玄関先で話すことでも無いし、中へどうぞ」


 あたふたと彼を部屋の中へ通し、取り敢えずお茶でも出そうかと考えて猫……いや、猫に似た異星人は、やはり猫舌なのだろうか冷たい飲み物のが良いのかと考える。


「あの〜。良かったらボクが、お茶の支度をしましょうか?」

「ひぇッ」


 情け無い声が出てしまったのも、僕のすぐ背後に立つ彼には、忍び足のつもりなどないのだろうが、気配もなければ足音も全く聞こえなかったからだ。


「お、驚かさないでくれよ」

「……すみません」


 思わず自分を抱きしめていた両腕をさりげなく外しながら「温かい飲み物なら、コーヒー抽出機があるからスイッチ一つで出来るんだけど」と、指差してみる。


「それとも、冷たいのが良いのかな? 何か飲みたいものある?」

「……えっと、その……紅茶は、ありますか?」

「子供の頃は、淹れて貰って良く飲んだなぁ。ミルクを入れたり入れなかったり。だけど自分で淹れると、ちっとも美味しくないから茶葉すら買わなくなってしまったんだ」


 あははと可笑しくも無いのに笑ってみせたが、僕を見る猫顔の彼の表情は、いまいち掴めない。


「あの……ボク、紅茶の葉を持って来てるんです。良かったらボクが淹れてみても良いですか?」


 そう言った彼は、両掌……肉球を合わせ首を傾げる。僕を見上げる澄んだ眼差しに、断れよう筈もない。

 一人で暮らすようになってからは使うこともなくなり、仕舞い込んでしまったティーポットやら、ティーカップを探し出すことから始めた。

 ようやく見つけ出した懐かしいピノキオの絵柄のティーカップは、二客と小さなクリーマーが一つ。

 丁寧に洗って布巾で拭う。

 その間に、隣りに並び湯を沸かす準備をする彼を、盗み見る。

 ……猫だ。

 小さな丸い頭。

 可愛らしい三角の耳。

 抱きしめたら柔らかそうな毛並みに、手を沈め顔を押し付けたくなる。しかし、どうやったところで巨大な猫にしか見えない彼は、十四歳の少年なのだから、いきなりそんなことをするのは犯罪に近い。そうは思っても、触れたいと意識してしまった両腕がソワソワと痺れるようで、そそくさと傍を離れることで自制を働かせることにした。


「えっと……座って待ってるね。何かあれば声をかけてくれるかな」

「はい。淹れたら、お持ちしますね」


 笑った、と思う。

 二本の犬歯がちら、と覗いたからだ。

 猫なのに犬歯とは奇妙な気がするが、そもそも彼もまた猫ではないのだ、と首を小さく振りながらソファに身体を預けた。


 封筒の中には、もう一つチップが入っていたので、それを端末に差し込みファイルを呼び出す。内容に目を通しながら、彼が紅茶を持って現れるのを待つことにしたのである。

 自分以外の誰かが立てる音を、聞くともなしに聞きながら何かをするのは、随分と久しぶりだった。

 落ち着くような落ち着かないような、こそばゆい気持ちを持て余しながら、彼とは、何から、どこまで話をするべきなのだろうと考える。

 何故ならファイルを最後まで見たところ、彼を養育するのは僕ではなくても良いことが分かったからだ。養父側の親戚もまた彼を引き取る義務があり、双方話し合いの末、結論を出すようにと書かれてある。

 残酷なようだが、責任という名の厄介者の押し付け合いになるのは目に見えていた。

 突然現れた、遥か遠い惑星から来た異星人、である。それも人型ですらなく、何を考えているのか表情さえも読み取れない。

 

 微かな陶器の触れ合う音に、顔を上げる。

 器用に紅茶を運ぶ彼の姿を見て、僕はファイルを閉じた。どうやって切り出そうかと思いながら……。




「…………」


 カップを、すっと持ち上げたその瞬間から、懐かしい香りに包まれていた。

 華やかで甘い花の芳香に似たそれは、口に含み咽喉を滑り落ちれば鼻に抜けた途端に、爽やかな果実を思わせるのだった。

 ……美味しい。

 それどころか、この味は、この香りは……思わずカップの中を覗き込んだ。透き通るオレンジ色の液体が燦く光を反射させたその時、忘れていた過去の何気ない日々が蘇る。


 目元に優しい笑みを含んだ母が、細くしなやかな指で持つカップを口に寄せる仕草。

 庭から吹く柔らかな風に乗って、草 いきれと花の甘い匂いが部屋の中に届く。

 カップをソーサーに置く微かな音、目を細め窓の外へ顔を向ける母。


 あの、穏やかな時間。


 時を越え、遥か宇宙さえも越えて、再び僕の目の前に現れた家族。


「どう……でした?」


 心細い声に、我に返る。

 何か言わなくては、と思うのに咽喉に鉛が詰まったようで、言葉が出ない。

 僕は、頷く。

 ただ、頷く。


 お互いに黙ったまま、紅茶を飲む。

 永遠にも感じるほど長いようで短い、カップ一杯分のひととき。

 勿体ないと思いながらも、最後の一滴まで、ゆっくり味わうとカップを置いた。陶器の触れ合う密やかな音が、部屋に響く。


「……良かったら、明日も飲みたいな。次の日も、また次の日も……その、君が嫌じゃなければ……ずっと」


 僕は、目の前の彼の顔を見る。

 猫顔の表情が読めないなんて、もうそんなことはない。


 だって、ほら。

 いま彼は、僕と同じ顔をしている。


 




 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

食後に一杯の紅茶を 石濱ウミ @ashika21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説