後編

 そういえば、5月は花畑みたいだったな。瓦礫の山には赤いすずらんテープがはためいていた。遺体の発見場所のマークは赤。それ以外は黄色だ。


 Z市の瓦礫はどこまでも赤いビニールがひらひらと。これらが全て、人間が最後に流れ着いた場所だとは、考えたくも無かった。


 アツシさんの中古の軽は、港をさっと通り抜けると、リアス式海岸の凹を目指して走り続ける。


 そうして中継場所のとある集落へ辿り着くと、プロの機材スタッフがせっせと中継準備を進め、高名なアーティストが美しいオブジェを作り上げていた。夜にはこれがキャンドルでライトアップされるらしい。


 僕はスタッフと挨拶を交わしながら、こんなプロたちの中で何をやらされるのかとドキドキした。


「それがさ。SNSでも配信したいんだけど、みんな使い方、良く分かってなくてさ。君、TwitterとかFacebookとか出来るでしょ? リアルタイムでの写真や動画のアップ頼むよ」


 TwitterもFacebookも数年前に日本に上陸したばかり。特にTwitterは東日本大震災で、被災者の救助にも役立ったことから、ここ1年で急激に利用者数を伸ばしていた。


 なるほどと思いながら、自分の座る席や、PCの動作環境を確認する。サンドイッチを頬張りながら、ひと通り作業を終える頃には、14時近くなっていた。


 あと1時間もしないうちに黙祷だ。そう思って少し休憩を取ろうと考えていると、アツシさんに声を掛けられた。


「山本君、良かったらドライブ付き合ってくれないかな?」


「え……………分かりました」


 一瞬躊躇したが、アツシさんの笑顔を見たら、何だか断れなかった。断ったら恐ろしいことが起きるような気がした。


 アツシさんの軽自動車は入江をゆっくり離れる。てっきり隣の集落にある漁村へ向かうのかと思っていた。そこに彼の両親が亡くなった実家があるからだ。しかし、車は何故か山中を高く高く登ってゆく。


「そういえばさ、藤原君は元気?」


 ふいにそう問われて、また言葉に詰まった。藤原は大学の同回生、関東風に言うなら同期である。関西から出て来た者同士仲良くしていたが、藤原の出身は神戸だった。


 自分と一緒に東北ボランティアに参加し、そして瓦礫の山を見て、藤原は阪神淡路大震災の時のPTSDが再発し、現在東北からは遠ざかっていた。


「少し良くなって来ました。今日は生配信観る言うてました」


「そうか。それは良かった。X地区で倒れた時はびっくりしたから」


 Z市X地区は津波に加えて、大火災が発生したエリアである。その焼け跡が阪神淡路大震災の神戸を連想させたのだろう。藤原の背中をさすりながら、彼にのこのこ付いて来た自分の間抜けさを呪った。自分は今まで運が良かっただけなのだと。


 アツシさんは不思議な人だ。この1年間、彼はずっと他人の心配ばかりしていた気がする。


 この辺りは苗字がほとんど同じなので、みんな下の名前か、屋号で呼ばれるのが通例である。屋号で呼ばれないということは、アツシさんは亡くなったご両親を継がなかったのである。


 この地域の花形職業である漁師に、彼はならなかったのだ。


 無言が続く車内。窓の外は鬱蒼とした森が続く。自分が何処に居るのか、とっくに分からなくなっていた。


 藤原のことより、もうすぐ14時46分では無いだろうか。停車の気配の無い軽自動車に、段々と焦りを覚えて来る。


 ひょっとして天国行きなのだろうか。そう思えるほど、上へ上へとアツシさんの軽は登り続ける。


「14時46分はさ。俺の時間じゃないんだ」


 突然、アツシさんがポツリと呟いた。


 その真意を問おうとすると、呆気なく答えが返ってくる。


「俺が津波に遭ったのってさ、14時46分じゃないの。その後なの」


 アツシさんは押し寄せる波のように、唐突に語り始めた。その日、第一波を高台で迎えた彼は、波が引いた時に助けを呼ぶ声を聞いたという。


「誰かがさ。親が高齢で、運べないって叫んでてさ。俺、他人事に思えなくてさ。そこまで探しに行ったの。そしたら第二波が来てさ。馬鹿みたいでしょ? 自分の親は死んだのにさ」


 アツシさんの顔を見れなかった。ただ助手席で、眼前の山道を見据えながら、行き先を見守るしか出来ない。


「だからさ、俺には関係無いからさ。14時46分のサイレンから逃げようと思って」


 アツシさんがそう言った時、山道が急に開け、高台の畑の海へと飛び出た。空を飛んでいるのだと見間違えたほど。


 海が見える。暖かくて美しい太平洋の大海原が。薄い雲の膜から、太陽がてらてらと、優しく海面を照らしている。


 キキッと急停車すると、アツシさんはサイドブレーキを勢い良く引き上げた。


 その瞬間。


 けたたましいサイレンの遠吠えが、静まりかえった斜面にじりじりと響き渡る。


「でも逃げられなかったみたい」


 2012年3月11日。14時46分のサイレンの中。ハンドルに顔を埋めて啜り泣く声。


 僕は水平線を見つめながら、エンジンの切れた車内で、ただそっと目を閉じた。

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天国に1番近い時間 空良 明苓呼(別名めだか) @dashimakimedaka

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