ぐちゃりぐちゃり

「ほう朝毎の記者さんね。ずいぶんと若いな」

 印袢纏に股引を履き、地下足袋という職人風の男は、新聞記者に胡乱げな視線を向けた。

 こういう反応に慣れっこの記者は動じた様子はない。

「一年前の、例の事件についてお聞かせ願えれば」


 そう言って、記者は手帳に貼り付けられた小さな新聞記事を見せた。


「ありゃ一応師匠から箝口令が敷かれてるんだが……といっても俺も今や一門でもないし、まあいいか。俺もとばっちりを受けたクチだしな」


 彼はかぶりを振ると、意外にすんなりと事件のことを話しはじめた。


――偏狭さんは一応俺の兄弟子にあたるんだが、あの当時もう四十過ぎでね。

 真打ちに昇進したのは東風亭一門の中でも一番遅かったんじゃないかな。


 知っての通り、落語家ってのは人気商売だ。あの人は、なんというか……華が無いんだ。


稽古には人一倍真面目に取り組み、芝居噺をさせれば一門の中でも右に出るものはいない。だがクソ真面目過ぎて、滑稽噺をさせてもさっぱり笑えない。まあ噺家にとっちゃ致命的だな。


 とはいえ、率先して雑用をこなすから、一門の中では重宝されていたね。 だがまあ、どんどん弟弟子に追い抜かされて噺家として忸怩たるものはあったんじゃないかね。師匠も厳しい人だったから、客を集められない奴は真打ちにはさせられないと発破をかけるんだか、馬鹿にしてるんだかの言葉をかけていたなあ。


 本人も、いつか満座の高座で真打ちとして客をどっと沸かせるのが夢だと話していたっけ。

 ある意味、その夢が偏狭さんを思い詰めていたんだろうね。いつか橋の上から身投げをするんじゃないか……そんなことを思った事もある。


 そんなある日、偏狭さんがこれみよがしに着物の帯に黒光りする鉄扇を差してきたことがあってね。もちろん、高座で鉄扇なんて重くて使えたもんじゃないと思いはしたけど、そこは兄弟子。文句は言えた義理じゃないから黙っておいた。


 その値段が百圓と聞いた時には吃驚びっくりしたね。

 ただ、その鉄扇を差してきた日から、偏狭さんの芸がぐっと良くなり、人気も出始めた。


 元々人一倍稽古を重ね、覚えた噺も一門の中で群を抜いている人だから実力はある。だから不思議はない、無いんだが薄気味悪さも覚えたのも事実だな。

 なにしろ、どこぞの師匠かと思うほどの芸の冴えなんだから。


 ともあれ、ずっと二ツ目止まりの偏狭さんもいよいよ真打ちもしてよかろうと、師匠から真打ち昇進を許可され、あの披露興行を迎えたという訳だ。


 これは事件の後に聞いたんだが。

 あの鉄扇は大島紬を着た大層美人で評判の骨董商から譲り受けたものらしい。


 かの骨董商の言によれば、さる御武家さんが祝いの席で贈られた品で、その後その御武家さんをはじめ持ち主がとんとん拍子で出世したとかいう逸話がある縁起物だそうだがな。

 それがまあ……なんで偏狭さんの手元に来たのだか。


  ともかく、兄弟子は其の日もいつも通り高座に上がった。

 客の入り?まあ、少なかったと思うね。詳しくは覚えてないが。

 噺は「太平記―吉野城軍事之事」だったかな。もちろん新作の芝居噺だな。

 護良親王もりよししんのうを逃すために、親王の甲冑を着て幕府方を欺いた村上義光が切腹する段になった時だ。


 偏狭さんが一際鬼気迫る顔になって、鉄扇を腹に突き入れたんだ。もちろんいくら鉄製といったって鉄扇が腹を切り裂く訳じゃ無い。あくまで、短刀を模してフリをしたに過ぎない。

 ただ、腹に鉄扇を突き入れた時に、舞台袖から見ていた俺にはパッと赤いものが噴出したように見えた。ははーん、さては血糊でも仕込んだな偏狭さん、とそのときには思ったね。

 偏狭さんは顔に脂汗を滲ませながらも鉄扇で十文字に腹を切り裂く演技をして見せた。


 少なくともそのときの私にはそう思えたね。

 ただ、次がよくなかった。


 「ぐちゃり、ぐちゃり!」


 そう擬音を大声で叫んだかと思うと、真っ赤な何かに塗れた何かを客席に向けて放り投げたんだ。

 それがたまたま見に来ていたご婦人の顔に、びしゃっという音を立ててまだ湯気の出たそれが顔にかかったんだ。ご婦人は絶叫したあと、気を失って倒れたんじゃなかったかな。無理も無い、災難にも程がある。


 ああ、ちなみに元になった太平記のその段によれば、義光は自らのはらわたを引き千切り敵に向かって投げつけ、刀を口にくわえてうつ伏せになって絶命したとか。


 大騒ぎになったせいでその瞬間を目撃したものは居なかったが、偏狭さんは口にくわえた鉄扇が「向こう側」まで貫通している状態で絶命していた。

 その死に顔は大層、満足げだった、らしい。


 らしいってのは、俺も情けないことにその凄惨な事態を見て気絶しちまったからなんだがね。


 警察も馬鹿じゃない。

 たいして尖りもしていない鉄扇で腹が割ける訳もなし、ましてどんな馬鹿力があれば鉄扇が貫通するんだって話だ。だが、結局どう警察が調べても「凶器」は出てこず、自分の将来を悲観して高座上で自殺、ってことで話はついた。

 ただ、一応の証拠品として押収されたはずの鉄扇は警視庁の倉庫から行方不明になるというオチがついた。


 その後は記者さんもご存じだろう?

 東風亭一門は事実上解散、弟子たちも他の一門に引き取られるか廃業。

 今や落語界では東風亭一門は無かったことになってる。

 え、その鉄扇に似たものが先日オークションに?本当かね、それは。

 

 それで、記者さんこんな事件記事に出来るのかね?多分無理?

 まあそうだろうね。

 ああも、ぐちゃぐちゃじゃあな……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女骨董商の商談 高宮零司 @rei-taka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ