王様のパンケーキ
五色ひいらぎ
王様のパンケーキ
私の目の前に、一皿のパンケーキが置かれています。
「怪しいよな、レナート」
「怪しいですね、ラウル」
宮廷料理長ラウルの言葉に、全面的に同意します。
積み重なった三段のパンケーキの間から、固めに泡立てられたクリームがたっぷりとはみ出しています。合間に見える橙色は、冬にとれるオレンジでしょうか。黒ずんだベリーもちらほら見え、バランスのとれた盛り付けは作り手の力量の高さを伺わせます。
そして一番上には、放射状に並べられたスライスアーモンドの中心に、「大切なあなたへ」の文字が書かれた焼菓子製のプレートが。
「これが国王陛下の部屋に置かれていた。警備兵にも誰にも気づかれずに。奥方も王太子夫妻も、メイドたちもその他の使用人たちも、まったく心当たりがないらしい」
「怪しいですね」
「本当にな。何が入っているか、わかったもんじゃねえ」
ラウルの言葉が正しいとすれば、大変に由々しき事態です。国王陛下の私室に、何者かの侵入をこうも易々と許すとは……王城内の警備態勢を根本的に見直す必要があるでしょう。
そして、犯人の狙いはなんなのか。「大切なあなたへ」の文字から読み解くのは困難です。国王が、国家にとって最も大切な人物であるのは明らかなのですから。それに……
考えを巡らす私を前に、ラウルは何度も神妙な顔で頷きました。
「このあからさまに怪しいパンケーキを前に、やるべきことはひとつだ」
「私としては、やるべきことはいくつもあると考えていますが。あなたの意見をお聞かせください、ラウル」
ラウルは何度も大きく頷きました。
そして、パンケーキの皿を私の方へ押してきました。
「食え、レナート」
「……は?」
……この男、いったい何を言い始めたのでしょうか。
「これをですか?」
「もちろん」
「何が入っているかわからない、あからさまに怪しい皿ですよ?」
「だから食え」
「毒でも入っていたらどうするんですか?」
「あんた毒見人だろ?」
……ようやく言いたいことがわかりました。が、この男、私をなんだと思っているのか。
「どうやら重大な勘違いをされているようですが。毒見人の仕事は、安全そうな食物の安全を確保することであって、見えている罠に自分から突っ込んでいくことではありませんよ」
「あんたの舌なら、罠があるかないか一発でわかるだろ?」
「……未知の毒物の可能性もありますよ。完全に無味無臭の猛毒が、この世のどこかに存在しないともかぎらない」
「あんた以前、鉱物性の毒も見分けたって聞いてるが」
「鉱物性というなら岩塩もそうでしょう。味と物質の由来とに、必ずしも相関関係はありませんよ」
奇妙に食い下がるラウルの態度が、どうにも気になります。
そこまで怪しい菓子、単に処分してしまえばいいではないですか。そうできない理由が何かあるのですか――と考えかけて、私は一つの可能性に思い当たりました。
しかし、その仮定が正しいとして、動機が思い当たりません。なぜ、犯人はそのようなことをしたのか。
少し興味はありますが……あくまで仮定です。私の考えが正しいかどうかを、まず確かめなければならない。
そのためには――
「……わかりました。このパンケーキの毒見、引き受けましょう」
「おう、助かる。こいつは見るからに怪しすぎるからな、あんたの舌なら正体を見定められるだろう」
ラウルは楽しそうに笑っています。毒入りかもしれない皿を他人に押し付けて、ずいぶん楽しそうですね。
まあ……その理由も、私の仮定が正しければ明らかになるでしょうが。
添えられていたフォークを手に、まずは、はみ出たクリームを少し掬って口に運びます。いつもながら緊張する瞬間です。
「……ふむ」
固く泡立てられたクリームには、甘すぎない程度の砂糖が入っています。ほんのりと爽やかに香っているのはレモンの汁でしょうか……かすかにリキュールの匂いもします。私に感じ取れるかぎりにおいて、食物以外の雑味はしないようです。
「どうだ?」
「既知の毒物の味はありませんね。香味付けのレモンや酒は入っているようですが」
「そうかそうか」
なぜかラウルが嬉しそうです。
「じゃあ次は果物だな。毒はどこに隠してあるかわからねえからな」
「あなた、そんなに私を毒殺したいのですか?」
「あんた、毒を食べるのが仕事だろ?」
「違います、と何度言ったら分かるのですか……」
反論に疲れつつも、私の仮説は徐々に確証に変わってきました。
ただ、証拠はもう少しほしい。と、するならば――
私は無言で、クリームに埋まったオレンジへフォークを刺しました。
「なんだかんだ言っても、毒見人様は仕事熱心で助かるぜ!」
反論する気力も失せつつ、私はオレンジを口に運びました。
薄皮を軽く噛めば、甘酸っぱい果汁が滴ってきます。これは鮮度も糖度も高い、かなり上質のものですね。……果実以外の味は、付いていたクリーム以外にはありません。
「こちらもただのオレンジですね。毒はないようです」
「そいつはなによりだ。じゃあ次はパンケーキ本体だな! ぱーっと食っちまえ、ぱーっと」
「どこの世に、正体不明の料理をぱーっと平らげる毒見人がいるのですか!?」
「『神の舌』に不可能はねえよなあ?」
「人を
言いつつ私は、パンケーキをひとかけら切り取りました。スライスされたアーモンドが、二枚ほど皿に落ちました。
私の仮説は、これですべて立証されるはず……柔らかなパンケーキのひとかけらを、口に運びます。
私の手元を、ラウルがじっと見つめています。本人は隠しているつもりでしょうが、軽く持ち上がった口の端が、とんとんと己の顎を叩く指が、うきうきした内心を物語っています。
思った通り、パンケーキは極めて高い水準の出来でした。生地はふわふわとして、甘味も過剰ではなく、卵のこくも申し分なく、クリームと共通のリキュールがかすかに滲みて良いアクセントになっており……既知の毒の味など微塵もありません。
あたりまえですね。私の仮説が正しければ、犯人がそのようなことをするはずはないのですから。
「どうだ?」
奇妙にうきうきした声色で、ラウルが訊ねてきます。
「こちらも、既知の毒の味はしないようです。だからといって、安全と言い切るには早計ですが」
「なら全部食って確かめるしかねえな! ほら、下の方の段に毒が隠してあるかもしれねえし」
そこで私は、できうる限りの低く冷ややかな声を作りました。
「……その必要はないと思いますがね。犯人に明確な殺意があるならともかく」
「殺意は……あんだろ? こんなあからさまに怪しい皿を――」
「あなたが人を殺せるのなら、別ですがね……ラウル料理長殿?」
目を細めてにらみつけてやれば、ラウルはまっすぐに目を合わせて、不敵な顔で笑いました。
「いつから気付いてた」
「最初から。確証を得たのは、すべてを口にしてからですが。味の調整にせよ焼き具合にせよ、デリツィオーゾの料理人のうちでここまで高水準にまとめられるのは、あなたくらいでしょう……なぜこんな真似を?」
訊ねればラウルは、意外にも素直に答えました。
「陛下に頼まれた。あんたのための一皿を、作ってやってくれと」
「私は毎日、あなたの料理を食べているではありませんか? なにを今更――」
「だがそれは毒見人としてだよな。全部、陛下のための料理だ。たまにはあんたのためだけに、うまいものを作ってやってくれとの仰せだった」
「であれば……なぜこんな遠回りな真似を」
ラウルは、少しだけ手を付けた跡のあるパンケーキの皿を、静かに見つめました。
「あんた、陛下からの個人的な贈り物は全部断ってるんだってな」
「地位も給金も食べる物も、既に十分いただいていますからね。それ以上は分不相応というもの。私はただ己の職務だけを――」
そこまで言った時、ラウルは破顔一笑しました。
「なら、仕事なら断れねえだろ?」
ああ、そうですか。そういうことですか。
「大切なあなたへ」の言葉は、陛下から私へのお気遣いだったのですね。
「まあそんなわけだ。食べかけのパンケーキ、他人に食わすわけにゃいかねえだろ……おとなしく平らげな」
「極めて、不本意ではありますが」
私は、深く溜息をついてみせました。
「宮廷料理長手ずからの一皿、無駄にするわけにもまいりません。いただきますよ」
私は、「大切なあなたへ」の焼き菓子プレートを口へ運びました。
噛めば、さくりと音を立てて生地が砕けます。軽快な歯ごたえ、香ばしい小麦の香り、他と同様の甘すぎない風味。
プレートをかじる私の口を、この一件の犯人――ラウルがにこにこと眺めています。
結果的には、あなたの思い通りになってしまいましたが。
今は不思議と、苛立ちはありません。
爽やかなクリーム、上質な果物、柔らかく香ばしいパンケーキ生地。
彼の腕前の精髄を一息に刺し貫き、私はそのすべてを、一度に口へと運びました。
【終】
王様のパンケーキ 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki
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