それが殺意に変わるとき

古博かん

推し活——それが殺意に変わるとき

 妹には何かに没頭する癖がある。


 その没頭対象はその時々でコロコロと変遷を遂げてきたが、基本はいつも同じだった——幼少期は好きなアニメの美少女ヒロイン、中高生になると漫画の主人公から派生してアニメで声を当てる人、大学生になると年齢の近いアイドルグループのファン活動に熱心になった。

 ライブやグッズのためにバイト三昧の日々、単位が危なくてもファンミーティングとやらに駆け付けてしまう。はたから見ていて、それはもう心身も生活も金銭面も含めて病的に依存して心酔している信者のようだった。

 妹が自分のお金で何しようと勝手だし逐一口出しするのは憚られたが、この先どうするのか、そればかりは気になった。


 碌な就活もせずに卒業して程なく、そんなアイドルグループの追っかけは、特にファンだったグループメンバーが次々と熱愛、結婚を発表したことで解散し、直後は誰とも分からない相手に向かって剥き出しの敵意を顕にしていた妹だったが、それを機にスッと熱が冷めたようにファン活動をやめてしまった。


 その後、特に何事にも熱中することなく黙々と半ば死んだような目をしてパートタイムの非正規雇用で働いていたが、三十を目前にした今年、妹の「それ」は突如再燃した。

 よく分からないが、俳優であり歌手でもあるといった海外のナントカいうバンドグループらしい。

 容姿が良い、声が良い、楽曲が良い、生き方考え方がとにかく良い。もっと世間に認知されるべき——久々に明るく弾んだ声でキラキラの笑顔を見せる妹に、なぜか底知れない恐ろしさを感じたのは、この時が初めてだった。


 最初の違和感は、「有給取れたからライブに行く。お姉の家から近いから泊めて」と言われた時のことだった。

 一泊ならと、許してしまったことをきっかけに、妹の要求は少しずつ、少しずつ厚かましくなっていった——と今だから思う。


 海外のバンドグループだから、そうそう日本でライブをするわけじゃない。それでも昨今、便利になったネット配信でライブ中継を視聴できるし、そこから課金応援できるようなシステムがあるらしい。

 妹は夜な夜な部屋に閉じ籠り、どうやら徹夜でネット配信に齧り付くという生活サイクルを送るようになってしまった。

 元々不規則なシフト体制でのパートジョブのようだから、日によって働きに出る時間はまちまちだったが、ほとんど午前中は寝ているらしく、不気味なほど静かだった。


「ねえ、あんたの方の家、大丈夫なの?」


 週の半分以上を平気で入り浸り、うちで過ごすようになった妹にそう尋ねると、妹はキョトンとした表情でこちらを見た。


「え? 家賃もったいないから解約したし。お姉んとこ部屋余ってんだからいいじゃん」


「は……? ちょっと待って、急に何言ってるの? 解約って、いつの話よ、聞いてないよ!」


「だって、言ってないし。お姉だって一人暮らしなんだから、別に問題ないじゃん。彼氏いる気配ないし?」


 ケラケラと笑う妹の表情に、明らかな違和感を覚えた。

 例のバンドグループの誰それが、次のライブで何々をする予定だから、シフト変えてもらった。

 時差の関係で生配信が夜中から明け方になるから云々、CDだかブルーレイだかの特典がこれこれだからフルコンプするのに何たら、そんな聞いてもいないことを怒涛の如く捲し立てる妹は、完全にかつての依存体質を爆発させていた。


「話を逸らさないで! ずっと一緒に住むなんて、あたし絶対嫌だから! あんたが何に没頭しようが勝手だけど、せめてきちんと自活しなさいよ!」


 家賃も生活費も出さないで好き勝手されるなんて冗談じゃない。

 留守の間に何を仕出かすか分かったものじゃない——今の妹の姿を見て心底ゾッとした。妹だから、一泊なら、なんて甘い顔をするんじゃなかったと後悔した。


「はあ !? キレられる意味分からんし!」


 部屋に閉じ籠る直前に見せた妹の表情からは、もはや狂気に近い何かを感じずにはいられなかった。

 軽い頭痛を覚えて、その晩は夕飯も喉を通らず鎮痛剤を飲んでシャワーだけ浴びた。とにかく一度、ゆっくりと休んで目覚めれば、一連の悪夢が覚めるのではと儚く思った。


 翌朝も、妹は相変わらず部屋に篭ったまま不気味な沈黙を貫いた。

 心配ではあったが、貴重品の類は不用意な場所には置いていない。仕事の時間も差し迫っているし、とにかく鍵をかけて家を出た。

 仕事中も気分はずっと晴れなかった。

 胃の辺りがムカムカし相変わらず鈍痛が首の付け根に重く響く。あまり薬に頼りたくはないが、午後に差し支えるのは困る。

 無理矢理噛み砕いた栄養補助バーを飲み下し、一緒に鎮痛剤を水で流し込んだ。


 薬が早く効くよう念じながら午後の業務を再開して、小一時間程経った時だった。やたらスマホに通知が付くのが気になって確認すると、全く身に覚えのないカードの利用履歴通知が間髪容れずにずらりと並んでいた。


「え……? 何これ」


 慌てて財布を取り出して確認すると、カードそのものはちゃんと手元にある。無くした覚えも放置した覚えもないが、通知の明細は利用したこともない海外の怪しげなサイトばかりだった。


(フィッシング? ウィルス? え、何これ。何で?)


 一層重たい鈍痛を抱えながらも、とにかくカード会社に連絡しないと、と席を立った。

 品質向上のため通話を録音云々という自動アナウンスの後なかなか繋がらない電話にヤキモキしながら、熱を孕むこめかみのあたりはざわめいたままだ。

 まさかと思った、さすがにこんなことしないだろうと信じたかった。


「大変お待たせ致しました、四菱詰友VISOカードお客さまサポートデスク担当タナカでございます」


 淡々とした口調で応答する女性の声にハッと我に返り、言葉に詰まりながら身に覚えのないカードの利用明細が立て続けにメール通知されている旨を伝える。

 電話の向こうでは一応の決まりと言わんばかりにカードは手元にあるか、最後に使用したのはいつか、どこで使用したか、カード番号を照会するための本人確認等を一通りやり取りするが、正直、耳の奥にこだます脈動の方が大きくて、ちゃんと受け答えできているか自分でも不安になった。


 何とか、カードの一時利用停止の手続きを終えて通話を切っても、ずっと動悸が続いていて思わずその場に踞ってしまった。スマホを握りしめる手が震えておぼつかない。

 脳裏をよぎるのは、考えたくもない最悪なシナリオばかりだった。


(これは、犯罪だ。まさか、さすがにこんなことするはずがない……いくら何でも、まさか)


 いつまでも離席しているわけにもいかず、震える膝を奮い立たせて何とか立ち上がった時、手元のスマホが猛り狂ったように振動した。画面には妹の名前——目の前が暗転していく心地がした。


「なに……?」


 恐る恐る通話を押すと、こちらの言葉なんかまるで聞く気のない荒ぶった怒声でスピーカーが音割れを起こす。


「ちょっと! カード急に承認通らなくなったんだけど、何してくれた !? 支払い無効キャンセル垢BANアカウント停止されたし! 推しのイベント投票、あと一時間で終わっちゃうんですけど !?」


 一体、何を言っているのだろう。

 その後も、理解できない猛烈な怒りをぶつけてくる妹の言葉は、もはや一切言語変換不可能だった。


「あんたが自分のお金で何しようと勝手だけど、せめてきちんと自活しなさいって、あたし、言ったよね? それが、どういうこと? 何であたしのカード使ってるの?」


「はあ !? そんなんカード使えなくなったからに決まってんじゃん!」


 口走った直後、さすがにまずいと思ったのだろう。ハッと言葉に詰まった刹那、沈黙が降った。


 カードが使えなくなった——?

 それはつまり、支払い期限を過ぎて尚引き落としがなされなかったということ……?

 止められるまでに、何度か督促状だって届いていたはずだ。

 きっと、携帯も近々止められることになるだろう。


 これまでの入り浸りや自堕落な生活が全て混ぜ合わさって、妹の状況を一閃で把握した。


「お姉なんてガッツリ貯め込んでんだから、多少あたしが使ったって痛くも痒くもないじゃん! 稼ぎのある奴が養えば何の問題もないじゃん! 何の趣味もない貯蓄ババアの代わりに、あたしが経済回してあげてんじゃん、それの何が悪い !?」


 妹が、これまで何度も逆ギレしている姿は目にしてきた。

 両親や親戚が諌めたし、学校の先生が諌めたし、見かねたご近所さんが諌めたこともあった。でも、妹は根本的に何も変わらなかった。そればかりか、拍車を掛けて悪い方向に突っ走り続けてきた——。


「昨日、珍しくお姉が鞄放り出してたから、ありがたくカード情報もらっただけじゃん。悪いのは放置してたお姉じゃん。妹の面倒だって、お姉が看れば何の問題もないじゃん、家族なんだから当然——」


「そう……」


 妹はまだ何かを口走っていたが、私の指は無意識に通話を切っていた。

 その瞬間、何十年と張り詰めてきた何かが私の中でプツッと小さな音を立てて切れた——。

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