神絵師ちゃんに拾われまして

小谷杏子

神絵師ちゃんに拾われまして

 どうしてこうなってしまったんだろうか。

「……あ、ごめん。痛い?」

 優しく訊いてくる彼女の声は神妙で、とても近い。私は初めての痛みに耐えられず声を漏らす。

「あっ、ん……いたっ」

「ごめんね、痛くして」

「いえ、だいじょぶ……です……」

 私は涙目で笑ってみせた。すると、彼女は「ん、いい子いい子」と柔らかく笑って私の睫毛をグイグイ上げていく。

「メイクのりいいじゃん。睫毛下向きだけどがんばって上げればイケるね」

「それは良かった、です」

 私はぎこちなく返す。彼女の目を見ることはできなくて、目線は唇を見てしまっている。

 はわわっ、神絵師の唇が超ちかーい! あぁっ、無理、かわいい。プルップルしてる! どんなスキンケアしたら唇プルップルになるの。フルーツみたいじゃん。かわいい。しんどい、今すぐ顔を覆いたい!

 でも、るるうさんの手が私の顎を掴むから身動きできない! おおふ、ダメだ。その指でいくつもの神イラストを生み出してるんですよねぇ、その細い指で、私の最推し常月つねづき透孤とうこのあれやこれやを描いてるぅぅその指がぁぁ、私の顎をクイってするぅぅ! その指を舐めたい、いや食べたい! あぁっ、心の声がうるさすぎるぅぅ!

 落ち着け。どうしてこうなった。今までのことをダイジェストで振り返って冷静になろうか、私。


 今から三時間前、私は炎天下の中、慣れない同人誌即売会に来ていた。そこで私が好きなソシャゲ「宵の口へのいざない」の二次創作をしている神絵師「るるう」さんのブースに来たが、すでに同人誌は完売してしまい、がっかりして帰ろうとしたらなぜか呼び止められて家に連れて行かれました……うん、意味が分からん!

「すみませんねぇ、売り切れちゃって。でも、お兄さんみたいな人が来てくれるの珍しいから……あ、ねぇ、良かったらうちに来ませんか?」

 お兄さん……まぁ、そう呼ばれるのは仕方がない。私は身長175センチ、体重67キロという平均の成人女子より上背があるし、髪はショートカットだし、服装もメンズ向けなので男に見られることは慣れている。おまけに名前も種井たねい夏向かなたという男っぽい名前なので間違えられてしまうのも無理はない。

 私は苦笑いしている神絵師を見つめた。平均女子の体型よりちょっと華奢。ラフな白シャツとスキニーパンツで、ウルフカットがよく似合っている。大きめの丸メガネの下にある泣きぼくろが色っぽい。とても女子大生に見えないほど大人っぽくて、何より色白で美しい。SNSでチラ見せされる目元だけの写真や、指の写真、新しいマニキュアとか。あとは彼女が推してる常月透孤のグッズなどなど。あぁん、推しが一緒ってだけで運命感じちゃうのに、いざ目の前で本人を見ちゃうとキョドってどうしたらいいか分かんない。おい、しっかりしろ、二十三歳成人女。私は彼女よりも大人なのだ。でも神絵師を前にまともに話せるわけがないしぃぃ……って脳内が忙しなく暴れまわっていたら、あれよあれよという間に彼女の家に連れて行かれた。

 そして、神絵師は1Kのコンパクトなデザイナーズマンションの一室で大仰なデスクと物々しいパソコンの前に座り、私をベッドに座らせてニコニコしていた。

「お兄さん、メイクしてみよっか」

「えっ」

 出し抜けに何を言っちゃってるの。

「だってお兄さんみたいな上背のある人、コスしないともったいないでしょ。透孤サマになろう! ね! んで、ボクのデッサン人形になってよ」

 そんな魔法少女に勧誘するノリで言われても。でも、神絵師がそう言うなら──

「はい! 分かりました!」

 そう二つ返事で了承してしまったのである。

 コスプレなど人生で一度もしたことがない。図体はデカイくせに引っ込み思案な性格だから仕事も裏方作業ばかり選んじゃうし、地声もそう高くなくボソボソ喋るもんだから誤解されやすいし、何よりかわいくないので自信なんてないですし。自己肯定感と女子っぽさはママのお腹の中に置き忘れてきたし。

 そんな感じであれよあれよという間に長い前髪を上げられ、手早く下地とファンデを塗られていった。

 手慣れてらっしゃる……デジタル機器だけでなく人体にもその力を発揮するとは。すげぇな、神絵師。その腕食べたい。

「眉毛描いて〜、アイライン引いて〜、んっふふふ。透孤サマ、透孤サマ〜。やっぱボクの目に狂いはないなァ〜」

 私の顔の前で不気味な笑いを漏らす神絵師。めっちゃご機嫌じゃん。目つぶってても分かる。

「んでぇ、テープでちょっと目を吊り目にしてぇ〜……きゃはー! 透孤サマじゃん! うわっ、神すぎ!」

「え、あの、るるうさん、大丈夫ですか? 本当に透孤になってます?」

「マジ神! 最高! 透孤サマまんまだよ!」

 るるうさんの興奮が伝わってくる。私はチラッと目を開けた。

 すると、るるうさんが私の前に鏡を向けてくる。

 テープで引っ張られた目がいい感じに細くつり上がっていて、目の下に雫型に塗られたアイライナーは赤く、アイシャドウはグリーンで、鼻はシェーディングパウダーとハイライトでシュッと整えててスッと筋ができてる。顔の色も白くて、まるで私じゃないみたい。

「え、すご。やばっ」

「だよね! やばくない? お兄さん、顔キレーだからえるよ! ウィッグかぶろっか」

「はい!」

 もう私もノリノリだ。私なんかが最推しの透孤になれちゃうなんて、思ってもみなかった。これは確かにコスプレイヤーさんがハマるの分かるかも。

 今、私は画面の中で愛でていた常月透孤の顔になっている。神絵師の神業によって。え、なんだこれ。何その状況。どういう状況? やっぱ意味分かんない。

 急激に恥ずかしくなってしまい、顔を覆うと上からウィッグを被せられた。白と金が混じったマッシュヘア。キレイな色だ。

「衣装はないんだけどさぁ、まぁ普段着でもいっか。てか、透孤サマの現代パロって感じでそれはそれでアリじゃね? アリだわ。よしそれで」

 るるうさんが一人で納得し、椅子に座る。すべての仕事を終えたかのようにふんぞり返ると、私の様子を見て「むふふ」と笑った。

「人の顔塗るのたのしーわ。初めてにしては上出来。ね、お兄さん。こっち向いてよー」

 そう言えば私は「お兄さん」なんだった。今更だけど女だって訂正するのも面倒だし、女であることをバラさないように気をつけよう。

 私はおそるおそる顔を上げた。るるうさんはニマニマと笑いながら、ペンを指で回している。

「あ、待って待って、今いい構図思いついた。ね、お兄さん、そこ立って。立つだけでいいから!」

「うぇ、は、はひっ!」

 びっくりして変な声出たぁぁっ!

 自然に立つだけを意識する。まぁ、意識すると肩が上がっちゃうんだけどね。それでもいいらしく、るるうさんは真剣な顔つきになると目の前の液タブ上でペンを走らせた。しゅぱぱぱぱっと効果音がつきそうなくらい早い手さばきで下絵を取っていく。すごい。早い。しかも私の顔と見た目からインスピレーションを働かせて絵を描いていく。すごい。

「ねぇ、お兄さん」

「は、はひ!」

 唐突にるるうさんが話しかけてくる。顔は液タブと私の様子を見るを交互に繰り返しながら。

「お兄さんはさぁ『よいいざ』の誰推し?」

「あ、えと、自分は透孤ですね、はい」

「うっそ、マジで? ボクと一緒じゃん。あ、てかボクの趣味、さすがにもろバレだよね」

「あ、はい! るるうさんの描く透孤が好きで、いつも拝見しております」

「うれしーな。えへへ」

 そして、るるうさんはしみじみと呟いた。

「好きなものに性別関係ないしねぇ……てか、透孤サマは性別不詳なのがいいんだよね。だからBLもGLをもNLもやり放題。ぶっちゃけなんでもできるし、かっこいいから好き。マジで『よいいざ』に惚れてからは推し活捗る」

 そう言って照れくさそうに笑う。

 妖怪をモチーフにしたソシャゲのキャラで、妖狐の常月透孤は確かに作中で唯一、年齢も性別も不詳のキャラクター。それがなんだか私の容姿に通じるものがあっていつの間にか好きになっていた。顔はイケメンなのにたまに女子っぽい表情をしたりするし、キャラクターボイスは少年役と言えばこの人って言うくらい有名な女性声優を起用してるし、中性的でかっこいい。

「分かります。自分もそれで好きになったんです」

 あぁ、推し絵師と推しについて語れるなんて最高。ここは天国ですか? 昇天しそう。

「お兄さんとはいい酒飲めそう。ほら、『よいいざ』って女性ファンばっかでしょ? だからさ、男性ファンってすごい貴重なんだよね」

 るるうさんが生き生きと話す。その後ろで、私はわずかに怯んだ。

 うーん……やっぱここは私が女だということを明かした方がいいかもしれない……

「それでさぁ、ボクもコスしてポーズとかとればもっと透孤サマに近づけるんじゃないかと思ったんだけどさ、このちんちくりんでしょ。そのウィッグとメイク道具も無駄になるとこでさ。だからお兄さんが来てくれてほんと助かったよ」

 そう言って、るるうさんは椅子をくるりと回転し、私を手招きした。ハッとして慌てて前に出る。さっきまで緊張して見られなかった神絵師の机が視界一面に広がり、私は眩しさで腰がくだけそうになるも踏ん張った。

 液タブの画面にはまだまだ荒削りな透孤がいて、それは私が画面の向こうで愛でているものの下書き段階で、これが私の姿を模して作られたものだと分かってさらに舞い上がってしまう。あ、やべーな、鼻血出そう。いかんいかん。

 そう思って慌てて机の脇で無造作に放られている書類の山を見た。そのてっぺんにるるうさんの保険証が置いてあった。つい目に入る。

 犬丸いぬまる流海るう。性別、男──

 屈託なく笑う神絵師の顔が近い。

 それまでの行動すべてがまるで走馬灯のように脳内をよぎっていく。ダメだ、思考回路はショート寸前だ!

 ただ、そんな中でも私は誓った。絶対に女だとバレるわけにはいかない、と。

「お兄さん、これからよろしくね♪」

 神絵師ちゃん改め神絵師くんの笑顔はとてもキラキラしていた。

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