ニンジャ殺人事件

ぶらいあん

ニンジャ殺人事件

 以下はとある雑誌記事の引用である。


×   ×   ×   ×   ×

 

 二〇〇九年三月二十五日午後一時頃、フロリダ州に住むラルフ・マウサー(41)の自宅の二階に不審な男が侵入した。男は隣のアパートの住人、ディミトリ・ペーターセン(32)。彼はマウサーの娘(11)を刃物で脅して性的暴行を加えようとしたため、マウサーは所持していた銃で男の胸や頭など合計八カ所を打ち抜いた。


 死亡したペーターセンは黒の忍装束を身につけており、また所持していた刃物が忍者が用いたとされる刀であったことから、本件は『忍者射殺事件』として本誌を含む各誌上でセンセーショナルに報道された。


 世間を騒がせた謎の忍者。彼はどのような人物だったのだろうか。



 ペーターセンは十六歳の夏にシングルマザーの母親と二人でフロリダ州のアパートに引っ越してきた。


 病弱だった彼は、十代の青春期を自室でコミックとビデオゲームと共に過ごす。なかでも彼を魅了したのは、『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』を始めとする忍者をモチーフにしたコミックやゲームの数々だった。


 彼の忍者への熱狂は青年期に一旦影を潜めたが、内奥でくすぶり続けていた情熱は二十代の終わりに再び燃えあがることになる。


 大学を卒業後、地元の民間企業に就職した彼はコンピュータープログラマーとしての職務にいそしんだ。だが、二六歳の時に精神科で適応障害と診断され、以後はおよそ一年ごとに休職と復職とを繰り返すようになる。


 二九歳で会社を退職した日以来、彼が賃金を得た記録はない。彼の生活は高齢の母親のパートの仕事による収入が支えていた。彼にはパートナーはおらず、SNSやネットゲーム上で会話をするバーチャルな存在を除けば友人もいなかった。


 このように社会生活と私生活、精神生活のすべてに問題を抱えていた彼が救いを見いだしたのが、少年期に熱中していた忍者趣味だった。


 彼が”忍術の修行”と称する活動に真剣に取り組んだことは事実らしい。その内容は案外に地味なもので、アパートの脇の通路で縄跳びをしたり、黙々と刀の素振りをしたりといったものだった。とはいえ修行中は常に忍装束を身につけていたため、彼は近隣住民の間では有名な存在だったようだ。


 彼はまた忍具の蒐集もしており、手裏剣のようなメジャーなものから珍しいものまで様々に取りそろえていた。それらは棚や部屋の壁に取り付けたフックに飾られ、いつでも取り出して使用できた。新しい忍具を手に入れると、彼は郊外の山へ赴き実際の用法を確かめていたという。


 そんな彼にとって転機となったのが、ここ二年ほど空き家だった隣家にマウサー一家が引っ越してきたことだった。事件発生から約一年前のことである。一家の構成は、テレビドラマの脚本家だったラルフと、女優である彼の妻、そして二人の娘で当時十歳だったMの三人だった。


 折しも日本のアニメにハマっていた彼は、アニメのキャラクターのような美少女であるMをひと目見て衝撃を受けたらしい。以下は当時の彼がSNSに投稿した発言。



『やばい! アニメ級の金髪美少女が隣の家に引っ越してきた!』

『彼女が庭で遊んでいる。両親が喧嘩中のため家の外へ避難してきたらしい』


 

 アパートの窓から幼い少女を密かに見つめるオタク男の視線は薄ら寒いものを感じさせるが、当時のフォロワーたちは彼のSNSでの発言をくだらない独り言としてほとんど無視していた。


 しかし、事件前日の投稿には殊に異様な空気が漂っていた。



『現実に存在する未成年の少女を裸にしたり、性的な部分に触れたりしたいと考える奴はクズだ。そういう楽しみはマンガの中だけにしておくべきだ』

『自分が怖い。感情を抑えきれなくなるかもしれない。あくまで彼女を守ることが自分の使命なのだが……』



 これらの発言は未成年の少女――Mに対する抑えがたい性衝動と、反対にMを守らねばならないという身勝手な使命感との間で葛藤するペーターセンの心情のあらわれだろう。彼の異常な性的嗜好は、事件後の警察の捜査によって裏付けられている。彼のPCのストレージ内に、未成年の少女との性交を描いた日本のポルノコミックのデータが存在していたのだ。


 そして事件当日、彼の歪んだ衝動は臨界点に達したらしい。


 その日の昼過ぎ、学校が春休み中だったMは二階にある自室にいた。ペーターセンは彼女の姿を窓の向こうに見かけ、禁断の妄想を実現する決意をしたのだろう。


 彼は自慢の忍具コレクションの中から”鉤梯子”を選りすぐった。これは中世日本の忍者が実際に使っていたとされる潜入用の道具である。彼は縄の一方の端に結んだ鉄鉤を隣家の窓枠に投げて固定し、完成した縄ばしごを通じて開いていた二階の窓から侵入した。


 だが、ペーターセンには誤算があった。少女の父親は在宅中だったのだ。その日のラルフは自宅で脚本の構想を練っており、午後からの仕事の景気づけにリビングでウイスキーを呷っていたところだった。


 悲鳴を聞いて駆けつけたとき、愛する娘はいまにも恐ろしい野獣に襲われるところだった。黒装束の男――ペーターセンが刃物でMを傷つけると脅したため、ラルフは書斎に保管していた銃で彼を射殺した。


 その後、ラルフは駆けつけた警察官に逮捕されたが、四ヶ月後の七月十四日、同州S郡の裁判所の陪審団は被告人を無罪とする評決を出した。射殺されたペーターセンの母親は控訴を検討したが、児童保護団体による激しいバッシングを受け、結局は断念した。


 だが、自称忍者の男の死は遅効性の毒のようにマウサー一家を蝕んでいった。目の前で父親が男を射殺する光景を目撃したMは深い心的外傷を負い、その影響で心因性の失語症を発症した。事件を機に夫妻は離婚し、ラルフは酒に溺れ、脚本家としてのキャリアを失った。Mは別の男性と再婚した母親に引き取られたが、いまなお周囲に心を閉ざしたままだという。



 この奇妙な物語に教訓があるとすれば、それは「大人が非現実的な空想に熱中するべきではない」ということだろう。たとえばペーターセンも「スポーツジムで身体を鍛える」というような現実的かつ有意義な目標に向かって努力していれば、あのように悲惨な死を迎えることもなかっただろう。



×   ×   ×   ×   ×



 こんな欠陥だらけのストーリーを書いた馬鹿はどこの三流ライターだろう。頭をかち割って脳みそがあるのか確かめてみたい。


 第一、住宅地にある家の二階にわざわざ鉤梯子を使って白昼堂々と侵入する間抜けな強姦魔がどこの世界にいるのか。ペーターセンが本当に少女をレイプしたかったのなら、より適した機会と方法をいくらでも見つけられたはずだ。それに事件当時にはラルフの車がマウサー家の玄関前に停まっていた。つまり、彼が家にいる可能性が高いことは五歳の子供でも想像できたはずなのだ。にもかかわらずMを襲いに行ったとするならば、ペーターセンは自分から彼女の父親に殺されに行ったようなものではないか。


 その通りである。事実、彼は自ら死地に赴いたのだった。


 事件の半年ほど前から、円満に見えていたマウサー一家の内実は醜悪なものだった。当時のラルフはスランプに陥っており、脚本家としての収入はゼロに等しかった。一方の妻は女優業の多忙さを理由に何日も続けて外泊したり、また泥酔して朝方に帰宅したりすることもしばしばだった。そのような彼女の放逸な態度が夫であるラルフの神経を日に日に苛立たせていった。


 マウサー家のリビングには諍いが絶えず、両親の口論がはじまるたびに娘のMは庭へ避難した。罵詈雑言の弾丸が飛び交う戦場を逃れ、ほっとひと息つくと、胸の高さの煉瓦塀の向こうでしばしば謎の忍者が修行をしていた。


 少女はときおり彼に声をかけるようになった。最初は短い挨拶を交わすだけだったが、次第に少しずつ自分のことを話すようになった。


 そうして事件の前日、Mは忍者にあることを打ち明けた。近頃、父の様子がおかしい。母が車でどこかへ出かけていくたび、父は酒に溺れ、冷蔵庫にもたれてすすり泣きはじめる。Mが不憫に思って近寄ると、「慰めてくれ」と言って彼女を抱きしめ、ひとしきり泣いたのちに額にキスをして詫びる。ひと月ほど前からそんな調子だったが、ここ数日は父の抱擁の手が身体のあちこちを這うようになった。昨夜などはさらに……。


 少女の話を沈痛な面持ちで聞いていた忍者は、「耐えがたい事態に直面したときは逃げてもよいのだ」と彼女に言った。そして、そのときは自分がきっと力になる、とも。



 翌朝、激しい罵り合いの声でMは目覚めた。


 両親の口論は当分収まる気配もなく、Mは昼過ぎまで布団を被って震えていた。


 母の車が走り去る音を聞いたのち、空腹を覚えたMは自室を出て一階のキッチンへと降りていった。泥酔した父親に例によって抱擁を求められたが、彼女は先日忍者に言われた言葉を思い出し、無視して二階の自室に戻った。


 その後、逆上した父親は書斎から銃を持ち出して二階のMの部屋へ押し入った。実の父親に組み敷かれたMは悲鳴をあげて抵抗したが、額に銃を向けられては従うほかなかった。


 ペーターセンはMの悲鳴を聞いていたのだろう。あるいは、銃を持ったラルフの姿も窓越しに目撃していたかもしれない。


 忍者は驚くべき速さで二人の前に現れた。ラルフは激昂して銃口を闖入者に向けたが、彼はおののきながらも一歩も退かず、忍刀で牽制しながら最後の瞬間まで少女を解放するよう訴えつづけた。


 その後の顛末は、引用記事に記されたとおりである。忍者は死に、悪夢は去った。Mは心に傷を負ったが、最も忌むべき罪からは救われた。彼女を救ったのは八発の弾丸ではなく、一振りの忍者刀だった。


 

 以上が十年前に起きた『忍者射殺事件』の真相である。諸事情により長年口をつぐんできたが、あまりにもひどい記事を見つけてしまったため、親愛なる忍者氏の名誉のため、こうして当ブログの非公開記事としてこっそり反論を述べておく。

  ミリー


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