僕は推し活という言葉が嫌いだ

つかさ

第1話

 僕は推し活という言葉が嫌いだ。


 自分が好きな対象を「推し」という一言でまとめられ、自分がしていることを「推し活」と他人がやっていることと自分のしていることを一括りにされているようで嫌いだ。

 僕はとあるVtuberを応援している。といっても、たまにアップされる動画を見て、まれに簡単な感想コメントを打つくらい。スパチャなんて投げたことないし、グッズも買ったことがない。

 知らない誰かのSNSでの発言を見ると、「推し活頑張ってる」みたいなことを言っていて、つい自分と比較してしまう。そんなもの気にしなければいい、といえばその通りなんだけど、つい目で追ってしまう。

 それでも、流れるコメントや動画の感想を見て、“他人と同じことをしている”という感覚が薄気味悪いものとして付きまとう。少なくとも自分は悪い意味での特別で、この人たちとは違うから。その輪に入れることは、ないのだから。


 あぁ、我ながら気持ち悪いことを言っているなぁ……と、自虐的に心の中でほくそ笑む。

 ベージュのカーテンで包まれた空間の中で、真っ白な天井を眺めながら。


「治療する手段はありません」


 とある病にかかって、入院した僕はある日そう告げられた。

 すぐに死ぬなんてことはない。落ち着いてる今は大丈夫だけど、いつ悪化してもおかしくない病気。

 それでも、このまま入院していてもこれ以上はどうにもならないから、数週間後には家に帰されることになっている。

 爆弾を抱えたまま生きるために、飲食・移動・運動といった生きる楽しみに大きな制限を生涯かけながら。少なくとも周りの友人たちと同じ生活は送れない。それを突きつけられただけで僕の思考は停止した。

 丸一日ベッドに潜り込んで何も考えないようにした。翌朝、僕の元を訪れた医者の憐れむような顔を見て、何かが切れる音がした。


 友達に伝えることもできず、現実逃避のために動画投稿サイトでしらみ潰しに動画を漁った。音楽・グルメ・風景・バラエティ、そのどれもが眩しくて明るくて、僕には苦しかった。


「はい、どうもー。こんちはー」


 寝不足で起きたようなダウナーな女性の声が耳に届く。3Dアニメでぎこちなく動く姿。どうでもいい日常会話と力の抜けたような笑い声。偶然再生ボタンを押したその動画を、なぜか僕は最後まで見続けていた。

 その程よく腑抜けた雰囲気に惹かれたのか、その人の動画は入院中の僕にとっての良い暇つぶしになっていた。

 4人部屋の病室だと電波の調子が悪いので、動画は入院患者なら誰でも入れる休憩スペースのようなデイルームで見ることが多い。病室だと他の人の独り言やイヤホンから漏れるテレビの音で邪魔されることもない。

「「ぷふっ!」」

 この部屋を使う人も少ないから、こんな風に多少声を漏らしても……ん?

 前のソファに座り、こちらを振り返る見知らぬ女の子と目が合った。手にはスマホ、耳にはイヤホン。

 ご時世柄、マスク着用中なのでお互いに言葉を交わさず、軽く会釈だけする。『うるさくしてすみません』という意味だ。たぶん相手のほうも。何事もなかったことにして、動画にもう一度目を向ける。

「ふふっ」「ぷっ……‼︎」

 再び交差する目線。気まずい時間。耳に聞こえるはまだまだ続くお気に入り配信者の雑談。いや、なんで今日に限ってそんな面白い話をするんだよ、もう。

「あのー……違ったらごめんなさい。もしかしてきみが見ているのって……」

 彼女の口から出た言葉に僕はこくりと頷くと、彼女の瞳は大きく開いた。


 面会NGの病院での久しぶりの会話。少しぎこちなかったけど彼女との話は弾んだ。お互いの学校の話とか、住んでる場所の話とか。そして、お互いの病気のことも。

「うーんとね。私、いつ病気が悪化して死んでもおかしくないんだって」

 僕が自分のことを話した後、彼女は昨日食べた夕飯のメニューを思い出すくらいのいたって普通なトーンでそう言った。

 泣けると話題のドラマや映画でありがちなセリフ。だけど、ここではそのありがちを実際に言われてもおかしいことじゃない。

 死ぬわけじゃないと言われた僕があれだけ悩んだのなら、彼女はそれを聞かされたとき、どう思ったんだろう。

 彼女はその後、検査があるからと病室に戻っていった。イヤホンからはいつものダウナーな明るいのか暗いのかよくわからない好きな彼女の声が聞こえる。

 他に誰もいなくなった部屋で、僕は「そうなんだ」としか言えなかった自分の顔を叩いた。


 翌日からデイルームは感染対策で使えなくなった。連絡先を聞くこともなかったので、僕は彼女と会うことは出来なかった。幾度となく病棟をぶらついたけど、彼女の部屋番号はわからず、かといって、迷惑だしプライバシーもあるから看護師さんに聞くことも出来ず。気がつけば、僕は退院していた。

 退院したら動画にコメントでも書き込んでみよう、なんて気持ちには当然なれなかった。


 

 それからぐるりと季節が巡り、地道に自分の病気と向き合い続け、いろんな病院に通い続けた僕は、治療する手段を奇跡的に掴むことができた。僕自身の体調面が良くなってきて病状にも少し変化が見られたためだとか。

 それをどうしても報告したくて、初めてスパチャを投じてみた。

『おおっ!マジで⁉︎頑張って、応援してる。治ったら必ずまた報告すること』

 画面の向こうからはいつもの5割増しくらいの高めのテンションの声。一方、聞いている方は数十倍のテンションで心臓をドキドキさせている。もうすっかり沼にハマってしまっていた。

 コメント欄も僕に向けた言葉が流れている。見知らぬ誰かの温かい言葉が追いつけない速度で駆け巡る。


『私も諦めないで頑張るね』


 そのコメントが目に止まったのは偶然なのか、なんなのか。

 誰の言葉かなんてわからない。でも、僕はキーボードに手を伸ばすしかなかった。


『がんばって』


 勢いで打ったその言葉は、言葉の波に流されて瞬く間に消えていった。



 僕は推し活という言葉が嫌いだ。

 だって、これはもうそんな言葉じゃ表せないくらい別のものになってしまったから。

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