推しの推し活

安崎依代@1/31『絶華』発売決定!

推しの推し活で救われた、とある作家のお話

 数年ぶりにイベントに出たら、私のブースに推しがやってきた。


「す……しゅきですっ!!」


 おまけに何か、ベタな噛み方をした。


「個人サイトで掲載されてる時から推してましたっ!! 当時掲載されてた原稿、全部印刷して取ってありますっ!!」


 いや、ヤメロ?


「さっ……サインしてくださいっ!!」


 そう言って彼……『FESTA』のミズキは、古びたコピー用紙の束を私に向かって差し出しながら直角まで腰を折ったのだった。



 ミズキ、と言えば誰もが知っている芸能人だろう。その手の話題に疎い人でも『FESTA』のメンバーで顔面国宝で無駄に色気があって声も無駄にエロいくせに話す内容は純朴好青年でちょっと天然でそれでいて舞台やドラマに出ればどんな役でも完璧以上に演じ切る最強のアイドル、と言えば通じるだろう。


 ……おっと、推しへの愛があふれすぎて、ノンブレスで語ってしまった。


 そう、彼は、私……しがない同人漫画作家である桃月ももづきいろは(※PN)の最推しである。現実世界で遭遇したら、麗しすぎるご尊顔を拝した目は潰れ、美しすぎる声に耳は爆発し、とにかく尊死すると思っていた。


 ……思っていたん、だけど。


「感激です! 自分がルナリス・シュバルツァー先生のブースで売り子をしているなんて……!!」

「その名前で呼ぶのヤメロ」


 おっと、ドスの効いた声が漏れてしまった。


 私はチラリと隣の席を見上げる。その瞬間、帽子とマスクで隠されていてもキラキラと輝いていると分かるご尊顔とバチッと視線が合ってしまった。その瞬間、ミズキ君はさらに嬉しそうにはにかむ。


 うっ!! 心拍数がおかしい……っ!! ブース前で騒がれるよりは売り子席に置いた方がいいかと思って隣に座らせたけど間違ってたかも……っ!!


「ええっと。昔の私のファン、なんだっけ?」

「昔だけじゃないです! 最近やっと先生のSNSのアカウントを特定できたので、ここ一ヶ月で直近の作品まで履修させていただきました! 二次創作作品への理解が深まるように原作も履修済みです!」

「ファンの鑑か!?」


 いやいやいやいや、あなた相当多忙なはずでしょ!? アカウントの特定といい、私の作品の閲覧といい、その原作の履修といい……どう考えたって時間が足りないはずなんですが!?


「僕にとって、ルナリス先生は原点なんです。個人サイトが閉鎖されてからは、暇を見つけては先生の痕跡を探していました。その過程でこんなに立派なオタクに成長できて……」


 そう、ミズキ君は麗しいご尊顔をお持ちのキラキラアイドルであるにも関わらず、重度のオタクとしても有名だ。本人もそれを隠してなくて、彼のSNSでは常に彼の萌が炸裂している。


「そのご縁で、声優業にまで進出できて……」


 知ってます。人気アニメの劇場版で敵キャラの声をあてたのが初めですよね? 声優デビューしてからというもの、本業さんに負けず劣らずの演技力で引っ張りだこですよね? もちろん全作品、履修させていただいております!


 だけどもそこに私の存在は関係なくないですか?


「実は……先生の漫画を音読してる間に、声優としての基本が身についたというか」


 ヒェッ!?


「自分の妄想により近付けたくて練習してたら、その現場をマネさんに見られてしまって、それがきっかけで声優にチャレンジすることになって……」


 なんちゅーことをしてるんだっ!! てかその読み上げてた漫画はいつのですかっ!? 何代前のペンネームのやつですかっ!?


「僕が今こうしていられるのも、ルナリス先生の漫画のおかげなんです」


 ミズキ君の声のトーンがちょっと変わった。改まった声に顔を上げれば、ミズキ君の視線は私ではなく正面に向けられている。


「僕、いじめられっ子でした。父の転勤にくっついて各地を転々としてて、そのたびにクラスに馴染めなくて」


 通路をひっきりなしに人が行き交う。だけど誰も私のブースの前では足を止めない。


「だけど僕、ルナリス先生の漫画を読んだ時、ルナリス先生が書く敵キャラみたいにカッコ良くなりたいって思ったんです。独りでも凛と顔を上げて、世界に逆らってでも己の意志を通す、外見も中身もカッコ良い、そんな人間に」


 私が個人サイトに漫画を載せていたのは、高校生の頃だった。中二病の夢から醒めないまま描き散らした当時の原稿は、今の私には立派な黒歴史だ。


「そうやっていつも心にルナリス先生の漫画を抱えていたら、いつの間にかこんな所にいました。今でもずっとその漫画が原点にあるから、先生の描く新作を渇望してます」


 だけどそんな黒歴史が、私の推しを作ったのだと、私の推しは語る。


「……ねぇ、先生」


 ミズキ君が私へ視線を流す。その気配が分かったけれど、私はあえてミズキ君を見なかった。


「今回のイベントを最後に、作家活動をやめるって見ました。……どうして、ですか?」


 ……何となく、言われると思っていたことだった。


 ミズキ君は、私のSNSのアカウントを知っていた。私の引退声明は随分前からSNSに載せてあったから、ミズキ君が本当に熱狂的に私を追ってくれていたならば、声明に気付かないはずがない。


 ……多分、だから、彼はここに来てくれたのだ。


 推しがいる人間なら、誰だって分かる。推しに正面から1対1で会いに行くのが、どれほど勇気のいることか。


 それは有名人だって、きっと一緒。彼が私に差し出してきた古いコピー用紙の束は、手汗でほんのり湿気ていた。


「……心が、折れちゃって」


 だから私は、そんな彼の勇気に応えて、誰にも話さなかった引退理由を口にした。


「私、別名義で商業作品も描いてたの。連載続行のために、編集さんの言うことに心を削りながら従って描いて……でも、結局打ち切り」


 小さく口元に笑みが浮いた。なんか、全部通り過ぎちゃって、諦めの笑みだけが口元に残っている感じ。


「編集部から、戦力外通告も受けちゃった。もう私、いらないんだって」


 そこまで思い切って口にしてから、ミズキ君を見上げる。


 ミズキ君は、愕然とした顔をしていた。……そうだよね。その辺りの事情は公にはできないから。


「二次創も反応イマイチだし、潮時かなって思って。一回絵から離れようと思ったんだ。私が消えても、困る人なんて誰もいな……」

「いますっ!!」


 不意に、視界がミズキ君で一杯になった。首の痛みが後から来て、そこでやっとミズキ君が私の顔を強引に自分の方へ引き寄せたのだと知る。


「先生が描くのをやめたら、俺が困りますっ!! 死んじゃいますっ!!」

「死んじゃうって……」

「本当ですっ!! 先生だって分かるでしょっ!? 先生の推しが引退を決意したり、悲しんだり、苦しんだりしてたら、なりふり構わず助けたくなるでしょうっ!? 声が届くならって、できることがあるならって、思うでしょうっ!?」


 それは、……間違いないことだけども。


 でもそれを、推し当人に言われるのってなぁ……


「連載がコケた? 二次創の反応が悪い? それがなんですか? 何でやめる理由になるんですかっ!!」


 ミズキ君は私の両頬を挟んでいた手を滑り落とすとギュッと私の両手を握りしめた。その上にパタパタと雫が落ちていく。


「何だっていいんです……!! あなたが心の底から叫ぶ萌を、俺に恵んでください……っ!! お願いします……っ!! 先生の漫画を読めるなら俺、何だってしますから……っ!!」


 グスグスと崩れていった声に、私は言葉を失ったまま目を見開いた。


 泣いて、いた。ミズキ君が。ドラマとか舞台の上で見せるような綺麗な泣き顔じゃない。『顔面国宝』って呼ばれてる顔がグッシャグシャに歪むような、ガチ泣きってやつだった。


「お願いします……っお願い、します……っ!!」


 私の推しの、ミズキ君。そんな私は、ミズキ君の推し作家。


 推しには、笑っていてほしい。健やかでいてほしい。心穏やかでいてほしい。


「……ミズキ君」


 だから、私は。



「それで、どうなったんですか?」


 待機中の徒然つれづれに語った思い出話に、編集担当の柳井やないさんは予想以上に喰い付いてきた。


 えっと……。何でこんな話になったんだっけ?


 あー……、そっか。劇場版をオリジナルでやるって決まった時に、クッソ忙しかったのに私が『自分でシナリオ描き下ろします!』ってゴリ押ししたから、その理由を訊かれて、その流れからか。


「あとは柳井さんも知っての通りですよ。開き直って趣味炸裂の漫画をSNSに投稿したら予想外にバズって、柳井さんに拾われて、イマココって感じです」


 今日は劇場版封切りに先立っての試写会。今は試写会前に行われる舞台挨拶に臨むべく、柳井さんと一緒に控室に詰めているわけなんだけども。


「はぁーん? だから今回、敵キャラがあんな感じで、声優さんがなんですね?」


 柳井さんがニヤニヤと笑う。


 ……まぁ、この話を聞いた後なら分かるよね。私がこの劇場版のシナリオを誰のために書いたのか、敵キャラをなぜあんな感じで描いたのか、なーんて。


「正当にオーディションしたじゃないですか。私は依怙えこ贔屓ひいきなんて一切してませーん」


 私は澄まし顔で柳井さんの言葉をかわす。


 ……まぁ、依怙贔屓なんてしなくても、なら絶対このオーデションを勝ち抜くと思ってはいたけどね。


「桃月先生、柳井さん、お時間です。ご案内いたします」


 そんなことを思った瞬間、かかりの人が顔を出した。私と柳井さんは係の人について舞台裏を進む。他の人達はすでに案内された後だったらしく、声をあててくれた声優さん達は私達より先に舞台袖に集まっていた。


 その中に一際まばゆい顔面国宝を見つけた私は、誰にも気付かれないようにそっと瞳を細める。


 私の推しの推し作家は私。私は推しの心が健やかであれと願ってペンを握り、推しは私の心が健やかであれと願って私の作品を推す。


 ……案外、序盤で感動しすぎて泣いちゃうかもね。


 あんなにグッチャグチャな泣き顔は、私だけが知ってる顔にしてほしいなとちょっと行きすぎた思いを描きながら、私は彼の前に足を踏み出したのだった。


【END】

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推しの推し活 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki

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