憧れ
秋色
憧れ
いつも自分の部屋の前でいったん立ち止まって深呼吸する事。それが去年の冬から十六才の私についた小さな習慣だった。なぜならそこには私の「推し」が描かれた絵が飾ってあるから。
「
「はい、はい」
隣の部屋の弟があきれたように顔を
私の「推し」は、少女漫画『ヒューイ』の主人公、ヒューイ。漫画の登場人物ではあるけど、最高の憧れの人。完ぺきに美しく、頭脳明晰で動きは俊敏な怪盗。部屋のドアにはヒューイのミニポスターを貼ってあるので、部屋に入る度、胸がキュンとする。もちろんリアルで好きな相手のいる友達からはあきれられている。
でも仕方がない。少女漫画界の奇才、菜乃花優先生の絵は繊細で、ヒューイの髪一本一本から陽の光を感じる。モノクロの絵からも麗しい
物語の中でヒューイを罠にかけ彼の世界をひっかき回するパズラー、常にヒューイの足手まといになっている弱っちいキャラのはっちにイライラしながらも、連載をいつも楽しみにしていた。SNSで同じヒューイ推しの子とも交流を持っている。
友達は現実に目を向けなよと言う。「ほら、
クラスの一人の男の子が私を好きだとう噂はずっとあった。まるではっちみたいにモタモタした子。背だけヒョロ長く、みんなより頭一つも二つも 高くって、いつもバス酔いしているみたいに色白な子。みんなが冗談みたいに決めた陸上大会の二百メートル走の選手。足が遅いくせに、からかわれて選ばれただけなのに、毎日放課後遅くまで練習している。はっちみたいでイライラする。あの子は幼稚園でも一緒だったけど、キャラはずっとそのままだ。
たまにだけど、私はヒューイの夢をみた。そんな時目覚めるとすごく晴れやかな気分になるか、逆になぜか寂しい気分になるかのどちらかだった。
宝石を散りばめたような夜景をみながら、私達は一緒に丘を駆けてゆく、どこまでも、どこまでも。誰も私達に追いつけない。それはとても幸せな夢。
だけど夢の中では、宝石箱の中の宝石を手に取ると、いつもサラサラと崩れて消え去ってしまうのだ。
***
ある日突然、『ヒューイ』は最終回を迎えた。菜乃花優先生は元々一年間の予定で始めた連載である事を作者からのお知らせ欄で打ち明けた。思いのほか人気が出たので、連載は三年に延びたという事だった。
でもこんな最終回はあんまりだ。
ヒューイは本当はいなかった設定だったなんて。はっちが空想の中で創り上げた理想の姿だったなんて。これは、はっちの空想で作り上げた世界の物語でしかなかった。何もかもが最初から存在していなかったのだ。
私はショックで何も手につかなかった。
***
放課後の運動場。小雨が降る中、今日もあの少年がいる。はっちに似た同級生、峰くん。不器用そうな横顔。やっぱり思うように走れないんだ。これが現実。だけど今日はいい線いってるかも。アスリートっぽく見える。順調に記録をのばしているって先生がこの間褒めてたし。
「やぁ。今日もやってるんだ」
私は声をかけた
「うん。だいぶ進歩したんだ」
「そうみたいだね。ね、そう言えば峰くんって幼稚園の時、同じタンポポ組だったよね? 一緒に遊んだりしなかったけど。いや、確か一回くらいは一緒に遊んだかぁ」
私は、彼がなんで私なんかを好きになったのかを知りたくなって思い出話をしてみようと思った。
「覚えてないの? 幼稚園の時からかわれて泣いてた時、
「峰くんが私を
「その逆」
そう言えば記憶のどこかに残っている。シクシク泣いている色白の可憐な男の子。私はと言えば、その前の年まで田舎で走り回っていて肌は小麦色。そんな男の子の繊細さがちょっと羨ましく、好きだからこそ
「あの……さ、峰くんってさ、誰かになりたいとか思ったりする? ヒーローみたいな誰かとか」
「いや。そう言えば思わない。自分は自分だし」
思わないんだ。そういう所は意外にアレなんだな。
峰くんは小雨に濡れた眼鏡を少しだけ外して
家に帰って部屋の前で、ミニポスターの中のヒューイに、ペンで眼鏡を描いてみた。うん、こんな感じ。
「どうして大切にしていたポスターに落書きなんかするの?」とビックリしてママが言う。
「いいのよ!」
このポスターで誰かさんを思い出すのが明日から私の新しい推し活になるから。
〈Fin〉
憧れ 秋色 @autumn-hue
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます