地下アイドル文化の圧倒的芳醇性について

きんちゃん

地下アイドル文化の圧倒的芳醇性について

さて2回目のお題「推し活」についてである。

普通はこの言葉を暗喩に使ったり、推し活という言葉を拡大解釈して物語を展開してゆくのが小説的技法であり作者の腕が問われるところなのだろうが、私にとってはあまりに直接的なテーマであるので直接的に語らざるを得ない。

直接的というのは、私自身が推し活をメインテーマとして生活しているというわけではなく、今現在最も興味があるのが深いオタクの推し方・精神性にあるからだ。


さて私自身は5年ほど前から、いわゆる地下アイドル(この言い方はあまり適切ではないと思っているが便宜上こう呼ぶ)の現場に通い出した。

ただ私は深いオタクと言えるほどのレベルにはない。これはオタク特有の謙遜ではない。様々なグループのライブをちょこちょこつまみ食いしているような状態で、最も好きなグループはあるが現在は月1回もライブに行くかどうかだし、特典会にも顔を出したことがない。

もちろんこういった推し方もアリだろうが、深いオタクでは間違いなくない。


地下アイドルにハマる前は、健全にどメジャーなAKBや乃木坂などのグループにハマっていたが、ちょうど5年前くらいから地下アイドルにハマっていった。

最初はその音楽性である。タワーレコードでの偶然の試聴がきっかけだった。

今までポップなフィールドではほとんど聴いたことのない現代音楽のような複雑な音楽をJーPOPの中に落とし込んだ『Maison book girl』は衝撃だったし、次に出会った『ヤなことそっとミュート』は轟音のオルタナティブロックと透明なボーカルの融合で、まさに自分が思い描いていた理想の音楽そのものだった。

東京に在住していることの素晴らしさは、Twitterで検索してすぐにライブが観られることにある。特に地下アイドルはほとんど毎週ライブを行っているから参加も容易だ。

そしてそのライブが衝撃的に良かったのだ。

「人間が爆発している!」と本気で思った。もちろんプロの歌手に比べれば技術的には拙い部分もあるだろうが、その熱量は圧倒的だった。

フロア側のオタクたちもバカみたいに暴れていた。モッシュ・ダイブ……今ではもう禁止行為だし、コロナ禍ではコール・ミックスすらも出来なくなってしまったが、その頃のフロアはまだまだ狂っていた。

最初はそうしたオタクに対して嫌悪感を抱いていたが、次第に彼らもその熱量を返すにはそうせざるを得なかったのだと理解していった。(もちろん暴れ回っている客だけでなく、静かに観ている客もいた)


メジャーアイドルに対する地下アイドルの強みはよりマニアックなことが出来ることだろう。

本当に様々な音楽性を持ったアイドルと出会ったし、それをライブハウスで体感できたことはとても大きい。ライブの場で聴く音楽こそが本物で、音源を聴くことはその代替行為でしかないような感覚が私には未だに残っている。


ライブハウスでライブを観ているととても宗教的な感覚を覚える。楽曲とパフォーマンスを通してイデア(理想)をアイドル側は提示し、客側もそれに応えることで、共に祈っているような感覚を覚えるのだ。

オタクにとっての女神・シャーマンは文字通りアイドル(偶像)だ。

形のない何かを間違いなくその場で共有していることは、多くのオタクが同意してくれると思う。

多分、音楽の持つ宗教的な要素というのはかなり原始的な部分だろうから、何周もしてそこに回帰してくるというのはとても興味深いことだ。


だが恐らくこうしたことを語ると外部の人間からは鼻で笑われる。

「何を小賢しいことを言ってんの?どうせパンチラ目当てか、おっさんが普段全く相手にされない可愛い娘と近い距離で話せて握手も出来て、何だったらワンチャンあるかもと思って疑似恋愛して……ドルオタ、マジでキモ~い」

というのが世間的な声だろう。

ここの隔絶は埋めがたい。こっち側に来なければ感じられないことばかりで、どれだけ精緻に声高に語っても増々距離は開いてゆくばかりだ。

この点に関してはどうしようもないと思う。だがこの構造すらも宗教的だ。


やはりコアなコンセプトや楽曲で活動しているグループのオタクの方々は深いと思う。

映画やマンガなどのサブカルチャーに詳しい人が多いし、特に音楽にめちゃくちゃ詳しい人が多い。音楽好きの成れの果てとして地下アイドルに行き着いたという人が多そうだ。もちろんそうでない人もいる。単純にメンバー可愛い!で好きになった人も沢山いるだろう。

だが私自身は深いオタクの人を面白いと思う。

Twitterを見ているだけでも面白いし、先日はTwitterのスペースで話しているのを聴かせてもらった。面識のない方々なので、盗み聴きした内容をここで書くのは憚られるが、はっきり言って鳥肌が立つほど感動した。

少しだけ書かせてもらうと推しのグループ・メンバーを通して「教養・青春を教えてもらった」というようなことを語っていた。


オタクというのは、単に詳しいことやそれにハマっている人のことではなく、対象を材料に自分なりのストーリーを展開してゆく人のことだ。

そういった意味では地下アイドルのオタクほど、様々な事象を関連付けて多くのことを感じているオタクは他にいないように思える。


だが残念なことに地下アイドル文化は長い目でみると先細りである。

様々に新たなグループは登場してくるが、ドルオタの母体数は一向に増えないからだ。会場に行っても若いオタクは少なく30代以上の一癖ありそうなおじさんばかりだ。

一定数の少ないパイの奪い合いだから、新規参入のグループは相当にレベルが高くないと客が付かず、すぐに破綻する。オタク側にとっては楽曲もパフォーマンスもルックスも洗練されてレベルが上がってゆくばかりだから良いこと尽くしなのだが、文化として先細りなのは寂しい。


さて、「推し」「推し活」というのは最近になってよく聞かれるようになった言葉だ。単に好きなもの、というよりも精神的な支えとなっているもの……というニュアンスが強いように思う。

「安易に拡大解釈して『推し』とか使うなよ!」というドルオタもいるかもしれないが、私はそれほど気にならない。


地下アイドル文化は楽しいよ、ということが書けたので概ね満足である。






(了)

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