推しに認知されたくない!

有澤いつき

推しに認知されたくない!

「わかるかなあこの心理が」


 早桜さおは大学のカフェテリアでグラスの水をぐいっと飲み干して言った。心無しか目が据わっている。


「推しに認知されたくないわけよ、私としては。そこらの自己主張の激しい追っかけとは違うの」

「……はあ」


 新菜にいなは曖昧に頷いてマグカップの淵をなぞる。手遊びでもしていないと気が紛れそうになかった。

 早桜の「病気」は一度スイッチが入ってしまうと電池切れになるまで止まらない。午後の講義が始まったころのカフェテリアは人がそこそこいるけれど、多少長居しても目を瞑ってもらえるタイミングだ。これは長くなるなと新菜は天を仰いだ。


「ほら、よくいるでしょ? インディーズからずっと応援してきたバンドがメジャーデビューして人気者になった途端、急に距離が遠くなったとかのたまうヤツ。あれ何様って感じよね。自分たちが育てましたーみたいな面してんの? 農家か?」

「農家とは違うと思うけど」

「もののたとえよたとえ。でもそういうことなのよ、昔から追っかけてるヤツが偉いみたいな、年功序列? あれ違うか。とにかく変に幅きかせるヤツら、ああいう神経が知れないわ」


 早桜の語彙はときおりおかしなことになる。言いたいことに対して言語化が追い付かないのだ。だけどエンジンは全開だから爆発する感情の大きさに表現がうまく比例しない。不完全な状態で生まれるのが今のトンチキな言葉の数々なのだが、まあ怒っている対象はなんとなく理解できるレベルだ。

 早桜はアイドルの熱烈なファンだ。追っかけ、と言うべきかもしれない。ツアーがあれば地方にだって飛んでいくし、ファンクラブでの熾烈なチケット争いにも果敢に挑んでいく。さすがに全通とはいかないみたいだが、それでも戦果はかなりのものだ。気が付くとどこかでやっているイベントに参加している。情報収集能力も確かだ。

 それで、現場での思いをまとめて吐き出すのがイベント後の恒例行事となっている。今日もかなり鬱憤がたまっているらしい。


「先週のライブもさ、そんな感じだったのよ。筋金入りのファンらしくて、ファンクラブの会員番号が二桁なんだーって自慢げに同行者にマウント取ってるの。それで相手もすごいねって言うもんだからさ、そいつ調子に乗っちゃって」


 思い出すだけで腹が立つのか、早桜は拳を握ってカフェテリアの白いテーブルを何度も叩いた。


「トオル君とチェキ撮ったって! 名前入りでサインもらったって! 私の名前呼んでくれたんだって! 言うわけよ!」

「……えっと、それって何か問題があったりするの? そういうイベントなんだよね」

「勘違いしてんのよ‼」


 早桜はぷるぷると拳を震わせながら叫んだ。結構ヒートアップして声が大きくなったので新菜は周囲をきょろきょろと見回す。少し視線が痛い。「早桜ちゃん、ステイ、ステイ」とトーンを落とす。


「そいつ言ってた。『トオル君は私のこと知ってくれてるんだ』って。『たくさんのファンの中の一人じゃなくて、私という個人をちゃんと見てくれる』って」


 早桜が執心しているアイドル・トオルはファンサービスが過剰なほどだと聞いている。ファン一人一人を大切にしたいんです、それを有言実行したくて、と早桜が見せてくれた雑誌でコメントしていた。


「それがトオル君のファンサービスなんじゃないの?」

「……わかってんのよ。これもまた私の自己満足な解釈だって。でもさ、アイドルって誰かのものじゃないじゃん。たくさんいるファンを笑顔にしてくれる存在じゃん。だったら私はたった一人の特別じゃなくて、笑顔になれるファンの一人でいたいわけ」


 トーンダウンすると同時にスイッチも切れたらしい。椅子の背もたれに身を預け、ぼんやりと天井を見上げている。


「私はあの人みたいにはなれないな。トオル君を応援するモブの一人でいい」


 独り言のようなつぶやきだった。


「私が好きなトオル君は、特定の一人にちやほやするトオル君じゃないんだよね。ライブで、テレビで、オーディエンスに向かって煽って、笑って、歌って、踊って……顔も知らない誰かを一瞬で笑顔にしちゃうトオル君なんだよ。あーこれって解釈違いってやつなのかなあ。公式と解釈違い起こしたらもう生きていけないんだけど」

「……私、早桜ちゃんみたいに追っかけしてるアイドルはいないけど」


 新菜がぽつりと切り出す。


「無理に全部を肯定しなくてもいいんじゃないかな。たぶん、トオル君が接してきた一人一人の積み重ねが、早桜ちゃんの見たい景色に繋がってるのかな、とは思ったけど……それも、私の解釈だし。早桜ちゃんは早桜ちゃんの好きなトオル君を応援すればいいし、その人はその人が好きなトオル君を応援するんだと思う。視点は違うかもしれないけど、トオル君を応援したい、大好きだって気持ちはたぶん一緒だよ」

「……新菜みたいに割り切れたらよかったんだけど。あーなんか心濁ってる、よくないよくない」


 でもありがとう、と早桜はばつが悪そうに笑った。


「全部を肯定しなくてもいい、か。そうだよね。他人は他人、自分は自分かー。言うのは簡単だけど結構難しいんだよな」

「そこはうまく折り合いをつけて、ね」

「私にできるかなあ」


 できるよ、と言って新菜は席を立つ。カフェテリアで追加注文をするためだ。早桜の人生を潤わせているのはアイドル・トオルだけど、新菜にだって早桜を笑顔にする方法はある。早桜が大好きなニューヨークチーズケーキを買ってこよう。カフェオレもつけたらもっといい笑顔を見せてくれるかもしれない。

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