我が家の推し様
宇部 松清
※あくまでもフィクションです
推し活職人である私の朝は早い。
推し活職人って何だよって思われたかもしれないが、まるで職人のように推し活をする者のことを指す私のオリジナルワードだ。
嘘である。
こんな言葉、どう考えって古の昔から存在するっつーの。
それはさておき、推し活職人である私はアラームが鳴る10分前に起床する。目覚めて最初にすることは、アラームをオフにすることである。だったら最初からアラームなど設定しなければ良いのではないかと思うかもしれないが、『アラームをセットしている』ということが大事なのである。
「なんとしてもこのアラームが鳴る前に目を覚まさなくてはならない」
と自分に言い聞かせることで、確実にそれより早く目覚めるためでもあるし、うっかり寝坊してしまった場合の保険でもあるからだ。
さて、目を覚ました後は、本日も一日、全力投球で推し活をするための準備、すなわち食事の用意である。
健全な推し活のためには身体が資本なのだ。これは推し活に限ったことではない。人間、とにかく身体だ。健康第一である。
というわけで今朝のメニューは白米に味噌汁、卵焼きと納豆。ごくごく簡単なものではあるが、栄養面では問題ない。心配ならば青汁を飲めば良い。
ここまで来て、やっと『推し活』がスタートする。
まずは神にも等しい存在である『推し』を、優しく起こす。まかり間違っても「いつまで寝てんだこの野郎」などと言ってはならない。あなたは神に向かってそのような暴言を吐くだろうか。吐かないだろう。
なので――
「たぁくん、起きて。朝ですよ」
こうである。
お前は神を『たぁくん』と呼ぶのかとの声が聞こえたような気がするが、確かに神を『神ぴっぴ』と呼ぶ者はいないかもしれない。だけれども、こちらの『神』に関してはその辺が寛大であるため、むしろ『たぁくん』呼びを推奨されているのだ。いえ別にそちらの神が狭量とかそういうことではなく。
さて、
食事が終われば、後片付けだ。
信じられるだろうか。幸せなことに、私は、推しが食べ終えた食器を洗うことが出来るのである! それも毎日! 毎食!
その後も、
『推しが一日着た服』を洗い、『推しの一日の疲れを取るための風呂』を洗うという、光栄極まりない大役をこなす。さらにいえば、『推しが使うトイレ』も掃除するし、『推しの寝汗が染み付いた寝具類』の洗濯もさせてもらえるどころか、何なら洗濯前の寝具に包まって全身で推しの温もりを感じることだって出来るのだ。
では早速、と推しが数時間前まで惰眠を貪って――じゃなかった天使のような寝顔を晒して――晒してってのも何か罵倒味がする気がするけどまぁ良い――いた布団の中に入る。そして思い切りその残り香を堪能し――
「――っぐはぁ! 加齢臭っ!!」
噎せた。
何せ私の最推しこと最愛の夫である『たぁくん』は52歳。これで加齢臭がない方がどうかしてるってなものだ。髪だって白髪の方が多くなったし。まんまる立派だったメタボ腹は5年前に患った十二指腸潰瘍がきっかけですっきりスマートになった。人間、年を取るとある程度ふっくらしていた方が健康に見えるもので、すっかり痩せてしまったたぁくんは何だか一気に老けてしまった気がする。
結婚してかれこれ30年。
新婚時代はそれはもう仲睦まじい夫婦だった。けれど、一向に子どもが出来る気配がない。焦りを感じてクリニックに通ってみたものの、特にどちらに原因があるわけでもないのに、子どもは出来なかった。その点についてはひたすら相性が悪かったのかもしれない。
そんなこともあって、結婚15年目くらいまでは、なんとなくぎくしゃくした夫婦関係が続いた。私達の元にコウノトリは来ないのだ。その事実を受け止めるのにかかった時間がそれくらいだったのだ。
何がきっかけだったかはわからない。
だけど、16年目から、私は変わった。
子どもは諦めよう。
子どもにかけられなかった分の愛を、夫に捧げよう、と。
その結果がこれである。
夫はその瞬間から、『推し』になった。
毎日会え、触れることも出来る最強の推しである。しかもファンサもしてくれる。目も合わせてくれるし手も振ってくれる。下手くそだけどウィンクだってしてくれる。本当に下手くそだけど。それに、望めばそれ以上もある(ただしその日の体調による)。何だこれ、神かよ。
夫を推すことで良かった点はいくつかある。
まず、何といっても暮らしが快適になる、ということである。
推しの健康を考えて作った料理は結果として自分のためにもなり、
推しが気持ちよく暮らせるようにと家中を清潔に保つことだって言わずもがなだ。
それに常に推しに見られていると思えばこちらもたるんでいられない。常にきれいな私でいるべく、おばさん体型にならぬよう、隙間時間でエクササイズである。
夫の方でも最近ではやっと『推し』としての自覚が芽生えて来たのか、見た目に気を使うようになってきた。変に若者ぶったり、『おじさん』を通り越して最早『おじいちゃん』のようだった謎ファッションをやめ、私好みの落ち着いた50代らしい恰好をするようになったのだ。眼鏡派の私のために老眼鏡までかけてくれたし。最高かよ。
これからも私はこの人――白髪も多いし、加齢臭もあるし、朝もなかなか起きて来ないけれども――を推し続けるだろう。何せこの推しの幸せは私の幸せにも直結するのだから。
我が家の推し様 宇部 松清 @NiKaNa_DaDa
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