こんなモテ期も悪くない
一初ゆずこ
こんなモテ期も悪くない
「
今日も、誰かが鎧塚
そう気負いなく思えたのは、数日前の出来事のおかげだ。今日も誰かのために走りながら、美琴はこの高校に入学したばかりの頃を振り返った。
*
「お願いだ、鎧塚さん。どうか我が剣道部へ入部してほしい」
昼休み中に一年一組まで来た男子生徒は、三年生を示す青いネクタイを締めていた。剣道部主将だという
対する美琴は、「私なんて、お邪魔になるだけだと思います……」と
――なぜ、美琴の素性を知る者がここにいる?
認識の誤りには、徐々に気づいた。どうやら世間一般の少女たちは、小学校のいじめっ子を一本背負いで投げ飛ばしたりしないし、給食のプリンをこっそり二つ食べようとした悪童の手首を
幼い頃が、思えば一番楽しい時期だった。厚紙で作った長剣を振り回した美琴は、よく男子たちの輪に交じって遊んだものだ。
だが、偽物の長剣が剣道部の
隣町の高校を受験して、美琴のことを誰も知らない土地に行く、と。
怪力と武術を封印すれば、普通の女の子になれるはずだ。あわよくばモテ期も到来すれば、
廊下で熱弁を振るう先輩を見ていると、対面の窓ガラスに薄く映し出された現在の美琴と目が合った。万年ベリーショートだった黒髪は、毛先をブレザーの肩まで届かせた。
「先輩は、人違いをしていると思います」
「え? そんなはずはないよ。鎧塚という名字は珍しいし、剣術家・
「そっ、そんな人、知りません!」
ちょうど
「美琴、先輩はなんの用事だったの?」
「人違いだったみたい。それより、みんなで何を話してたの?」
「ああ、
――そう高を
*
照明を落としてカーテンを引いた体育館に、マイクを通した声が響き渡る。新入生に向けた部活紹介は、各部につき一人か二人の代表者によって行われた。このプレゼンテーションを参考にして、新入生たちは今日の放課後から部活見学に
入れ替わりで現れた女子生徒が、「文芸部部長です」と名乗った時だった。美琴は、数々の
「全員、そこから動くなよ!」
充満していた眠気が消し飛び、暗闇にどよめきが広がった。
「よ、要求はなんだ!」
強張った声で叫び返したのは、
暗闇に紛れて新入生たちの列を離れて、舞台裏に続く扉へ疾走する。風のように階段を駆け上がると、檀上のライトが差し込む舞台袖には、緊迫感が満ちていた。上級生たちは
不審者を制圧するくらい、朝飯前だ。ここまで走る間にも、十を超える戦闘パターンを想定して、脳内で不審者をボコボコに叩きのめしている。だが、本当にそれでいいのだろうか。せっかく掴み取ろうとした青春を、衆目の面前で握り潰していいのだろうか――乙女と破壊神の
はっと振り向くと、昼休みに顔を合わせた剣道部主将の先輩が、剣道衣と
「なんで君がここに……それより、こんな所に来ちゃだめだ」
先輩は何かを言っていたが、美琴の目は竹刀に釘付けだった。
――ここで人命ではなく青春を選べば、美琴は間違いなく己を軽蔑する。他人からゴリラ呼ばわりされることよりも、曲がったことが大嫌いな己を殺して生きるほうが、何よりも大切な誇りに
「先輩、竹刀を借ります!」
「えっ?」
不審者は、新たな
わっと新入生たちから歓声が上がり、スポットライトと拍手
不審者から解放されたにもかかわらず、文芸部部長の表情は晴れなかった。喉に魚の小骨でも刺さったような顔で、足元で伸びている不審者を気にしている。美琴は目出し帽のそばに落ちた
――もっと早く、気づくべきだった。竹刀で小刀を弾いた時に、手応えがあまりにも軽かった。教師陣が事態の収拾に乗り出す気配も一切なく、美琴が違和感の数々を見逃したのは、目先の青春に
小刀の刀身には、アルミホイルが巻かれていて、
照明をギラギラとチープに反射させているそれは、美琴が小学生時代に男子たちと振り回した長剣にそっくりな、まごうことなき偽物だった。
*
「じゃあ美琴は、文芸部、演劇部、剣道部が
打ち明け話を締めくくると、
事件翌日の昼休みは賑やかで、誰も美琴たちの密談に気づいていない。だが、一人の男子生徒だけは、もしかしたら気づいているだろうか。穴があったら入りたいくらいの羞恥心がぶり返して、美琴は昨日の
――『俺、この高校で演劇をやりたくてさ。上級生の部活紹介が始まるよりもずっと前に、演劇部の部室まで見学に行ったんだ』
そう言って体育館の舞台袖ではにかんだのは、クラスのイケメンの
『もう入部する気でいるって伝えたら、今回の計画を知らされて、協力することになったんだ。早期に入部希望を出した生徒に、根回しをする伝統なんだって』
『ほら、部活紹介の時に眠そうにしてる新入生、けっこう多いからさー。各部活の得意分野を活かして、場を盛り上げたってわけだよ』
剣道部主将も、なぜかノリノリで説明した。文芸部部長の女子生徒も、申し訳なさそうに微笑んで、『先生たちもシナリオは了承済みだけど、今回の
つまり、今回の出来事は、三つの部活による過激な部活紹介であり、文芸部部長が刃物を突きつけられた直後に
『俺が『要求はなんだ』って台詞を噛みながら言ったあと、鎧塚さんは聞いてなかったみたいだけど、刃物を突きつける不審者役を務めてくれた演劇部部長の台詞は、こう続いたんだ。『入部届の欄に「演劇部」と書け』ってね。そこで、剣道部主将が不審者をやっつけにくるシナリオだったんだけど……』
『そこで、私が割り込んだのね……』
目出し帽を被った演劇部部長は、美琴の登場をサプライズだと思ったらしい。しかし、竹刀で迫る美琴が鬼神そのもので、恐怖のあまり気絶したという。目を覚ましてからは「あの
ただ、不安がゼロになったわけではない。まだ笑い続けている
「茉優は私のことを、ゴリラとか破壊神って言わない?」
「なんで? 強くて格好よかったよ! 速水くんから乗りかえる子も多いんだから!」
「それ、喜んでいいのかな……?」
「美琴はすごいよ、入学早々モテモテだね!」
「モテモテ? 私のモテ期って、これなの?」
がっかりした美琴は机に突っ伏してむくれたが、確かに美琴はあれからも、さまざまな部活に勧誘されている。剣道部だけでなく柔道部や陸上部といった運動部に、今回の椿事で大迷惑をかけた演劇部からも「君は
「なんの騒ぎ?」
「喧嘩だってさ」
横合いから爽やかな男子生徒の声が聞こえて、どきりとした。いつの間にか机に長身の影が落ちていて、顔を上げると
「上級生同士で、口喧嘩が少しエスカレートしたみたいだ。もう先生も向かってるのが窓から見えたし、放っておいても大丈夫だと思うけど……」
その台詞が終わるか終わらないかといったところで、誰かが窓の外から切羽詰まった声で「鎧塚さんを呼べ!」と叫び始めた。美琴は、溜息を吐き出した。恥は広まらずに済んだようだが、勝利伝説は現在進行形で広まり続けているようだ。
「呼ばれてるから、行ってくる。私が行けば、喧嘩なんて秒で止まると思うから」
「美琴が言うと、
「鎧塚さん、ヒーローみたいだな」
二人からしみじみと言われて、美琴は目から
あの頃から美琴は何も変わっていないし、これからも変わらなくていい。まだ心の片隅を
「怪我にだけは、気をつけて」
「う……うん!」
初めての女の子扱いに、不意打ちで胸が高鳴った。これからも、日常でトラブルが勃発するたびに「鎧塚さんを呼べ!」と誰かが美琴を呼ぶのだろう。けれど、以前と変わらない日々を送っているようで、本当は少しずつ変わっているのだろうか。
だとしたら、こんなモテ期も悪くない。そう素直に思えた美琴は、己を必要としている新しい戦いの場に向かって、生き生きと力強く走っていった。
こんなモテ期も悪くない 一初ゆずこ @yuzuko
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