二刀流はやらない

タカテン

二刀流はやらない

「みんなね、言うんですよ。無茶はよせって」

 

 そう言って彼は少しはにかんだ笑顔を見せた。

 春の、とある土曜日の午後だった。

 私は約束していた時間の五分前に喫茶店のドアベルを鳴らしたけれども、彼は既に窓際の席へ腰掛けていた。

 ひょろりとした背格好をしていて、トレーナーにジーパンと言う休日らしいありきたりな服装をしたごく普通の好青年――それが彼を最初に見た時の印象だった。

 そう、その時はまだとてもあんな大胆なことをやってのける人間には見えなかった。


「社会を舐めてる、そういう人も多いですね」


 挨拶もそこそこに早速インタビューを始める私に、彼は決断へ至るまでいかに多くの人から反対されたかを淡々と話していく。

 絶対あとになって後悔する、失敗したらどうするつもりだ、そんなことも言われたそうだ。

 しかもそれは親や友人たちからだけではない。業界のOBからももっぱら非難的な言葉が相次いだ。

 それだけ彼は非常識なことに挑戦しようとしているのだ。

 

「それであなたをスカウトをされた方はなんと?」

「担当者さんもみんなと同じです。それに先日はこんな資料も持って来られました」


 口にしていたコーヒーを下ろすと、彼は鞄からホチキス留めされた十数枚からなる資料を取り出して私に見せてくれた。

 一番上の表紙には『〇〇君、メジャーへの道しるべ』とあった。

 なんでもここ数年の業界のデータから、彼の挑戦を考え直させようと用意したものらしい。

 が。

 

「統計的に見ても僕の挑戦はかなり無謀なものなのだそうです。ですけど」

「ですけど?」

「僕の気持ちは変わりません。だってずっとこの日を夢見てやってきたのですから」


 彼の考えは変わらなかった。

 また、その口調にも変わったところは無かった。

 それは彼の決意が固いことを私に強く印象付けた。今更何があろうとも考えを変えたりはしない。故に言葉が感情的になることもなく、もはや決定事項を淡々と私に説明しているだけなのだと感じた。

 

「大学を卒業して5年。僕はラノベ作家になるのを夢見て、やりたくもない会社勤めをしました。ですがそれももうおしまいです。拾い上げではありますけど、ようやくラノベ作家になれるのですから」

「つまり会社をやめてラノベ作家一本で食べていく、と」

「はい。サラリーマンとラノベ作家の二刀流をやるつもりはありません」


 そして彼は言った。

 

「僕はなりますよ。メジャー作家に」


 

 喫茶店を出て、私は今回の取材のお礼と同時に幾つかの激励の言葉をかけた。

 彼は微笑んで頭を何度も下げると、春のうららかな空気に包まれた街へと歩き出す。

 その足取りは力強く感じたものの、しかし、すぐに人波に紛れて姿が見えなくなった。

 まるで意気揚々とデビューしたのはいいものの、あっさり埋もれて消えていくラノベ作家のように思えて、私は咄嗟にその言葉を呟いてしまう。

 

 無茶はよせ、と。

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