初めてだけは譲らない
藤咲 沙久
今はまだ、二人だけの
二〇二号室の扉が控え目にノックされたのは、ちょうど俺が執筆に行き詰まった時だった。ルームメイトを含め、ほとんどの学生が帰省している春休み。わざわざ俺を訪ねてくるヤツはこの寮に一人しかいない。
「
「いる。開いてるから入ってこいよ」
すっかり耳に慣れた関西弁とハスキーな声は、間違いなく
楠葉と話すのはいい気分転換になる。タイミングの良さに感謝しつつ、俺は先程まで睨み合っていたノートパソコンを脇へ押し退けた。
「あ、なんか書いとった? ごめんな。同室さん留守や言うてたからチャンスやと思うて……」
「書けなくなってたから構わん。楠葉に相談したいけど、お前にはちゃんと完成したやつ読んでもらいたいしなー」
「あっは。楽しみにしてるわ、せんせぇ」
嬉しそうに笑う楠葉だって俺と同じ物書きだ。もちろんお互い趣味程度だが、ネットじゃないリアルの創作仲間は本当に珍しい。楠葉に至っては作品を人に見せたのすら初めてだと言っていた。それを聞いて、不思議と俺まで気分が高揚したのをよく覚えている。
出会いも、趣味の露見も、本当に偶然だった。今では楠葉も俺が勧めた小説投稿サイトのユーザーになったが、いまいち操作がピンとこないらしく、そちらは俺の小説を読む専門になっているようだ。
「なあ、今はどっちのサイトで書いてたん?」
「カクヨムの方」
「トリさんの方やな!」
思わずフッと笑ってしまう。楠葉はどうにも、あの丸っこい看板キャラクターがお気に入りらしい。正直、俺としては前面にあるファスナー風の線に意識がいくんだが。
「そう、お前あれ好きな。継続して読んでくれてる人も増えてきたからさ、連載途切れさせたくないんだよ」
「トリさん
「人気っていうか……まあ、サンキュ」
確かに最初の頃より閲覧数は伸びているが、所詮は俺も底辺ユーザー。丸一日誰の目にも触れない日だってザラにある。でもこんな複雑な気持ち、瞳を輝かせている楠葉に打ち明けるのは気が引けるってもんだ。
「千世くんはアレやね、いわゆる二刀流やね。小説サイト二つ跨いで作家しとるなんて、大谷選手みたいや」
「大谷は“打つわ投げるわ”だからな、それでいくと俺は“投げるわ投げるわ”だぞ」
「ほんなら武蔵でええよ」
「ええよって、妥協される武蔵の気持ち考えてやれよ」
「あっは。千世くんおもろいこと言うわぁ」
持参したノート二冊を手に「にとーりゅー!」と構えだす楠葉。チャンバラに付き合うつもりで手刀を繰り出したら、容赦なく額に当たってしまった。たっぷり三秒は遅かった白羽取りが虚しくパンッと音を立てる。
のんびりした性格はよく知っているが、どうやら反射神経の方もずいぶんマイペースらしかった。
「あいたた。まぁええとして、トリさんでは異世界系いうの投稿してるやん? でも、もう一個の方ではキュンキュンな青春ラブストーリーやんか。全然ちゃうジャンル書きこなすなんて、やっぱ千世くんは二刀流や」
「器用貧乏とも言うんだがな」
自虐兼、本心だ。どちらも得意がゆえに片方にも絞れず、どちらかが突出することもない。まあ両方好きだから悪くはないんだが。
「今さらやけど、サイトわけるんって意味あるん?」
「読者層が全然違うんだよ。それぞれの需要に添った先に投稿した方がWin-Winだろ」
「はああ。そんなことまで考えてるんや、かしこやな」
「カシコとは。結語か?」
「なんで急に手紙やねん。賢いいう意味やし」
軽快なやり取りで笑い合う。効率よく読者を確保したい魂胆も、賢いと感心してもらえるなら少しは救われる。多少面倒臭さはあるが、これも戦略だ。器用貧乏も前向きに活かさねば。
「方向性が二分化してる俺より、楠葉みたいに一つのジャンル極めてる方がカッコいいけどな。早く投稿したらいいのに」
もし活躍したらと思うと、嫉妬心がないと言えば嘘になる。俺だって物書きの端くれだ。それでも、これだけのものが書ける楠葉がひっそり埋もれているのは純粋に不思議だった。
「んー……。ボク、地元がホンマ田舎でな。娯楽とか何もないし、あの頃ネットとか苦手やったし、これだけが楽しみやった。でも馬鹿にされるから誰にも内緒やってん」
「お、う。そうか」
「投稿の仕方がようわからへんのもあるけど。まだな、不特定多数の人に見られんのは緊張するねん。千世くんが読んでくれるなら、それだけで、ええねん」
楠葉がノートに視線を落とす。いつも小説を手書きしては持ってきてくれる、見慣れた緑色の表紙。二冊あるから大作かもしれない。
ただ今は、そちらよりも楠葉と話す方が大事に思えた。
「……帰んなくてよかったのか、春休み」
「帰ってこいとは言われてへんし。別に会いたい人もおらんから。でも、千世くんも残っててくれてよかったわ」
「俺は金欠なだけな」
「なら千世くんのお財布に感謝やな。薄っぺらぁてありがとぉて」
「ば、か、や、ろ、う」
恐いわぁと楠葉が朗らかに笑う。会いたい人もいない、なんて寂しいことを口にした後とは思えないくらいだった。
あの頃。そう楠葉が言った時期に、どんな生活があったのかと考える。楽しい記憶ではなさそうだった。これだけ育ちの良さそうな楠葉は、それゆえの窮屈な環境にいたのかもしれない。ただひとつ心を開けるノートの中の世界。それが、楠葉にとっての小説だったんだろう。
(とんでもなく深い心の中、だよな……これって)
創作物なんて、どれだけ実際と異なる背景や設定があろうと、行き着くところは作者の心象風景だ。それを今、俺だけが知っている。俺だけが許されている。わずかに抱いてしまった優越感は……あまり誉められたものじゃないけれど。
「楠葉はさ、すごいよ。独学とか信じられんレベルで面白いし。しかも時代劇ミステリーだぜ? 俺には書けないっつーか」
今度は俺が俯きそうになる。だけど、柔らかな声音で「千世くん」と呼ばれ、落下しかけた視線は引き留められた。そうして楠葉のそれと絡む。温かい目だった。
「ボクにだって、千世くんが得意なジャンルは全然書かれへん。比べるもんとちゃうねん。だからな、どっちが凄いとか、ないんやで。……あっ、でもバリバリ投稿しとるんは凄いな!」
「ん。……なんか、サンキュ」
お礼を言うのは同じなのに、今度は少しだけ苦さが薄れた。楠葉は優しい。それが計算のない言葉だと知っているから、余計に励まされる気がした。
楠葉の隣は居心地が良かった。千世くん千世くんと懐かれているようでいて、案外俺の方が楠葉を手離せなくなってそうだ。
「しっかし楠葉も、どこからあんなネタ思いつくんだよ。全然時代劇顔じゃないしミステリー顔でもないし、意外すぎ」
「顔てなんやの。千世くんかて、甘々な恋愛小説とか意外すぎるわ。こないだのキスシーン、あれ、まさか実体験やったりする?」
「そこは、あれだ。童貞には童貞にしかない妄想力があんだよ」
「あほ、キスに童貞関係あらへんわ。そんなんゆうたらボクも童──……この話やめよか。そや、他にもな、見せたいのがあって」
ソワソワとした様子で楠葉が二冊目のノートを手に取る。表紙は同じだが、一冊目とは違う内容だったのか。俺の様子を窺うようにしてソッと開かれたページに並んでいたのは文章──では、なかった。
「え、なに、このキャラデザ……俺が連載で書いてる、やつ……?」
「恥ずかしいから黙っててんけど。ボクな、実はちょっと絵も描くねん。千世くんの書くキャラ好きやから描いてみたくて……勝手にごめんな?」
ちょっと、と言ったか。これが「ちょっと」の範囲なわけあるか。着色のないラフな鉛筆画なのに、素人にもわかるクオリティの高さ。バランス、表情、描写をもとにした衣装の再現力。ついでに言えば超可愛い。完璧かよ。
一度ノートを閉じて、改めて開く。やっぱり可愛い。そしてそのまま楠葉の方を向いて深く息を吸った。
「──お前の方がよほど二刀流だろ!!」
「え、何がなん?! ボク武蔵とちゃうで?!」
なんかもう、白旗。楠葉は比べるもんじゃないと言うが、こんな欲張りの才能が目の前にあっては完敗だ。もはや埋もれさせてたまるかという心境にさえなってきた。
(決めた、絶対投稿させる。明日から本気出させる)
きょとんとした顔を前に密かな決心をしつつ、頭の中は計画でいっぱいだ。とりあえずイラストは近況ノートを駆使だな。
「楠葉。……もしお前が上位作家になっても、最初に読むのは俺でいさせてくれるか」
馬鹿なことを聞いた自覚はある。コイツにとって初めての創作仲間になれたのが嬉しかったし、ちょっと誇らしい。ただやっぱり、これから先に自分だけの楠葉じゃなくなる寂しさは感じずにいられなかった。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ようわからへんけど、と楠葉は上品な笑顔を見せてくれた。
「そんなん決まってるやん。ボクが一番読んで欲しいて思うんは、千世くんなんやから!」
初めてだけは譲らない 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます