第142話 エピローグ

・ダグラスとマリアンヌ


「ちょっとあなた、なにしてるのよ!」


 マリアンヌがダグラスを叱る。


「なにってクリストファーにご飯をあげようとしているだけだよ」

「あなたの血をあげたらダメでしょう!」


 彼女は血相を変えてダグラスの指を息子の口元から離した。


「どうしてダメなんだい?」

「あなたの血は味が美味しすぎるのよ。そんなものを味わったら他の血を飲まなくなるでしょう! 好き嫌いをなくすためにも赤ちゃんのうちから色んな血を飲ませないとダメなのよ!」

「血にも好き嫌いがあるんだ……」

「そうよ、だから気をつけて」


 マリアンヌは注意したあと、ダグラスの指を舐める。


「あなたの血は私だけのものなんだから……」


 もしも彼女が人間であれば、今頃は頬を紅潮させていたかもしれない。

 血の気のない吸血鬼だからこそ、彼女は平静を装っていられた。


「マリー……」

「な、なに?」


 ダグラスがマリアンヌをしっかりとした視線で見つめる。

 マリアンヌは彼の慣れない行動に少し動揺する。


「僕の事を独占したいと思ってくれるのは嬉しいけど、子供相手は大人げないよ」

「もう、鈍感!」


 彼女はダグラスの爪先を踏む。

 だが彼の反応はなかった。

 痛みを感じない彼は、文字通り鈍感を極めた存在だった。


「いきなり怒ってどうしたの?」


 デリカシーのないダグラスに、マリアンヌは怒りで体を震わせていた。

 

「ダグラス、あなたは子育てから女心まで学ぶべき事はいっぱいあるようね」

「そうだね……。種族の違いというものをしっかり学ばないといけないね」

「そういう事じゃないの!」


 ――これまで恋人や普通の家族とは縁のなかったダグラスにとって、学ばないといけない事はまだまだ多そうである。




・キドリ


 結局、彼女は三十年ほどシンに神として滞在していた。

 その間は神としての業務をこなしつつ、受験勉強や古代文明の技術を学んでいた。

 しかし、彼女は忘れてしまっていた事がある。


 ――自分が神の力を持っているという事を。


 その最も大事な事を彼女は忘れていたのだ。


(私って実は天才だったのかも!?)


 そう錯覚してしまうほど、彼女の勉強は順調に進んでいた。

 それもそのはず、彼女は神としての力によって学習能力が向上していたのだ。

 おかげで受験勉強どころか、専門的な学問までスイスイと理解する事ができた。

 しかし、それは彼女にとって大きな間違いだった。


 ――元の世界、元の時間に帰った彼女は、試験でカンニングを疑われてしまったからだ!


 以前の彼女も成績は悪くなかったが、全科目で満点を取るほどではなかった。

 そんな彼女が、いきなり全科目で満点を取ったのだ。

 教師たちはまず不正を疑った。

 だが教師たちが見守る中、再試験でキドリはまたしても満点を取った。

 不正がなかったとわかり、教師たちは彼女に謝罪する。


 それから彼女は自重――しなかった。

 堂々と自分の力をさらけ出し、世界一と言われる海外の大学へ飛び入学し、そのまま早期卒業までした。

 その後は科学研究所に入り、核融合炉の実用化や難病の特効薬などを開発。

 一躍その名を轟かせ、世界中の人々に“天才”や“英雄”と称賛された。

 しかし、栄光の道を歩む彼女自身は面白く感じていなかった。


(人の役に立ってはいるけれど、しょせんは借り物の知識。それを自分の功績のようにひけらかすのは嫌だなぁ……)


 彼女にとって、今の人生は“最初からチートでレベルマックスにしたロールプレイングゲーム”をプレイしているようなものである。

 自分の力で成し遂げたものではないので、彼女の中に虚しさだけが残っていた。

 だが、ある日転機が訪れる。


 ――彼女の住む世界に異世界から異形の者たちが攻めてきたのだ。


 空虚な日々を過ごしていた彼女は、スマホに向かって叫ぶ。


召喚サモン機装鎧モビルアーマー!」


 彼女はまたしても世界を救った英雄になる道を歩んでいく。




・ユベール


 彼にも“カノンの従者として真面目に役目をこなしていれば、おこぼれに預かる事ができるかも?”という下心はあったが、基本的には問題は起こさなかった。

 それどころか真面目にカノンに付き従う彼の姿を見て、世間の人々は“こういうエルフもいるんだ”と、エルフに対する偏見を薄れさせていった。


 だが彼もカノンに付き従うだけではない。

 個人で行動する時もあった。

 そういう時は主に旧交を温めるためである。


「なぁ、レジス。ダグラスの兄貴が世界を救ってくれたんだ。もう忘れろよ。異端審問官にも戻れたんだろ?」


 今回はかつての仲間と会い、ダグラスの尻拭いをするためにレジスのもとを訪れていた。

 彼と食事をしながら話をしていた。


「じゃあお前は全財産持ち逃げされても許せるのかよ?」

「絶対許せねぇ」

「だったら無茶言うなよ!」


 やはりレジスはダグラスに金を持ち逃げされた事を恨んでいた。

 コツコツと貯めたお金を盗まれたのだ。

 恨みを忘れろと言われて、そう簡単に忘れられるはずがなかった。


「ここは私の顔に免じてなんとか」

「余計に許せねぇなぁ」

「なんでだよ!」

「お前の顔に免じるところがねぇ!」

「お前、それでも仲間かよ!」


 そして説得している者も悪かった。

 残念な事に、ユベールには人徳がない。

 彼は同族のレジスにも軽んじられていた。

 だがそれに関しては彼個人の問題ではなく、エルフという種族全体の問題ではあったが。


「お前はカノン様の従者になったんだから、俺たちの上に立つ存在だろう? もう仲間じゃねぇよ」

「そう、だな……」


(もうクローラ帝国の臣民じゃないんだな……)


 ユベールはかつての仲間を、もう仲間とは呼べない立場になってしまった。

 レジスの言葉に、彼は優越感と共に寂しさを覚えた。


「だけどさ、立場は違っても友人にはなれる。そういう関係でいいじゃないか」


 レジスはユベールを突き放す事を言ったあと、しっかりとフォローを入れる。

 彼の言葉にユベールは感動した。


「ありがとう。じゃあ友人だから、ここは割り勘な」

「なんでだよ! お前のほうが立場が上だろう! そもそも素寒貧になった俺に払わせようとするんじゃねぇよ!」

「やっぱりな! 俺に払わせようっていう魂胆はわかっていたぞ!」

「神の従者なんだからケチケチすんなよ!」

「馬鹿野郎! 今はまだお布施で生活しようって言われてるから金がないんだよ!」

「じゃあ、お前も俺に払わせようとしてたって事じゃねぇか!」


 ――エルフながらも神の従者に選ばれたユベール。


 彼が悟りを開く時はまだまだ先になりそうだ。




・フリーデグント


 彼女はユベールと比べるまでもなく普通だった。

 クローラ帝国皇帝にカノンが神になった事と、彼女自身もキドリと共にカノンの補佐をするという事を報告した。

 魔法が使えるようになった事も確認されており、世界を救った功績で彼女は聖騎士パラディンの称号と伯爵位を賜った。

 彼女は肩書きの重さを自覚し、その責任を果たそうという覚悟を胸に秘めていた。

 一応はユベールも伯爵位を賜ったが、彼は貴族年金くらいにしか興味を持っていなかった。

 そのため、彼は爵位だけで称号や勲章などは与えられていなかった。


「いい、お母さんは貴族になったの。それでね、勇者様と一緒にカノン様のお手伝いもする事になったのよ。だから留守にする事も多くなるけれどいい子にしててね」

「はい!」

「留守は任せて!」


 フリーデグントは責任の重さを知っているため、家族よりもキドリの補佐を優先しようとしていた。

 まだ息子二人は小さかったが、日頃の教育のおかげかしっかりとした返事をする。

 彼女は息子二人をギュッと強く抱きしめた。


「家の事はお願いね。お父さんの事はどうでもいいから、まずは自分たちの事を優先してね」

「おいおい、酷いじゃないか。ようやく私の作品が注目を浴びるようになったというのに」

「それは私の――カノン様のご威光のおかげでしょう」


 彼女の夫は売れない画家だった。

 出会った当初は“夢を持っているクリエイティブな人って素敵”と思い、知り合って間もなく彼と深い関係になった。

 だがそれはすぐに過ちだった気づかされる。


 ――彼の収入が皆無だったからだ。


 人間が大半を占める国であればチャンスもあっただろう。

 だがクローラ帝国にはドワーフが多く住んでいる。

 当然、美術界隈もレベルが高くなっており、まともなコネもない者が画廊に売り込む余地などなかった。

 その事にフリーデグントが気づけたのは、第一子を妊娠している時だった。

 しかし、子供ができた以上は仕方がない。

 結果的に彼女は二人の子育てと夫の面倒を見ながら、騎士の仕事を続けた。


 だが、もうその必要はなくなった。

 夫の絵画が売れるようになったからではない。

 爵位を賜ったからだ。


「これからは使用人を雇う余裕ができました。離婚してお互いに新しい道を進みましょう」

「なぜだ!? これまで上手くやってきたじゃないか!? どうして急に!」

「急にじゃありません。ずっと前から考えていました。私は子育てをしますが、大きな子供を育てる気はありません。いい加減に自立してください」


 ヒモのような夫に愛想を尽かしていたフリーデグントは夫を突き放す。


「そんな……」

「あなたのためにも、もっと早くこうするべきでした。一月分は暮らせるお金は渡してあげますから、あとは自分でどうにかしてください」

「お前たち、パパがいなくて寂しくないか?」


 フリーデグントの決意が固いと見た夫は、子供たちにすり寄る。

 しかし、子供たちは一度顔を見合わせたあと、父を突き放す言葉を言い放つ。


「寂しいけど、立派な人になってきてほしいかな。お母さんに心配させるばっかりのお父さんはさすがに……」

「アトリエに籠るばっかりじゃなくて、もっと僕たちと遊んでほしかったよ……」


 二人とも父が家に残る事を望まなかった。

 子供たちに突き放された事で、彼は愕然とする。


「荷物は早めにまとめておいてください」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」


 なおもすがりつこうとする夫を、フリーデグントは見向きもしなかった。

 彼女もまた、新たな人生のスタートを切ったのだ。




・カノン


 彼は長い間困っていた。

 キドリが三十年もの間、神として居座ったからである。

 だがその甲斐はあった。

 さすがに三十年もあれば、彼もITリテラシーをマスターできたからだ。

 その他にも“自分こそが人を導く存在だ”という自分よがりな考えを少し見つめ直す事もできた。

 彼は落ち着いた大人へと成長していった。


 神の座についてからは、人類と魔族の間の戦争を抑制し、各々に“戦争をせずに済む方法”を考えさせた。

 ダグラスとマリアンヌの姿を見て、異種族間の婚姻などもありだと思ったからだ。

 これは元々カノンがいた世界で“人間と魔族の結婚”などは創作物でありふれていた事も影響している。

 この世界では禁忌として思われていた考えも、彼が作った聖書同人誌によって徐々に受け入れられていく。


 二百年も過ぎると、人類と魔族のカップルなど珍しくなくなった。

 そうなると今度はカノン自身が“うっわ、エッロ!”と神の視点による覗きで楽しませてもらう側になった。

 しかし、それもすぐに飽きる。


(タイラさんも飽きてきたところに古代人の襲撃があってどうでもよくなったんだろうなぁ……)


 ――長く続く平穏。


 それはかけがいのないものである。

 だが世界を管理するカノンにとっては退屈極まりない作業となっていた。

 それ故に少しだけこの世界を見捨てて逃げたジョージ・タイラーの気持ちがわかるようになってくる。


 ――しかし、彼は見捨てなかった。


 世界が安定しているのならば、それでいい。

 カノンは神としての使命感に関しては責任を持って行動していた。

 だがそれでも飽きはくる。

 彼にも息抜きは必要だったのだ。

 だから神としての力を使い、少しだけバカンスを楽しむ事にした。


「おいおい、お前が神になるのかよ」

「なにっ! なんですかあなたは! ぶしつけにそんな事を!」

「そうだな……。俺はチュートリアルキャラとでも言っておこう!」

「チュートリアルキャラ!? あなたが?」

「さぁ、世界を救う第一歩だ! 手持ちのスキルはなにが使える?」


 彼は他の世界に干渉する事にした。


 ――異世界で神になろうとする者を手助けする。


 かつて自分が困った世界救済の旅。

 その出だしを助けるお助けキャラとして活動する。

 それが彼のささやかな息抜きだった。

 人として腐っているところはあるが、彼の根っこは何百年経とうと“人を正しい方向へ導きたい”という確固たる信念を持ち合わせたままだった。


 --------------------

これにて「お前が神になるのかよ!」完結です!

長らくお付き合いいただきありがとうございました!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お前が神になるのかよ! nama @nama0612

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ