第9話 元勇者の冒険者学校入学Ⅱ
「もし帰ったら……殴り癒やすから、ね?」
慌てて頷いてみせる。
だから、拳を固めてこちらをにこやかに威圧してくるのはやめてね?
「お騒がせしました。それで、話の続きなのですが――」
「はい、ようこそデイルド冒険者学校へ。私、ビイエルが入学手続きを
先程のやり取りを見なかったことにして、仕事をこなしてくださる仕事人で助かった。もうこれ以上のゴタゴタは御免こうむる。
「よろしくお願いします」
「では、こちらの用紙に必要事項を記入を……失礼ですが、文字の読み書きはできますでしょうか?」
まったく、そんなことまで心配されねばならないとは……。
しかし、この年齢で貴族でもないのに読み書き、算術ができる者は決して多くない。俺はできれば目立たず、
「できますよ」
「し、失礼しました!」
……すみません余計なことを言いました、穏便には済まないみたいです。
先ほどの落ち着いた説明口調から一転。
貴族と勘違いされたのか、冷や汗、脂汗がだくだくである。
特に脇の下の発汗量がとてつもないビイエルさん。完璧主義だからこそ出てきたのだろう反応に、さすがにこちらも申し訳なく思う。
「いえ、両親が商人の出なので習っただけです。何にもない村から来た普通のこ、子供ですよ」
さすがに申し訳ないので、出自を偽ってそれっぽく誤魔化しておく。
思い返せば、生前の俺は文字なんて覚えていなかったし、当然のように書いてもらっていたっけ。
だとしても、自ら子供であるという事実を口にするのに多大な抵抗感を覚えるものだ。
――勇者は嫌だが、子供も嫌と思ってしまう元大人は果たしてワガママでしょうか?
教えてください、神様。
……しかし、この身に堕としたのも神様だってことを思い出し、勝手に辟易と。
俺は気を取り直して、ビーエルさんの溢れ、滲み出る汗が引くまでできる限り時間をかけて用紙の記入欄を埋めていく。
しかし、この手続きで記入漏れよりも何よりも忘れてはいけないのが、入学金兼学費の存在だ。それも金貨二枚という、それこそ一介の商人が一年で稼げるかどうかという額。俺が捻出していない手前なんとも言えないが、よほど切り詰めていたのだろう。
生前ならまだしも、今はそのあたりの事情も把握できるお年頃。
両親が当て布で必死に服を着古しているなか、俺だけ毎回成長に合わせて新しい衣服があてがわれるし、俺よりも大喰らいであろう親父の方がなぜか小食で、むしろ俺にもっと食べるよう勧めてくるし。
俺は俺でそんな家族の裏側を、実態を知ってしまって、察してしまっているから、服は何が何でも汚せないし、飯も露骨に遠慮するわけにもいかないから、どんなに絶不調でも残さずきちんと皿を舐め回すように食べたものだ。
――ガキって気楽だなと改めて思う。
「書き終わりましたでしょうか? 不明な
俺が二枚の金貨から感慨に耽っている間に、ビーエルさんは完全復活。
俺の変なプライドを優先してしまって申し訳ないと心の中で謝罪しつつ、
「大丈夫です」
これ以上作業の滞りを出さないよう、用紙と一緒にあまりに軽く、されどありがたい重さを持った金貨を差し出す。
ビイエルさんは書類を一瞥し、二年分の学費を回収する。
彼女の書類を持つ腕に胸が寄せられ、俺の束の間の視姦に興じることにした。
「――トーマ様ですね。記載内容に誤りはございませんでしたので、今からこのダンジョン都市デイルドに滞在するための学徒証明書を発行いたします。腕を出していただけますか?」
この説明の足りない文章のせいで、最初訪れたときは恐々と腕を差し出したものだが、今となってはどうということはない。
なんせ二周目だからな。
腕に判子のようなものが押し当てられる。焼きごてかと思ってみっともない悲鳴を出したのも今は昔。ここに立っている俺はそれが魔法道具であることも見抜いている。
「はい、これで登録完了です。では、説明事項がいくつか――。まず、明日から庶等科にて冒険者としての研修を受けられます。庶等科とは別に貴族科というクラス分けがございますが、余計な折衝を避けるためのものですのでご了承ください。授業は主に二項目ありまして、座学、そして実戦です。実戦の授業を行うにあたって、例年、入学当初の人数より卒業生の人数の方が少ないので心してください。当校は一切責任を負いません。また、今後の寝食についてですが、二年間宿を取っていただくことは金銭的に難しいかと思いますので、こちらで寮を用意しております。こちらも明日からご利用できます。それと万が一、退学を希望なさる場合はお手数ですが、またこの受付までいらしてください。腕の学徒証を消す作業がございますので――。私からの説明は以上でございます。それではトーマ様の日々のご健勝を祈っております」
おお、完璧だ。
ここまでの長文を噛まないビーエルさんに俺は称賛を送る。先の焦り様を見ているからこそ、この感動もひとしおというものである。
――学校で死者が出るなんて、元勇者でなければ恐怖で号泣モノである。
内容は立派な後出しで、もう少し先に言ってほしい情報ばかりだったにも関わらず、さも今言うべきことかのように錯覚させるのは彼女の、彼女だからこそ成せる技だろう。
それに加えてニコリと笑って、
「それでは、良い学校生活を」
なんて言われれば、元勇者の童貞なんかは回れ右してすぐに家路につくものだ。
紆余曲折を経たものの、なんとか当初の目標をクリアしてできた。
***
――宿に戻ってきて、明日に備えて体を休めるべく、夕飯よりも何よりも先にベッドに横になっている次第。
一段落してふと考える。
この世の中は十二才になったら自立して、職を持つべきという風潮があるくせに、この境遇となってからというもの、どうもこの世界は十二才を軽視しがちなところがあるのではないかと懸念していた。
しかしそれは杞憂だったらしい。
ビーエルさんもこの宿の恰幅のいいおばさんも、俺の幼さに付け込もうとはしなかった。真摯に、大人同様に対応してくれた。
つまり、俺こそが十二才を見くびって、軽んじていたということだ。
それに関しては猛省せねばなるまい――……お腹すいた。
……当面の目標としては、空腹に対する耐性を身に着けていきたいものだ、とは思いつつ、俺は宿泊スペースである二階から階下の食事処へと足を延ばす。匂いが床を抜けて
***
食事を終え、自室へと戻り一服。
――食べると……眠くなる。
この十二年間で、食べたら眠くなるのは一服盛られたわけではなく、子供特有のものだと分かった。
それはつまり――自分はもう勇者ではないのだということ。
魔王軍から寝首をかかれることもなく、一週間不眠不休で魔王軍の討伐に当たらなくてもいい。やり直し人生を送る中で、睡眠が十分に取れるということの素晴らしさに驚愕する毎日。
「これが、勇者じゃない生活……」
これが、俺が勇者に選ばれなかったときに送れただろう安寧。
それを知って、味わった今、そして一生涯、俺は勇者になるまいと心に誓った。
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