第32話 元勇者VS魔王Ⅰ
「――先の薄汚い雄叫びは『魔笛』というものでな。妾の体内に宿る魔力が宿主を掌握した証であり、なおかつその力を増幅させる。おかげで妾のなかに残っていた小娘の自我も抹消できた。飛び出したアヤツを探し出して手懐け、愛でかわいがり、飼い殺すぐらいのことはしてやろう」
味方が減ってもどこ吹く風。
魔王の声音がさっきまでとは、はっきりと変わっていた。艶めかしく、乱暴に、穏やかに、殺気立ったものへと。
それを間近で見て、聞いて、やはりマオも元から魔王などではなかったのだと知る。
『そう言わなかったけッか?』
「はっきりと言葉に出して初めて伝わった扱いになるんだよ!」
『そりゃあ、俺っちの配慮不足だわな!』
「アンタら、言っている場合かしら! さっきの危なっかしいお兄ちゃんより、よっぽど強そうじゃない!?」
アルバのあの豹変を見て、危なっかしいなどとかわいらしい言葉で片づけるあたりに苦言を呈したいが、目の前の存在が纏う格の違いというのがあからさまな以上、言葉で表現するには限界を感じる。
「アイツの中にはマオがいる。あまり手荒な真似はできない」
「――でもあの様子じゃ……」
「そうか、ユノが弱気ってんなら……」
「――ッ!? 誰がそんなこと言ったのよ!」
腕組みをして薄っぺらい胸を張ってみせる。
「それでこそユノだよ」
でないと俺の覚悟も鈍ってしまうというもの。
「でも、実際策があるわけ……?」
見切り発車の強がりではない今の俺なら問題ない。
魔王に身体を乗っ取られ、蝕まれて奥底に追いやられたであろうマオの姿を思い浮かべて、不退転の決意で首肯する。
「――生憎、同胞ほど妾は堪え性がある方ではなくてな」
マオ――否、魔王は痺れを切らして、少女の足で出せるとは思えないほどの超速で迫りくる。その勢いのままに飛んでくる膝蹴りが俺の顔面を砕こうと襲い来る。
俺はジェニトを横に傾けてそれを受け止めた。
「いや――ッ」
俺とマオ、二者間の衝突が生んだ衝撃波が暴風となって、両者の動きを目で捉えられなかったユノだけを弾き飛ばした。
今の今までアルバと闘っていたダメージの蓄積もあったのか、ユノはろくに受け身も取れず、瓦礫に叩きつけられて昏倒する。
「――っ!」
気にかけたい、駆けつけたいところだが、魔王がそれをさせない。
ひとまず勇者の力を宿したおかげで鋭敏になっている五感が、ユノの無事を知らせる。
得意の魔法戦に持ち込まず、覚醒前のマオが絶不調だった肉弾戦で。
人生二度目となる魔王戦の、一世一代で十分だと言いたくなるほどの死闘――その火蓋が切って落とされた。
刹那――魔王はそのまま滞空し、両肩を掴まれ、衝撃に震える腕に向けてダメ押しと言わんばかりに、もう片方の足を繰り出してくる。
一度目と違う魔王の小柄さが、より不規則で無茶な動きを生み出していた。
体格差はあれど、未発達と言えど魔王と勇者、この世の二大列強。もはや背やガタイなど大した要素ではない。
これに押し負けぬよう、相も変わらず光剣で受け止める腕力に全霊を込める。
『おっかねぇ――。折れちまいそうだ』
その飄々とした様子だと、どうやら折れる心配はないらしい。
『あったりめだってェの。光の剣がどうやって折れるってんだ? あ?』
「ほぉか? 是が非でもへし折りたくなるよのぉ」
「なぁ?」と耳元まで顔を寄せて囁かれるが、その持ち主である俺に同意を求められても困る。代わりにいつまで肩にしがみついているつもりだと、両手で支えていた剣を横薙ぎに振るってみせる。
『ハッ、勇者様はオメェが重ェってよ! ヒヒッ、さすが俺っち冴えわたる皮肉ゥ』
その言葉を発したヤツに、その言葉を耳に入れたヤツに、俺は背筋が凍り、そのくせ汗が伝ってとにかく動転し、気が気でなかった。
「おい馬鹿――っ」
「しェら――ッッ!」
相変わらず、魔王の怒りの沸点はそこまで高くないらしい。
生前、こちらの挑発がどれだけ気位の高い魔王の気分を害したことか。そして何度痛い目に遭ってきたことか。
怒気を孕んだ息遣いと共に、幼女がするような形相ではない、怒りに歪んだ魔王が猛攻を仕掛けてくる。
以前なら、ユノの『聖絶』のお世話になっていたであろう攻勢。
魔王の放ったおびただしい数の炎弾。一握りの灰も残すまいと放たれるそれらを薙ぎ、打ち払い、切り刻み、込められた害意全てを無に
漠然とした正義感を掲げる勇者としての力ではなく、生前にはなかったユノの力になりたいという確固たる意志が、『俺』と『ジェニト』の力がそうさせているのだと感じた。
醜悪な魔王の魔力に晒されている少女を助けたい。
たった一人、されどかけがえのない一人を。
「勇者ともあろう者が防戦一方ではないか! この体が、皮がそんなに惜しいか!」
魔王は、マオの顔で目まぐるしく表情を変え、歪ませて怒り、笑い、嘲る。
そして一閃。遠距離攻撃が俺に通用しないと悟った魔王から放たれる正拳突き。
全身の骨、筋肉が生み出す力と速さ全てを硬皮に覆われた右拳に乗せて打ち出される。砲弾以上の威力が、砲弾なんかより断然速く着弾する。
受け止めれば粉微塵は必至。
――そう、以前であれば。
「――ンなッ!?」
「もう、俺は負けない。俺はお前が今まで闘ってきた勇者じゃない。お前と今闘ってんのは俺自身だから」
魔王にとってその言葉は理解不能。到底納得できる話じゃない。理屈度外視の精神論。
必殺に値するはずの一撃一撃を、心構え一つを理由にしてあっさり返す俺に魔王は困惑を隠しきれずにいる。
殴打の嵐を受け止める俺から視線を外して、俺の後方で意識を失って瓦礫に横たわるユノに焦点を当て――そして。
魔王は彼女の頭上遥か高くに、超速で移動する。
俺はそれを見送って、見上げる。
大丈夫、なんら慌てる必要はない。なぜなら――、
「それはもう、イヤってほど知ってんだよ」
大切なものを奪われる悲しみも、失った後の脱力感も。
一度だって知りたくなかった、味わいたくなかった、無理やり舐めさせられた辛酸は忘れられるはずがなかった。
ゆえに何も、ただの一つも俺の前から
ユノめがけて、遥か上空から巨大な影を落としながら、ゆっくりと近づいてくる避けようのない隕石めいた岩弾。
のろまで愚鈍なそれを、しかし逃げるには幅がありすぎるそれを、剣身より断然大きなそれを。
俺は一刀のもとに両断し、さらに小石ほどの大きさまで分断して――。
頭上には青空が切り
もう悪意は打ち止めかと言わんばかりに、俺は澄んだ青にぽつりと落とされた黒点を臨む。
『でもよォ、攻めあぐねッてんだろ? いっそジェニト様の錆にしちまえば? まあ、俺っち錆とか縁知らずですけど!』
「次軽口叩いたら、肥溜めにぶん投げるぞ」
『そりゃ勘弁だぜ、相棒っち』
やれやれと無い首を振ってみせるジェニトをよそに俺は滞空している魔王に声をかける。
「――次で、終わりにしないか?」
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