第10話 元勇者の初登校Ⅰ
翌朝。始業直前。
俺は快眠を経て、朝の静かな街並み、ゆるりと始まる生きるための営みを眺めながら、ゆっくりと登校してきた。
その道中、俺は考えた――このまま馬鹿真面目に冒険者学校に通ってしまっていいものか、と。両親が苦労して稼いだ金をすでに納めてしまっていることは分かっているが、そもそもの俺の任務である勇者ルートの回避、これを成すうえでこの通学は不必要なのではないか。
しかし……そこまで考えて、俺はやっぱり行くことにした。
俺は――冒険者として生きる!
冒険者として東奔西走、七転八倒、波瀾万丈の日々を送り、勇者になる隙を己に与えない。この揺るぎない意思決定を胸に、鳥のさえずりなんかを耳にしながら、ゆったり穏やかな心で席に着いたつもりだった。
「おはよー」「俺の席ここな」「俺の名前は――」「初めまして」「勝負しようぜ」「目の色綺麗だねー」「私たちもうずっともだもんねー」「残念、早いもん勝ちぃ」「うんこ!」「ぎゃはははは」「うんこちんこ!」「ぶひゃひゃひぇっぶごほっごほっ」「その服かわいー」「そんなことないよぅ」
つもりだったのだが、それから約十分ずっとこれだ。永遠に収まらない雑音、騒音、不協和音。
いったい何の騒ぎなのか……。
魔王が差し向けてきた一万の魔物に、為す術なくただ狼狽するだけだった国の重鎮たちよりもうるさいし、話の中身がまったくない。
十二才というのはこうあるべきなのだろうか?
もしそうであるなら昨日考えていたことは全部無駄で、本来あるべき十二才の隙というものを俺が有していなかっただけという考えが正しいとするなら、なるほど……老けた感じがしてとても嫌だ。
言語化しにくいが、すごく凹む……。
生まれてからこれまで刻んできた年齢と精神年齢の絶妙なズレに悩んでいる最中、この喧噪の中に加わろうという人物がまた一人。
「トオォォマァァ――!」
その聞き覚えのある不機嫌な声に、咄嗟に後頭部を防御する。
「昨日置いていったのは悪かったから、殴るのだけは――!?」
「ちょ、ちょっと! 人を暴力女みたいに言わないでよ!」
「いや、おま――!?」
異を唱える彼女は言葉を返そうとする俺の耳元まで顔を近づけ――、
「学校生活かかってんのよ? だから…………やめてね?」
「はい」
……もはや雌雄は決しているのであった。
「――皆さーん、おはようございまぁす」
ようやく大人の登場か。
どうか俺を取り巻く環境に一喝して……ってなんかとてもオロオロしていて頼りなさそうな態度で、先の尖がった大きな帽子を目深にかぶった女性教官が一人。
どうやら、これから指導に当たるのは魔術師らしく、身を隠し、前衛の後ろから援護射撃を行ったり、治癒魔法をかけたりと、隠れ蓑のような役割のローブを身に着けている。――だというのに、お尻でも付いているのではと錯覚してしまうほどたわわな、それでいて重みで垂れることなく、お椀型の形の良い乳が存在を誇示していた。ローブの前を締めるための留め具は、布より新しいらしく、この事実からも彼女は巨乳であるということが見て取れる。
「せ、席に着いてくださーい……席に……」
……とても気弱な性格らしい。
「……大丈夫か、この学校?」
――懸念通り、騒音に塗れたまま朝礼が終了してしまった。
その間ずっとおろおろとしていて、とりあえず教壇に立って自分の軽い自己紹介と連絡事項を伝え、一年間よろしくお願いしますという挨拶で締めくくっていたが、最初から最後まで聞いていたのはおそらく俺だけ。
元年長者の俺がなんとかするしかないのだろうか、という庇護欲に駆られてしまう。
あの女教官――クトリスはとても可愛かったのだ。年齢は三十才で、現役を引退していて今は独身だと聞いてもいないのに暴露していたその性格も、意を決して、静かにしろとでも言おうとしたのか、クッと頭を持ち上げたときに見えたご尊顔も。垂れ目の泣きぼくろで小心者とか反則だろ!
婚期を平然と逃し、慌ててこれでもかと可愛さを研究し尽くして習得した執念のあざとさ、これに俺はやられてしまったようだ。
「二限目は戦闘訓練って先生が言ってたよ! だからダンジョン前に集合だって!」
ここで彼女からの信頼を得られれば――。
「そんなこと言ってた?」「はいウソぉ」「ていうか先生まだぁ?」
あ……これ無理だ。
諦めて独り、演習場に向かうのだった。
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