第2話 元勇者とラノベにハマった神Ⅱ
「――村人か……悪くないな」
それは、妻と子供がいて家庭を支えるために忙しく働く自分がいて、勇者として選ばれなければ送るはずだった普通の人生。その和やかさに焦がれ、思わずこぼれた言葉。
「違うんだよなあ」
「……え?」
少年の否定はいったい何に対するものなのだろうか……。
「うん、そうなんだよ。ボクが求めてるのはこれじゃないんだ」
まじまじと先程読み終わった本の表紙を眺め、呟いたのはどうやらその本の感想だったようだ。
俺の転生先のことかと思ってひやひやしたが、早合点でなによりだ。
確かに、あれだけの量の本を読んでいれば目も肥えるだろうと、一人ごちる。
「もう飽きたんだよ。散々見たんだよ、読んだんだよ。皆、同じ。最終的に結婚して、エッチして、ハッピーエンド。それでも最初は面白かったんだ。とてもね。年増ロリにちっぱいエルフ、ツンデレダークエルフやデカパイドワーフ、ヤンデレリッチにどじっこスライム、チョロインバンパイア、人見知りサキュバス、たまにデレるジト目メイド系オートマタ、妹系ケモミミ娘、委員長気質な天使! 様々なイチャイチャちゅっちゅを読んで、興奮してきたさ! Fファンタジアの『異世界最強にて好き放題やってみた』とか、HERO文庫の『この世界の勇者をワンパンして代わりに勇者生活を満喫してやる』とか、Mスター文庫の『元勇者は引きニートになりたい』とか! チート勇者のハーレムも、ろくでなし勇者も、無気力系勇者も、転生先で無双するのも、勇者のスローライフも――勇者が村人に生まれ変わるのも色んなシチュエーションが生み出されていったさ。最近じゃ、ドラゴンやスライム、聖剣、挙句の果てには自動販売機に転生ときた。喋る聖剣や喋る自動販売機が作るハーレム生活はボクの求めるところじゃない。もうなんでもござれのこの状態には飽き飽きしていたんだ。そもそも、聖剣ってどうやってヤるの? アナルに刺したら、切れ痔は必至だろ!? 内蔵チャンポンだろ!? そんなヤツがハーレム? ヒロインとのイチャラブ生活? ちゃんちゃらおかしいね。鞘とよろしくヤっとけよ!? そもそもなんでボクはヤれないんだよ!?」
口早に感情がオーバフロー。え、急にどうしたの、この子?
「――ボクが初めてラノベを読んだときの衝撃は、あの昂ぶりは、もう二度と訪れなかった。それでも異世界ラノベの
アリスには熱い何かがある。そのことだけは分かったが、その気持ちを言い終えると同時に、アリスはトーンダウンして
「それにほら、ボクは見ての通り、聞いての通り高名な神様なんだ」
え、そんなこと一言も――。
「それなのに、上司、同僚、さらには部下からも威厳がないとか、キモオタとか、堕天予備軍とか言われて、なんで神様始めて数ヶ月のペーペーにまで鼻で笑われなきゃいけないわけ? もうボク、
語られているのは俺に全く関係のない話。それなのに俺はアリスの口を塞ぐことも、制止することもできずに、ただ聞くことしかできなかった。ひとえに熱量、アリスの必死さ、そしてそれらを
「だから、トーマ、キミにはもう一度勇者の道を歩んでほしい。正確には再びあの人生、あの末路、その因果の中で生き直してもらいたい」
「……は?」
「――というか生き直せ」
「いや……は?」
え? ちょっと待てくれ。どうしてそんな結論に至ったんだ。
「そうだね、説明くらいほしいよね。色々と考えたんだよ。でね、待つのは正直疲れた。一読者としてこの変わり映えしない世界に変化をもたらすには、最後の手段を取るしかなくなってしまったんだよ。そこで、SNSでかなり拡散されてた呟きから得た考えなんだけど、どうやら作品ってのは需要があるから生み出されるわけじゃないらしい。推しの供給がないから生み出されるんだって」
「え、知らない知らない。何言ってるかさっぱり分からないんだが!?」
「だから! ボクのためにボク自身がボクの求めるものを供給すればいいんだって! 勇者チートも、内政チートも異常なラック値も、初期からレベルカンストも、鑑定スキルも膨大な魔力量を持つことも許さない。他に勇者は現れないし、他人を勇者に仕立て上げることもできない。今回の顛末を知ったキミが同じイベントに巻き込まれ、キミが同じイベントを引き起こし、キミが万事を解決し、キミが世界を動転させる――お分かり?」
「とりあえず、話しの通じない馬鹿が目の前にいることは分かってるよ。……なあ、頼む。オマエは俺の意見を聞いてくれるんじゃなかったのかよ!?」
俺の願いどおりでなくてもいい、せめて考え直してほしかった。
あの人生をもう一度。――最凶最悪、不幸で、悪夢で、お先真っ暗で……。
「え、もしかして自分の立場に気付いてないの? 馬鹿だなあ。キミが望みを言ったところで、ボクの力なしじゃどうにもならないんだよ? ボクが、脳筋で恥じらい知らずのクッころ系女騎士に生まれ変わって、ゴブリンに揉みくちゃにされて花を散らせって命じたら、キミはその通りになるしかないわけ」
「何言ってるか分からないうえに、理不尽すぎやしないか!?」
「理不尽な神様――実にお約束の響きじゃないか! 実にテンプレで月並み、手垢の付きまくった物語の始まりにもってこいのシチュエーションだ! キミはラノベのなんたるかをすでに心得ているんだね!」
少年の心は今まさに燦然と輝き、勝手にインスピレーションを燃やし、俺の何もかもを置いてけぼりにしてしまっている。
アリスに火が点いてしまった。いや、もともと点いていたものに俺が薪をくべ、油をたっぷりと注いでしまった。
――つまりは墓穴を掘ったらしい。どう掘ったのか、どこで掘ったのかさっぱり分からないが、とりあえず掘ってしまったのだ。
「おい、勝手に盛り上がるな――」
そうは言っても制止するには遅すぎた。会話の主導権も交渉の余地もなにもないのだから。
「話は聞かないよ! 言うことを聞くんだ――ってことで、行ってら!」
――打つ手なし。
諦念を抱きつつも、二の句を継ごうと口を開きかけた瞬間――。
***
「――ああ! 生まれてきてくれてありがとう」
耳にしたのは懐かしい、二度と聞けないはずの慈愛に満ちた安らぐ声で、体を包む温もりは、頭を撫でる手の感触は、とても――。
「死んでるのかと思ったら、おとなしい子だよ。父親があれだってのにねぇ」
クツクツと笑う老婆の声が耳に入る。
……危ない危ない。もう少しで寝てしまうところだった。
視界がぼやけているが、起こしてくれた声から察するに産婆さんだろうか。無事に取り上げてくれてありがとう、と当事者から礼を言わせてもらう。発声も満足にできないが。
――俺はどうやら精神を残して、その身だけが赤ん坊になってしまったらしい。
……マジでか。
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