森に生きる者 番外編

ゆるり

とある人間との出会い

 我は長い時を生きてきた。自分がどれだけ生きているのかも分からない。ほとんどの時間をうつらうつらと眠って過ごす。この森で、我の眠りを妨げる命知らずはいない。


 不意に何か甘い香りがした。好んで食べる果物の香りではない。また、花の香りでもない。何か香ばしく甘い香りである。


『……なんだ?』


 次第に意識が覚醒し身を起こした。鼻先を上に向け、空気の匂いを嗅ぐと、確かに森の浅い方から甘い香りが漂ってくる。


 つい興味をひかれてそちらに駆けた。我にとっては瞬きの間につくような距離である。

 そこでは、1人の人間がなにやら食事をしているようだった。結界を張っているようだが、この程度の結界、我ならば容易く破れるだろう。

 そう思いながらも藪に身を潜めてただ人間を見ていた。愚かな人間は嫌いだ。関わりたくない。あわよくば、旨い匂いのするものを置いて人間が立ち去らないだろうか。


「……君、お腹空いてるの」


 人間が突然喋った。他に誰かいるのか確かめたが、当然そこにいるのはその人間と我だけだった。


「君、聖魔狐か。この森にいたとは知らなかった」


 我を見て驚く風情の人間を鼻で笑う。我に気づいたならば仕方ない。こいつを襲って食料を奪うことにしよう。


「これ、食べる?」


 襲いかかろうと脚に力を込めた瞬間、人間がなにやら差し出してきた。その匂いの芳しさに思わず動きをピタリと止める。

 人間が差し出したのは、我が探していた甘い匂いの元だった。それを差し出してくるなんて何かの罠か。だが、こんな人間の仕掛ける罠なんていくらでも躱せる。

 人間が結界を解いた。


「美味しい?」


 いつの間にか口の中に香ばしく甘いものがあった。サクサクしていて、今まで食べたことのない食感と甘さだ。


『……旨い』

「え、……君、喋れるの?」


 驚く人間にわざとらしく牙をむく。

 何を当たり前のことに驚くのだ。我は高貴なる聖魔狐。人間の知能に合わせて思念を送るなど簡単だ。

 その辺の魔物の如く扱われるのは不愉快だが、今日は旨いものを提供してくれたことに免じて襲うことはやめよう。


「ふふ、甘いもの好きなんだね」

『うるさい』


 何故かこの人間は不快じゃない。撫でたそうにしていたので近くで伏せてやった。暫く躊躇った様子だったが、おずおずと優しく背を撫でる感触がする。


「柔らかいなぁ」

『我の自慢の毛だからな』

「そっか、暖かいな……」


 なにか複雑な感情が人間の声に滲む。その感情を読み取ることはできなかったが、今暫くは撫でられてやろうと思った。有り難く思うがいい。

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