助手席の潜熱

ミズキ

AM2:30


「あ〜またハズレかよ」

「会った瞬間の空気でわかったよな。あっちも何か違うって感じだったし」

 会う度にピアスが増える隣の男は、迷彩柄のマウンテンパーカーのポケットに手をつっこんだ。

 鼻の奥がつんとする、秋の夜。居酒屋のキャッチをかわしながら、僕たちはだらだら夜の街を歩いていた。

 合コンは不作が続いていた。かわいい子も、ちょっと押したらホテルまでいけそうな子もいる。でも、なんだかぴんとこなくて、付き合う手前の男女みたいに、いつも男二人で合コンを抜け出す。


 Yと僕のつながりは、お互いの彼女が同じサークルというだけ。彼女がいる部室棟に迎えに行くとき、軽くあいさつを交わす程度だった。

 顔見知り程度の関係は、とつぜんぷっつりと切れた。いつものように彼女を迎えに行ったら、同じ時間に見かけるはずの男がいない。帰り道、彼女が思い出したように二人の別れを話した。

 大学生の恋なんて、賞味期限の短いケーキみたいなものだ。甘くて美味しい時間は一瞬で、片方の浮気とか、けんかとか、束縛とか。恋に胃がもたれて終わり。

 僕もの役目が終わって、なんとなしに夕陽が差し込むキャンパス内をぶらぶらしていた。


「よっす~」

 いきなり肩をたたかれた。びっくりして振り返ると、緑がかった金髪が真っ先に目に飛び込んできた。まだ比較的新しい記憶の中では、茶髪だったはずだ。

 百八十センチはありそうながっしりした長身に、だぼっとしたパーカーを着ている。Yは意味ありげな笑みで、僕に問いかけた。

「暇だったら飯いかね?」

 こういうタイプとは相いれない。そう思っていた僕だったが、気が付くとYが運転するパジェロミニの助手席でシートベルトを握っていた。

 たまたま電車通学で、暇で、腹が減っていただけだ。そう言い聞かせて。


 チェーンの牛丼屋で、Yは大盛の牛丼をかっこみながら、僕のなんでもない話にいちいち爆笑した。Yの話に僕も久しぶりに腹が痛くなるくらい笑った。奇抜な髪色はあるアーティストを真似たもので、それは僕が大好きな音楽グループのメンバーだった。

 僕の警戒心がつくった壁は、あっけなく壊された。


 Yとは不思議と気が合った。

 好きなタイプから始まり、趣味、たばこの銘柄、あげればキリがないくらい。

 僕がカレー食べたいなあ、と思えば、Yが「なんかカレー食いて~」と言う。逆に僕が何か言えば、Yが「え?! 俺の心読まれた?」と驚いた顔をする。

 シルバーに赤いラインが入ったパジェロミニの助手席は、僕の特等席になった。


「もう俺ら付き合ったらよくね? 趣味合うし」

 いい加減実りのない合コンにも飽きてきた頃、Yがふざけた調子で、助手席の僕をちらりと見る。

「まじでやめろ。シャレになんない。無理」

 ドリンクホルダーに取りつけた灰皿に、強めにたばこを押し付ける。

 窓を開けて二人分の煙を外に追い出すと、冷たい風が頬をなでた。

「おまえ細いし、顔女っぽいし。ワンチャンいけそう、だめ?」

 講義のノートを貸してもらうみたいなノリで、笑いながら言う。

 Yの話はいつも面白かったが、正直この冗談だけはうまく笑えなかった。

 僕にとって、細くて筋肉がつきにくいのも、顔のパーツがまるくて子どもっぽいのも、全部コンプレックスだ。それと反対に、Yは筋肉質で、顔は骨ばっていて男らしい。僕が望んでも手に入らないものばかり持っている。

「ノーチャンだわ。女じゃねーし。残念ながらから」

 結局、ふくざつな気持ちを飲み込んで、僕は嫌味ったらしく笑う。

 僕は女の子の代わりじゃない。


 その日は珍しく一人で酒を飲んでいた。

 きっかけは、元カノに新しい男ができて、やり場のない気持ちを持て余したから。正直理由はなんだってよくて、単に酒を浴びるほど飲みたい気分だった。

 なじみのショットバーで、テキーラをあおる。続けざまに流し込むと、脳みそがアルコール漬けになったみたいに、鼻から、口から、アルコールの匂いが抜けた。視界がゆらゆらする。

 トイレのドアノブがうまくつかめなくて、何度も空振りする。たった数メートルの距離を、真っすぐに歩けない。

 なぜだろう。これだけ飲んでも全然満たされない。

「おまえ、やばくねえか? 次でやめとけ、明日死ぬぞまじで」

 僕はマスターが差し出したチェイサーを一気に飲みほすと、そのままお金を払ってバーの扉を閉めた。コンクリートの冷たい壁にぶつかりながら、通りへ出る階段を降りる。夢か現実かわからないけれど、車が行ったり来たりする音だけが、やけにはっきり聞こえた。

『今すぐ迎えに来い。○○ビルのとこ』

 最後の一段に座ると、指先が勝手に動いて、Yの連絡先を呼び出していた。

 尻が冷たくて、頭がガンガン熱かった。秋だから夏と冬に挟まれたのかあ、なんて意味の分からない事をぼうっと考えていた。何度か電話が来た気がしたけれど、そこからぽっかり穴が開いたみたいに記憶がない。


「おい、起きろ」

 壁にもたれかかって寝ていた僕は、脳天にチョップを食らって、ゆっくりとまぶたを上げる。Yが着ていたカーキ色のMAー1が二重に見えた。

 そういえば、迷彩柄のマウンテンパーカーは元カノからのプレゼントだったっけ。

「車路駐してっから、早く」

 Yは僕の脇に腕を通すと、力づくで立たせた。平均身長よりわずかに高い僕でも、かんたんに持ち上げてしまう。少しだけモヤモヤけれど、黙って体重を預ける。

 助手席のドリンクホルダーには、僕を待っていたようにペットボトルの水が入っていた。コンビニのシールが、冷たく湿っていた。

 僕がつぶやくようにお礼を言うと、小さくうなずくのがわかった。


 車はあきらかに遠回りしていた。

 そのあいだ僕は、助手席から見える深夜の街と暗闇の世界を行ったり来たりした。

 広い道路に出て、パチンコ屋の通りを過ぎ、大きな図書館の前を左折する。

 初めてYと飯に行った時、お互いの元カノの話をしながら通った道だ。うまく回らない脳みそで、ぼんやりと思い出す。

 がさつそうに見えるYの運転はいつも丁寧で、気持ちよかった。

「僕が女だったら良かったのかな」

 窓にもたれかかるようにして、なぜかそんな事をつぶやいていた。


 車は、僕のアパートの駐車場で止まった。

 僕を送った後、Yはいつも車の中で一服してから帰る。

 助手席のドアに手をかけようとして、やめた。

「たまには付き合ってやるか」

「あ、そ」

 ポケットからたばことライターを取り出して火をつける。

 煙を吐きだすと、突然運転席からYがぐい、と身を乗り出してきた。抵抗する間もなく唇がぶつかる。

 事故かと思うくらい、一瞬のキス。

「は……?!」

 本気の色を灯したYの瞳には、まぬけ面の自分がうつっていただろう。

 たばこの灰がひざに落ちる。指先が、震えていた。


「もう一回、していい?」

 Yが男の顔をしてじっと見つめてくる。目をそらしたいのに、そらせない。こんな顔、一度も見たことがない。

 返事の代わりに、ぎゅっと目を閉じた。

 Yに冗談を言われた夜に、見た夢に似ている。

 もう一度、今度は深く唇が重なった。優しく、かみつくようなキスだった。甘ったるい煙の残り香が車内に漂う。

 舌を絡めようとすると、後頭部に手を回されて、引き寄せられた。心臓が一気にドクドク鳴る。

 僕は女の子のふわふわした唇が好きだったのに。今は雄の匂いがするヤニ臭い唇をむさぼっている。


 その日、ふだん酒に強い僕は久しぶりに深酔いしていて、Yとのキスに脳がとろけていた。確かめ合うように絡めた舌の温度、薄い上唇の感触。全部が酒の魅せた都合の良い夢だ。


 唇が離れる。

 頭がおかしくなるくらい、気持ちよかった。

 でも、もう二度と、こんなキスはできないと思った。

 「か、帰る……」 


 静かな駐車場に、助手席のドアを閉める音が響く。

 おまえのせいだ。付き合ったら、なんて言うから。僕のせいだ。自分が女だったら、なんて言うから。

 そんな探り合いをするような僕たちじゃなかっただろう。

 別れ際Yがどんな顔をしていたか、わからなかった。そんな余裕はなくて、震える手をおさえながら鍵をドアノブに差し込む。

 寒いアパートの玄関に座りこんで両腕に顔をうずめた。やがて窓の外が明るくなってきて、仕方なくのろのろと立ち上がる。

 煙草臭いシャツと、ありったけのたばこをゴミ箱に捨てた。

 ちょうど燃えるごみの日で良かった。 


 そこから無気力な毎日を過ごして、あっという間に地獄のような就職活動が始まっていた。

 黒髪スーツの群れに紛れて、僕はあの金髪の頭を探せなくなった。

 その後、インターンで一緒になった女の子と軽率に恋に落ちて、セミの命が尽きる頃に別れた。


 数年後、僕たちは立派なアラサー社会人になった。Yとは働き始めてから一度だけ偶然街で会って、一言二言、言葉を交わした。その後Yが遠くに転勤になって、それきり。

 仕事終わりに何気なく見ていたSNSで、Yの結婚を知った。祝いのメッセージを送ると、すぐに返信が来た。

『年賀状送るから、住所教えて』

  年賀状には晴れ着姿の男女が、真っ白なブーケを手に微笑んでいた。

 Yより歳上の凛とした女性。僕がもうすぐ結婚を申し込もうとしている彼女と、同じくらいの年齢だろうか。

 よそ行きの笑みを浮かべたYは、なんだか別人のように見えた。

「黒髪、似合わな……」

 記憶の中のYはいつも、金と緑が混じった奇抜な頭に、だらしない服装だから。

 

 Yが乗っていた、シルバーに赤いラインのパジェロミニは、ほとんど街で見かけなくなった。

 だから今でも、同じ車を見かけると胸の奥がうずく。

 二人分のたばこの匂いが染みついた車内、特等席から眺めた景色の記憶。

 あの時僕の中にひっそりと生まれた熱は、今でも助手席に置き去りにしたままだ。

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助手席の潜熱 ミズキ @Iolite_g

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