第3話

   

「二つ三つ前の話なので告知義務もなく、今まで黙っていましたが……」

 ようやく落ち着いた大家さんが、ポツリポツリと語り始める。


 私の部屋は、いわゆる事故物件だったらしい。前の前の住人だった若い女性が、ここで刺し殺されたのだという。今から七年前の出来事だった。

「ちょうどテレビの二時間番組で、ホラー映画が始まったタイミングでした。彼女が視聴中だったテレビの音声を、201号室と203号室の方々が耳にしています」

 あの『三十六計逃げるにしかず、って言い回しあるだろう? まさに今、そんな心境だぜ!』から始まる一連のやり取りは、問題のホラー映画の冒頭部だった。

 私たちも「映画あるいはドラマの音声」と想像していたので、そこまでは驚く話でもないが……。

 最後の『ぎゃあああああああああ』だけは、映画の一部ではないという。

 言われてみれば、最初の野太い声とは違って、甲高い声質だった。悲鳴だから声が上ずっている、と勝手に脳内補完していたけれど、それが大きな間違いだったらしい。

「実は当時の両隣の方々も、同じ場面で、同じ悲鳴を……。映画にはなかった悲鳴を聞いているのです。その直後、映画の音声も途絶えましたから……」

 202号室の女性が、殺された際に上げた悲鳴ではないか。そのタイミングで犯人はテレビも消して、慌てて逃走したのではないか。

 当時の人々は、そう判断するしかなかった。


 警察の捜査で、容疑者として浮かび上がったのは、被害者の恋人だった。浮気癖のある男であり、彼女とは喧嘩が絶えなかったという。

 その日も男は、恋人であるはずの彼女を放り出したまま、合コンに出かけていた。事件が起きたと思われる時間は、コンパの真っ最中であり、彼には不可能な犯行という結論になったのだが……。

「でも! このように、映画の音声と一緒に録音された悲鳴が、この部屋にセットされていたならば! 事情は変わります!」

 大家さんが、再び興奮し始める。。

 私たちが発見したテープレコーダーは単純なタイプであり、タイマー再生のような機能はついていなかった。しかし最初に無音の一時間がある以上、スイッチを入れて放置しておけば、音が流れ始めるのは一時間後だ。タイマーの代わりになるだろう。

「私は専門家じゃないからわかりませんが……。死亡推定時刻というやつだって、正確にピタリと一点を示すわけではないのでしょう? ならば、このテープをセットしておけば、一時間程度は犯行時刻を誤魔化すのも可能。そう思いませんか?」

 ここで女性を殺した犯人は、テープの再生を始めてから、部屋を出て合コン相手との待ち合わせに向かう。一時間後、犯人がコンパに出席している間に、テレビでホラー映画の放映が始まり、202号室からは同じ映画の音声と女性の悲鳴が聞こえてくる。

 その結果「テレビ放映中のホラー映画を見ている途中、被害者は殺された」「そのタイミングならば、容疑者は犯行現場から離れた場所にいた」と判断されて、犯人のアリバイが成立。

 つまり、犯行時刻を一時間ずらすアリバイトリックだ……。

 大家さんがそこまで説明したところで、ちょうど警察が到着。てんやわんやの大騒ぎになった。


 その後。

 あのテープレコーダーがきっかけとなって、犯人の男は捕まったらしい。大家さんが想像した通り、アリバイトリックが使われていたようだ。

 しかし私としては、いくつか腑に落ちない点が残った。事件そのものではなく、あのテープレコーダーに関してだ。

 まず、どうして今頃になって、あのテープが再生されたのか。三夜連続で再生ボタンを押したのは、いったい何者なのか。

「天井裏に住み着いたネズミの仕業でしょうかね? ネズミが走り回るルートなんて決まっているから、いつも同じようにスイッチにぶつかって、毎晩同じ時間に再生が始まったのでしょうね」

 大家さんはそう解釈していたが、天井からネズミの気配を感じたことなど、私は一度もない。再生スイッチを押してしまうほど激しく暴れ回っていたのであれば、気づかないはずがないではないか。

 仮に、百歩譲って、あれがネズミによる偶然だったとしよう。それでも不思議なのは、テープレコーダーの置き場所だった。

 今回は、同じ階の者たちが「横からではなく、上から聞こえてきた」と感じている。一方、七年前の事件では、201号室の住人も203号室の住人も「202号室から」と判断していた。つまり当時は、もっと巧妙な位置にテープレコーダーが置かれていたはず。

 大家さんが天井裏を探した時、簡単に発見されたことからも「以前とは場所が変わっていたのではないか」という疑念は強まる。

 これもネズミがぶつかったせいで移動させられた……と考えるのは、さすがに無理があるだろう。

 そうなると、わざとテープレコーダーの置き場所を変えたり、再生スイッチを押したりした者がいるのではないか、と思えてくるのだった。

 とはいえ、本当に誰かが天井裏に入り込んで、そこで色々と行動していた場合、ネズミ以上に大きな気配を感じさせるはずだ。それがなかったのだから、生きた人間の仕業とは考えられない。生きた人間でないならば、残る可能性は……。


「色々とお世話になりました」

 大家さんに挨拶して、私はアパートを引き払う。

 人が殺された部屋というだけでも気持ち悪いのに、その被害者が地縛霊となって、犯人告発のために活動していたなんて……!

 あれで彼女は満足して、成仏してくれたのだろうか?

 その保証がない以上、怖くてたまらなかった。これ以上、このアパートでは暮らせない。あの映画の登場人物ではないけれど、まさに「三十六計逃げるにしかず」という気分だった。




(「天井裏から聴こえる声は」完)

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天井裏から聴こえる声は 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ