18 帰国の理由
「おめでとうございます、ドゼ将軍。これであなたはフランスへ帰れますね」
ドゼのテントへ赴き、シドニー・スミスが寿いだ。彼のすぐ後ろについて、俺も、フランス側のテントへ入った。
書き物をしていたドゼが顔を上げた。
「ボナパルト将軍は11月になったら俺を帰国させるようにとクレベール将軍に伝言していった。今はもう、1月だ。一刻も早く帰国しなければならない」
「そういうことなら、早速通行証を発行します。海の旅の安全の為に、私の部下もつけましょう」
「シドニー・スミス代将、貴方の署名入りの通行証ですか?」
マルタ島など、地中海の領土についてのフランスへの返還要求に対し、シドニーは自分の身分では対応できないと退けていた。彼の権限は、非常に限定的だ。
「おや、不安ですか? それなら、トルコの
とにもかくにも、講和条約が結べて、シドニーは上機嫌だった。
「ドゼ将軍、やっぱりあんたは、ボナパルトの言いなりなんだな」
シドニーは機嫌が良かったが、俺は皮肉を言わずにはいられなかった。
革命歌をフランスに広げたミルー将軍の悲惨な死は何だったのか。この男は、やっぱりボナパルトの元へ帰りたいのだ。
「あんたも軍を置いて、単身、帰国する気だろう? ボナパルトと同じように!」
ドゼはため息を吐いた。
「撤退の審議書は焼いたが、第三者として話し合いの過程を知っているやつもいるだろう。署名した将校の中には、ダヴーや、レーニエ将軍もいた。クレベールはともかく、彼らにまで
初めてドゼの真意を掴んだ気がして、俺ははっとした。
「なんと。貴方は、ボナパルトの怒りを解きに、フランスへ帰るのか」
驚いたようにシドニーが問う。ドゼは肩を竦めた。
「将校クラスだけじゃない。元ライン方面軍の兵士たちは、とかくボナパルトの覚えが悪いんだ」
エジプトには、元からイタリア、即ちボナパルトの下にいた軍と、ライン方面から連れてこられた兵士らが混在していた。両者は折り合いが悪く、争ってばかりいた。
「不思議なことに、諍いが起こると、ボナパルト将軍は必ず元イタリア兵に肩入れし、ライン方面から来た兵士を銃殺することもためらわなかったそうだ」
「不思議でも何でもないじゃないか」
即座に俺は突っ込んだ。
「ボナパルトの身びいきだ! あいつはそういう男だ!」
暗い目をしてさらにドゼは言い募る。
「危険な前衛は、つねに、元ライン方面軍の兵士達が担った。上陸してすぐのカイロヘの進軍でも、シリア遠征でも。特にシリア遠征ではクレベールとレーニエの軍が前衛を務め、大きな犠牲を出した。それなのに兵士らへの給料は随分滞っている。ボナパルトの意志に反して撤退したとあれば、帰国してからのあいつらの処遇が心配だ」
「いずれにしろ、元イタリア兵もライン兵も全軍、エジプトに置き去りにされたわけですがね。貴方を含めて」
シドニーが茶々を入れた。
「ですが、シリア遠征で置き去りにされたペスト罹患者の生き残りがいます。帰国して彼らが証言すれば、ボナパルトはまずい立場に追い込まれるでしょう」
「なあ、スミス代将。貴方にお願いがあるんだが」
唐突にドゼが遮った。
「いいですよ。私にできることなら何なりと」
朗らかにシドニーが請け合う。
「バキルを返して欲しい」
「バキル?」
「フェリポーだ」
「えっ!」
シドニーが息を呑んだ。俺も戸惑いを隠せない。
「俺を?」
「一緒にヨーロッパへ帰ろう。君にやって欲しいことがある」
「ラクダ部隊の隊長か?」
上エジプトで俺が訓練されていたのはそれだ。しかし、ヨーロッパにラクダがいるのか?
うっすらとドゼが笑った。
「ラクダ部隊か。当たらずしも遠からずというところかな。言ったろ、バキル。いや、フェリポーでもいい。君は俺の家族だ」
「家族……」
俺は、親の顔を覚えていない。
一方、ドゼの母は、革命軍に残った息子を許さなかった。しかし彼は、王を裏切ったのではない。彼が残ったのは、国に残された母と姉と「マルグリット」を守る為だった。
貴族である彼は、革命軍において、常に勇敢である必要があった。さもなければ同じく貴族だった彼の上官のように、忠誠を疑われ処刑されただろう。故郷の家族にも累が及ぶ。
王党派と革命派。ドゼの本心はどちらにあったのだろう。
遠い砂漠の村の長からそっと差し出された賄賂を、慣習から贈られたトルコの大宰相からの賄賂を、最後まで受け取らなかったドゼ。
身寄りのない、或いは売られた少年少女たちを集め、教育を施し、育て上げようとしていたドゼ。
現地人の長を集め、自治を促し、独立に協力していたドゼ。
俺は顔を上げた。両頬に傷のある顔を睨みつけた。
「よかろう。君と一緒にフランスへ帰ろう」
俺は王党派で、革命軍とは永遠に相容れない。ドゼは承知でフランスへ連れ帰るのだ。それなりの覚悟があるのだろう。
それに俺は一度死んだ身だ。今の俺の体は、アビシニアの少年だ。当たり前のやり方で王に忠誠を尽くすことはできない。
「おい、フェリポー!」
驚いたようにシドニーが咎めた。俺は彼を振り返った。
「離れ離れになっても俺は君の味方だ、シドニー。戦いになったら、必ず君を援護する」
「おいおいおい……」
剽軽なこの男が、珍しくも泣きそうな顔になっている。
出会ってからのことが、一瞬のうちに胸に蘇った。感情を殺し、俺は続けた。
「ド・トロムリャンとグランをよろしく頼む」
「わかっているのか、ドゼ将軍! 貴方が連れ帰ろうとしているのは、ボナパルトの敵なのだぞ!」
破れかぶれといったふうにシドニーが叫ぶ。
にやりとドゼが笑った。
(fin)
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お読み下さり、ありがとうございました。
ロシアのウクライナ侵攻を機に、フィクションに足を踏み入れた後半部を全面改稿し、史実に沿った形にしました。私が何か言うより、ドゼやシドニー・スミス、フェリポーに語ってもらった方が有意義だと考えたからです。
小説としては良い出来ではないかもしれませんが、今の私のせいいっぱいです。
※ドゼがボナパルトに仲間を取りなす為に一足先に帰国したというのは、私の考えです。クレベールとの手紙のやり取り、ライン方面軍時代から続く関係性から推測しました。一般にはドゼの帰国はボナパルトに忠誠を尽くす為、となっています。
※上エジプトのハーレムの少年少女達につきましては、ドゼが「マルグ……」に送った手紙に書かれています。なお、イスマイルとバキルは、ドゼが死ぬまで彼と一緒でした。
ドゼの肖像画を上げておきました。バキルとイスマイルも一緒です。
https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16816927861452477963
※「マルグ……」が誰かということについては紙数(?)が尽きましたので、また後日。いずれ素敵な恋愛小説に仕立てたいと考えています。
オリエント撤退 せりもも @serimomo
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