第5話 爽やかこってり、豚ときのこのクリーム煮。



「あれは絶対、女だね」

「いや、夜のお出かけぐらいするだろ、千歳だって」

「いーや、疑う理由はまだあるんだから」


 部屋を出ようとしたところを、興奮気味の朱音に急襲されたのだった。

 千歳に彼女ができたかもしれない。ここ数日、夜勤終わりの時間に連絡しても繋がらず、翌朝になってそらっとぼけて電話してくるのだ、と。

 あの人形がどうにも怪しい。あんな高価なものを、他人に預けっぱなしにするわけがない。彼女の持ち物に違いない……らしい。


「だってお兄、先週あたしがあの人形触ったら、すごく怒ったんだよ。怪しくない?」


 いや、千歳が怒ったのは人形を使って俺を脅かしたからだろ、このブラコンが……と思ったが、ふむ。千歳に彼女か………


「よし、面白そうだ。問い詰めようぜ♪」


 許せ、友よ。好奇心には勝てなかった。でももし朱音が暴走したら、俺が何とかするから!





「ああ、あの人形。紺野さんのだよ」

「へ? 紺野さんってあの、手芸コーナーの?」


 意気込んで詰め寄った俺たちは、あっさりスカされる形になった。どうやら人形の持ち主は職場の同僚らしい。


「そうそう、パペッティア紺野」


 朱音が思いっきり吹き出し、大笑いし始めた。


「スーパー戦隊、まだ言ってんの?」

「ふふ。懐かしいだろ」


「あのね、昔、お兄が即興でお話を作って聞かせてくれてたの」

「スーパー分福は裏で悪霊退治をやっていて、紺野さんは戦闘員の一人。俺は戦隊の運転手、って設定だったんだ」


 何だかよくわからんが、兄妹楽しそうで何より。

 とにかくその紺野さんとやらが、人形を運ぶ途中に急用ができたので千歳に預け、さらにその用事が長引いて取りに来られなかったらしい。



「大事なものだからコインロッカーとかに入れたくなかったし、子供やペットのいるお宅には預けられないから、って。夜電話に出なかったのは、彼女が休んでる間俺が代わりに店に出てたんで、閉店後に事務作業を」


「なるほど、つまらん。メシにしようぜ。今日のメニューは?」

「今日は惣菜担当、黒井さん直伝の……豚ロースときのこのクリーム煮込み、ローズマリー風味。惣菜の新作試食会で教わったんだ」



 千歳の彼女疑惑があえなく消え去ったのは残念だけれど、それはさておき。

 手を合わせ、三人揃って────


「いただきまーす!」


 早速、クリーム煮をパクリ。う~ん、美味い。しめじにエリンギ、マッシュルーム。たっぷりのきのこと玉ねぎを炒めたエキスが濃厚なクリームソースに溶け出している。そこにローズマリーが爽やかさを添え、豚肉の旨味を際立たせる。

 にんにくの効いた、クリームチーズ入りのブルスケッタも絶品だ。トマトの赤にチーズの白、バジルの緑と彩りも美しい。



「それにしても朱音、そろそろブラコン卒業しろよ。夜中に電話とか」

「いや、電話は用事があったから」

「え、なに?」


 朱音はいつものエコバッグから赤と緑のパッケージのカップ麺を取り出し、千歳に手渡した。


「え……何か、あったのか?」


 千歳の表情が固まる。何でカップ麺を渡されて硬直するんだ……?



「おめでた」

「へー、誰の?」

「あたし」

「へー、そうなn…えっ!!」


 思わず咽せた。鼻にトマトが入って苦しい。千歳は呆然と固まったままだ。


「うちの場合、特別な日の晩ごはんって言ったらソレでしょ……って、なんでお兄が泣くのよ」


 この兄妹には、彼らなりの約束事があるらしい。それはともかく、千歳が喜びのあまり男泣き…を通り越して号泣し、その後は食事どころじゃなかった。






 いやぁ……あの、朱音がね。とうとうお母さんかぁ。すげえな……

 部屋に戻って一服しながら、感慨に耽る。


 そうだ、お祝い! プレゼントって、何がいいんだろう。よし、千歳と相談だ!


 善は急げ、部屋を飛び出しついさっき降りてきた外階段を駆け上がる。202号室の玄関を開け────




「王子、まだ鍵閉めてないんだから、出てきちゃダメだよ」

「すまん、千歳。遅かった」

「え?」


 俺の視線の先、食卓の傍らに、あの人形が立っていた。緑の巻き毛に薔薇色の頬。緑色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。


「あー……やっちゃった」


 僅かに涙の残る顔で洗面所から出てきた千歳の声が妙に遠く聞こえ、脳裏に映像がフラッシュバックする。




 ───あの日初めて着けた、釣り専用腕時計。時刻は10時45分。

 ニャー太に朝釣れた小魚をあげてから、俺はこの扉を開けた。そして、見たのだ。動いて喋る、あの人形を。

 叫び声を上げる間も無く、千歳に口を塞がれた。


「照哉ごめん、記憶を消させてもらうよ。だってお前、ホラー苦手だろ?」


 千歳の背中をよじ登った人形が、緑色の瞳で俺の目を覗き込んだ。

「悪いが、ご友人。僕のことは忘れて欲しい。色々と都合が悪いんだ」


 球体関節の腕を伸ばし、指先が額に触れた。そこで俺の記憶は─────




 記憶を消された俺が11時に再訪した時、ニャー太は魚に興味を示さなかった。なぜなら、最初に通った俺に、既に魚を貰ってお腹いっぱいだったから。


 そして朱音が来るちょっと前、俺は何かが気にかかった。あれは、俺が何も言っていないのに、袋の中身が「アジ」だと千歳が知っていたから、だ。


 この人形が恐ろしくてたまらなかったのも、妙な想像をしてしまったのも、一度その姿を見ていたから……




「朱音殿のおめでたと聞いて、お祝いを言いたくて出てきてしまった。責任持って、ご友人の記憶はまた消しておくから」

「本当に、照哉の身体に負担は無いんだよね?」

「ああ。大丈夫」


 千歳は玄関の鍵を閉めると、俺の両肩を掴んだ。


「照哉、ほんとごめん。彼は今週中に紺野さんの家へ行くから、もう会うことは無い。このことを思い出すことも、無いはずだから」


人形遣いパペッティア、紺野……まさか、さっきの話って……」


 球体関節の腕が伸びてくる。澄んだ緑色の瞳から目が離せない。そして、硬い指先が、俺の額に触れ────







「大将、こんばんは。あ、俺イチバン乗り?」

「照ちゃん、いらっしゃい。みんなももうすぐ来るってさ」


 メニューをざっと見渡す。今日も誰かが釣ってきた魚が出てるみたいだ。


「照ちゃん、なんかちょっと疲れてるみたいな顔だけど、大丈夫?」

「え、そうかな……」


 ……何か、忘れている気がする。


 おしぼりで顔を拭きながら、ふとそんな気がした。なんだっけ……



「疲れてるのかな。最近妙に忘れっぽい気がするし」

「飲み過ぎ?」

「いや、大将に言われたくないよ」


 この大将ときたら、開店と同時に自分でも飲み始めるんだ。酒飲み同士、ニヤリと笑う。


「あ、そうだ。思い出した。知人がおめでただってさ。お祝い、何がいいんだろ」

「そうだな……お人形なんか、どうかね」



 ……人形。それは、なんか嫌だな。


 なんとなく、俺はそう思った。






おしまい


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