第4話 二日酔いの救世主。帆立缶の雑炊と大根サラダ


 外階段を這うようにして上り、地域猫チャー太への挨拶もそこそこに202号室を目指す。まだベッドに転がっていたいが、このメシは……千歳の昼飯だけは、逃したくない……



「よぉ…っす…」

「おー、だいぶ具合悪そうだな。ほうじ茶淹れたから飲みなよ。二日酔いに効くらしいよ」

「……あざっす」


 心遣いが沁みる。酷い二日酔いでも食べられそうなものを、とリクエストしておいたのだが、こんなことまで。

 大ぶりの急須に入ったほうじ茶は、ちょうど飲み頃。梅干しと塩昆布の小皿も添えられていてありがたい。


「今日は胃腸に優しい雑炊にしたよ。食えそう?」

「ああ……すごく気持ち悪いけど、腹は減ってるんだ。ゆうべかなり吐いたから」

「なんでそんなになるまで飲むんだよ」

「……出先で大学の同期にバッタリ会ってさ、飲みに行った店で可愛い女子と盛り上がっちゃって」


 スパァーン! と音を立てて襖が開いた。千歳の部屋の隣にある自室から朱音がのっそりとお出ましだ。



「なーにが可愛い女子だよ。どうせ奢らされたんでしょ」


 図星だったので、俺は黙ってお茶を啜った。いいんだ、楽しかったから、いいんだ……


「これだから酒飲みって嫌い。マジで意味わかんない。馬鹿みたい。酔っ払いとか、滅べばいいのに」

「朱音、何もそこまで」


 千歳のフォローはありがたかったが、実は俺も同感だ。マジで意味わかんない。馬鹿みたい。飲み過ぎる度に反省するのに、何故繰り返してしまうのか。全世界に向かって、ごめんなさいもうしませんと誓いたくなる。

 誓う代わりに、残りのお茶を飲み干した。



「照哉、ごめん。うちの親父、酒飲むと暴力振るう奴だったからさ。朱音は酒飲みに恨みがあるんだ」


 ……マジかぁ。千歳お前、料理の片手間に、そんな二日酔いに追い打ちをかけるヘヴィーな話を……でも、そうか。兄妹揃って酒を飲まないのは知ってたけど、それが理由か。


 朱音の不機嫌がビリビリ伝わってくる。怖くて顔を上げられない。ごめんなさい……


「酒臭いヤツと一緒に居たくない。あたし、今日は自分の部屋で食べる」


 ドスドスと足音を立てて部屋に戻ると、スパーンと音を立てて襖が閉まった。



「……ごめんな」

「いや、こっちこそ。なんかごめん」


 きっと朱音は、俺が二日酔い状態だと知って自分の部屋に閉じこもっていたのだろう。でも、俺のくだらないお喋りを聞いて腹が立ったんだろうな。

 こっちにしてみれば、完全にとばっちりなんだけど……でもやっぱり、事情を聞くと申し訳ない気持ちになる。


「俺らももう、アラサーだもんな。そろそろ酒の飲み方も考えなきゃな」

「まぁ、飲み過ぎは健康に悪いしね」


 目の前にコトリと置かれた、小ぶりの丼。帆立の出汁が湯気をたてている。はぁ、この湯気だけでもう癒される。湯気の向こうに、わかめや卵、刻みネギの姿も見える。


「帆立缶の汁を使った雑炊と、こっちは帆立と大根のサラダ。生の大根はアルコールの分解に効くらしいから」

「それもスーパーのパートさん情報?」

「もちろん」


 ふわっと笑う千歳の表情は、この帆立雑炊の湯気にどこか似ている。長年百戦錬磨の主婦に囲まれてきたせいか、最近は「オカンみ」すら感じる……


「朱音、ご飯できたから持っていきな」


 襖の向こうに声をかけ、千歳が俺の向かいに座った。

 丸まった背中をシャキンと伸ばして手を合わせ、今日はふたりで────



「いただきまーす!」


 丼に顔を突っ込む勢いで湯気を吸い込む。あ、帆立の向こうに微かに柚の香りが。なんという癒しのアロマ……先ずは出汁をひとくち。んがあぁぁぁ、沁みるぅ~~~! ザラザラと荒れた胃の内壁に優しさ100%の出汁が沁み渡り、生き返る心地だ。とろとろクタクタの長ネギとふわふわ溶き卵が甘く香り、溶け出したわかめのエキスが海風を連れてくる。でも、それだけじゃないな……


「すっげえ旨い。旨味がすごい。何これ」

「白だしも足してある。あとはすり胡麻かな。あ、追い胡麻する? ラー油も合うよ」

「いや、このままでいい。このままがいい」


 雑炊の優しさに包まれたら、今度は大根マヨサラダを。仄かな塩味のしんなりした大根に、帆立のほぐし身。更に、色と味のアクセントになっているカイワレをマヨネーズがまとめ上げ、まろやかさを加えている。歯応えも心地よい。ああ、旨い。生の大根よ、オラに力を!


 夢中でがっついていると、天岩戸から朱音が現れた。仏頂面で丼と小鉢の乗った盆を取り上げ、目も合わさずに部屋へと戻ってしまった。

 ごめんよ、朱音。今はお前より、飯だ。ひとくちかき込むごとに細胞が、身体が、蘇っていくんだ。もうこの感覚を味わうためだけに、何度でも二日酔いになりたいくらいだ……



「あの、おかわり……いいですか?」

 急に敬語になってしまったのも無理はない。今俺の目の前にいるのは、癒しの権化。あのマザー・テレサにも匹敵する慈愛のオーラを纏い微笑む────


 スパァーン!


 再び現れた仏頂面のアマテラスは、何故かさっきの盆を持っていた。


「やっぱり、こっちで食べる。おかわり、あたしの分も取っといてよね」

「あ、はい」


 俺は軽く一礼して立ち上がり、丼を手にコンロへ。全部取ったらただじゃおかないという厳しい視線を感じる。さては朱音、自分のおかわりを確保するべく、見張りに来たんだな。


「あの、おかわりお取りしましょうか?」


 無言で二人の手が挙がる。さすが兄妹、息ぴったりだ。





「体調は?」


 外階段を降りながら、千歳が振り返る。俺は無事に体調復活、元気に頷き返す。


「お陰様で、生き返りました」


「よかった。朱音もさ、お前の身体を心配してるんだと思うよ」

「……うん」


 まぁ、無関心ならあんなに怒らないだろうしな。それにしても千歳のやつ、言うことまでオカン化してやがる。ここはオカン・千歳に免じて、朱音にも感謝を……



「ひぎゃあああああ〜〜ン!!」


 感謝の念と共に202号室を降り仰いだ俺は、千歳の背中に縋りついた。階段の上から、例の人形がこちらを見下ろしていたのだ。


 人形の後ろから、ニンマリ笑った朱音が顔を出した。


 あ、あ、あ、あのやろう~~~!!!!



「あー……悪い。あとで、よく言っておくから」



 大将、今夜ぐらいは酒を控えようと思ってたけど、やっぱり飲まずにはいられないみたいだ……

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