第3話 ボリューム満点。厚切りピザトーストとにんじんコンソメスープ。


 時刻は、11時半をちょっと過ぎたぐらい。ほぼ予定通りだな。で、今日はチャー太にもお土産があるんだ。


「おっす、チャー太。大将がくれたおやつだよ。食べな」


 さっき居酒屋の大将に出張土産のわさび漬けを持って行ったら、逆に帰省土産の長崎カステラと出汁をとった後の煮干しをいただいてしまったのだ。

 煮干しにがっつくチャー太を残し、202号室に向かう。さてさて、今日のメニューは何かな~♪



「よーっす!」

「おう、おはよー」

「おはよー」


「お、朱音。今日は早いじゃん」

「まーね」

「ちょうどよかった。今日はタダ飯喰らいじゃないんだぜ。見ろ、お土産だ!」


 俺は意気揚々と、持参した土産を食卓に広げた。静岡土産のご当地菓子パン5種。長さ30センチ超の細長いコッペパンに各種クリームを挟んだ、地元のソウルフードだそうだ。パッケージのとぼけたキリンの絵柄が可愛らしい。


 料理の手を止めて、千歳がやって来た。土産を見た途端、ふわっと顔が綻ぶ。


「わあ、ありがとう。美味そうだし、かわいいな」


 そうだろう、そうだろう。地元スーパー勤務の千歳は、地方スーパーのご当地物を土産にすると喜んでくれる。そして俺は仕事柄、出張が多い。だからその度に、僅かな時間を縫ってはスーパーやコンビニを巡ってご当地土産を買って帰るのだ。



「そんでこっちが、大将に貰った長崎カステラ。みんなで食べよ…」

「やったぁー!!!」


 俺の土産の時より明らかに喰いつきがいいのは、もちろん朱音だ。ちょっと傷つく……



「あ、朱音。職場でドイツのコーヒーを貰ったって言ってたよね?」

「うんうん、ダルマイヤーコーヒーね! あたし、ちょっと家に戻って持ってくる。カステラと一緒に食後に飲もう!」


 言い終わらぬうちに玄関へひとっ飛び、スニーカーに足を突っ込む。


「15分で戻るから! ご飯よろしくね~」


 慌ただしく駆け出した朱音の声は、「よろしくね~」のあたりでフェードアウトしていった。



「相変わらず、賑やかな奴だな」

「転ばなきゃいいけど」


 優しいお兄ちゃんの顔で背中を見送った千歳が、キッチンへと戻って調理を再開する。小鍋にバターを落として塩と白胡椒を少々、トロ火でゆっくりと何かを炒め始めた。


「これは人参のスープ。なんか『いただきもの大集合』みたいになっちゃったけど、今日は店舗内のパン屋さんから貰った食パンで厚切りピザトーストにしたよ」

「おお、ピザトースト、いいねぇ。久しぶりだ」


 少しずつ水を加えながら人参を炒めつつ、小瓶から手のひらに何かを振り出す。


「これ、見た目ちょっと虫っぽいけど、クミンシードっていうスパイスだから」

「へえぇ」


 手のひらに散らばるそれは、細長くて茶色っぽい粒々。なるほど、何も知らされていなければ、虫に見えるかも。

 粒々を加えさらに炒めて香りが立ったら、おろし生姜を少々。お湯を注いでコンソメキューブをポイッ。料理酒もちょっぴり。



「よし、そろそろかな……」

 千歳が壁の時計を見て、呟いた。


 厚く切ったパンにケチャップとマヨネーズを絞り、塗り広げる。赤と卵色のマーブル模様が美しい。タッパーから薄切りの玉ねぎとピーマン、輪切りにしたミニトマトと一口大のベーコンをパンの上に散りばめる。最後にチーズをたっぷり。うん、食べ応えありそう。


「え、そっちで焼くの?」

「うん。うちのトースターじゃ3枚同時に焼けないからね」


 なんと千歳は、魚焼きグリルにパンを並べた。魚臭くならないのか? と不安を覚えるが、相手はお料理マスター千歳だ。見よ、あの火加減を見極める鋭い目線を。友を信じろ、俺!


 友の腕前を信じながら、俺は食卓の上を片付けた。静岡と長崎の土産が一つの紙袋に並ぶ。


 この兄妹は旅行を好まない。なんでも、幼い頃は父親の暴力から逃げて引っ越しを繰り返していたため、旅行には良いイメージが無いのだとか。

 彼らとその母親が越してきたのは俺が小学校に上がる直前。わりと複雑な家庭らしいけど、当時の俺は同年代の友達が増えたことが単純に嬉しかったし、それは今も変わらない。おばさんもいい人だ。今は別の人と再婚して、ここには居ないけど。



 テーブルを拭いて皿を準備していると、階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。あいつ、一段飛ばしに上ってるな。元気か。


「……到着ぅ! お兄、ピザ間に合った?」

「うん、バッチリ」

「はいよ!」


 ピッザ、ピッザァ~♪ と歌いながら小さな紙袋を食卓に置き、朱音は手を洗いにスキップで洗面所へ消えていった。やっぱり女子はチーズが好きなんだなぁ。ってか、あいつ15分ダッシュ直後の階段一段飛ばしで、息ひとつ切らしてねえ。なんという体力。こわ……



 席に着き、手を合わせる。三人揃って────


「いただきまーす!」


 こんがり焼けた厚切りのピザトーストを手に取れば、ずっしりと重い。ふぅふぅ吹いて、ザクっと大きくひと齧り。もっちりとした食パンに、シャキシャキ食感が残る瑞々しい野菜と、とろけて伸び~るたっぷりのチーズ。玉ねぎの甘みとベーコンの塩気が堪らない。文句なしに美味い!

 とろけたチーズを吸いながら、しばらく無言で食べ進める。ホフホフハフハフ、その美味しさに、無言で見交わす皆の目が笑っている。



「……いやぁー、美味い。これは美味い」

「でっしょぉ~?」


 半分ほど食べたところで皿に置き、タバスコを振りかけた。つでに黒胡椒をカリカリ。


「知ってる? ピザトーストって、日本発祥なんだって」


 朱音の声がやけに自慢げなのが鬱陶しいが、それは知らなかったのでびっくりした。


「マジで? 欧米の物かと思ってた」

「俺も」

「どっかの喫茶店かなんかが初めらしいよ」


 実に曖昧な情報がいかにも朱音らしいなと思いながら、スープに口をつける。お、玉ねぎも入ってたのか。


「このスープも美味い。面白い香りがする」

「クミンだね。クミンって美容効果もあるんだって」

「スーパーで値引き品に回すやつを貰ったんだ」

「色々貰えるんだな」

「うん。それ目当てにバイトした感ある。パートさんたちがこぞって料理教えてくれるし。で、そのまま就職したっていう」

「うち、昔わりとビンボーだったもんね」


 苦労したんだなぁ。親の金で大学出してもらってヘラヘラ生きてきた俺には耳が痛い話だ。就職活動でさえ、釣り仲間に口利きしてもらったもんなぁ。ま、しがない会社員ですけどね……




 食後の皿洗いをしていると、コーヒーの芳しい香りが漂ってきた。料理は修行中の朱音だが、コーヒーを淹れるのはべらぼうに上手い。不思議なものだ。


「そうだ、朱音。バレンタインで余ったチョコ貰ったんだけど、持ってく?」

「あ、貰う~」

「余ったやつかーい」


 保険のおばちゃんからの義理チョコしか貰えなかった俺のツッコミが虚しく響く中、千歳が自室の襖をすらりと開けた。


「うわっ!」


「ンひゃアアアアアゥ!」

 珍しく動揺した千歳の声に思わず目を向けた俺は、またもや悲鳴を上げることになった。

 例の人形が、千歳の部屋からこちらへ、ゴロリと倒れてきたのだ。おそらく襖に寄りかかるようにして座らせてあったのだろう。

 俺は洗剤の泡を飛び散らせてキッチンの壁に張り付いていた。腰を抜かさなかっただけ偉いと思う。


「照やんうるさい。ってか、叫び声独特ぅ」

「ああ、ごめん。ここに置いたの、忘れてた」


 千歳はそっと人形を抱え上げて部屋の奥へ移動させ、スーパー分福のレジ袋を持って戻ってきた。そのまま朱音と語らい始めたが、俺はまだ動けずにいた。心臓が早鐘を打っている。

 恐ろしい想像をしてしまったのだ………おもむろに起き上がった人形が襖の前に座り、薄暗い部屋で耳をそば立て俺たちの会話を盗み聞きしている光景を………

 キャー! いやぁぁぁ!! あの襖の向こうでは、例の緑色の透き通った瞳が今もこちらを凝視している……ってイヤァァァ!! 勘弁してぇ!!!



「ちょっと照やん、床に水垂れてる。ちゃんと拭いておいてよ」


 ドスの効いた朱音の声に救われる日が来るとは、思ってもみなかった。俺はなんとか落ち着きを取り戻し、床に垂れた水をキッチンペーパーで拭き上げたのだった。



 大将、今夜は荒んだ心に熱燗が沁みそうだ。リクエストしておいた、かまぼこわさび漬け、アテに頼むぜ……


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