〇〇食堂
如月芳美
就活
わたしのメンタルはもう限界だった。
今日だけで二社の面接。昨日も面接。一昨日も面接。このご時世、雇ってくれるような会社なんか無いんじゃないだろうか。
いったい何社受けただろう。多分既に八十社くらい受けてる。いや、そんなに多いわけはないけど、体感でそれくらいだ。
そして、ことごとく落ちた。
仲のいい友達はなんだかんだでまんまと就職先をゲットしている。そんな中、わたしだけまだ足搔きに足搔いてる。
どうしよう。このまま就職先が見つからなかったら、親になんて報告したらいいんだろう。
そもそも、なんでこんなに落とされるの? わたし、欠陥品なの? 他の人よりずっとずっと劣ってるの?
自分の存在価値がタンポポの綿毛より軽く感じる。
街の灯りが無駄に眩しい。まだ西の空がほんのり紺色なのに、街はもう「夜です」とばかりに煌びやかな光で着飾る。この空間で輝いていないのはわたしだけだ。
ぼんやり歩いていたせいか、地下鉄に降りる階段を過ぎてしまった。戻らなきゃ。
疲れた足を引きずってUターンしたその時だ。それまで明るかった街の灯りが一斉に消えたのだ。
違う、消えたんじゃない。街が無くなったのだ。
鬱蒼とした森、薄暗い中に何か生きもののうごめく気配。足元でガサゴソと何か小さな生き物が駆け抜ける音。
なんだこれ!
わたしは驚いてもう一度振り返った。振り返っても街は戻って来なかった。その代わり、森の中にどーんと一軒家が建っていた。
古典的とは思いながらも、わたしは自分のほっぺたを思い切り捻ってみた。痛い。手加減すればよかった。
慌てて周囲を見渡すが、何度首を回してみてもここは森の中で、しかも薄暗くて、その一軒家の灯りのお陰でようやく足元が見える程度なのだ。下手に動いたら絶対に怪我をする。しかも人らしい人はいない。この変な一軒家に声をかけるしかないのだ。
恐る恐る近付いてみると『○○食堂』という今にも落ちそうな看板がかかっている。『○○』の部分はなんと書いてあるのかわからない。ただ、食堂であることは確かなようだ。どう見ても朽ち果てる寸前の一般家屋なんだけど。
意を決して玄関の引き戸に手をかける。建付けは悪くない。からからからと音がして懐かしい気分にさせられる。
「いらっしゃい」
開けると同時に中からガラガラのダミ声が響いて来た。中には小さなカウンターが一つ。客用の椅子が一つ。すぐ横に荷物置きの台が一つ。カウンターの中にはしわくちゃの手に包丁を持った
――食われる! 咄嗟に回れ右して出て行こうと思ったが、体が動かない。
「座んな」
もう逆らえない。わたしはその声に引きずられるように鞄を置き、椅子に座った。
「あの」
「黙って待ってな」
発言が許されない。メニューも見せられない。なんなんだここは。
でもメンタルぼろぼろのわたしは、もう考えるのすら面倒だった。取って食われるならそれでもいいかと思えた。
山姥がお茶の入った湯呑をカウンターに置いた。
「飲みな」
断れるわけがない。黙って飲んだ。優しい味がした。緊張した体が少しほぐれた。
しばらくお茶の暖かさに身をゆだねていると、山姥がわたしの前に寿司下駄をドンと置いた。もちろんその上にはお寿司。
食欲なんか全く無いし、面接落ちまくってるのに寿司なんて気分になれない。そもそもこんなもの頼んでない。
「食べな」
……断れない。包丁を持って真っ白い蓬髪を振り乱した老婆に命令されて、きっぱり断れる人間がいるならお目にかかりたい。
泣く泣く添えられたフォークを手にする。ん? フォーク? 寿司をフォークで?
「あの、お箸」
まで言ったところでギロリと音がするほど睨まれた。山姥が二つ折りの紙をわたしの前に置いた。頼んだのはお箸なんですけど。
紙を開くと『お品書き』と書いてあった。料理の名前は……『泣いていいわい』意味わかんないよ!
お金どれくらい取られるんだろう、カードでは払えないよね、現金あんまり持ってないんだけど、などと考えながらマグロにフォークを入れた。
「え?」
これ、マグロじゃない!
魚が大きすぎてシャリが見えなかったけど、このシャリ、スポンジだ。マグロに見えてたのも赤いムース?
口に運ぶとカシスの酸味とスポンジの甘みが口の中に広がる。なにこれ美味しい!
よくよく見ると、全部が全部ケーキ! 卵焼きはレモンムース、サーモンはイチゴムース、ホタテはチーズクッキー、いくら軍艦はレッドカラント、ガリはピーチ味のチョコを薄く削ったみたい。甘くて酸っぱくて、疲れたわたしの心に染みわたる味がした。
わたしが無言で食べていると、山姥がお茶のおかわりを淹れてくれた。見た目は最高に怖いけど、腕はいいらしい。
「うまいか?」
「はい」
え? あれ? 返事をしたら滝のように涙が流れてきた。なんだこれ!
わたしは訳が分からないまま涙をダバダバ流しながらお寿司なのかケーキなのかわからないものを食べた。美味しいケーキを食べ終わるころには、体の中に溜まった嫌な気持ちが涙と一緒に流されてスッキリしていた。『泣いていいわい』ってこういう意味だったんだ。
「ごちそうさまでした」
「気をつけて帰んな」
「あの、お代は」
「とっとと帰んな!」
「は、はい!」
わたしは引き戸を開けると、深々と頭を下げた。
「ごちそうさまでした」
「もう二度と来るんじゃないよ」
引き戸をしめて後ろを振り返ると、地下鉄へ下りる階段が見えた。驚いてもう一度振り返ったが、もうあの一軒家は無かった。
だけど、口の中にはあの爽やかなカシスの味が残っていた。
『○○食堂』――何と書いてあったんだろう。
わたしは足取り軽く地下鉄へ下りる階段に向かった。
帰る途中、電車の中でスマホが震えた。先週面接に行った会社からのメールだった。
そこには『内定』の二文字が輝いていた。うっそ! ほんとに内定! マジで!
さっきの山姥を思い出した。ポケットに忍ばせた「お品書き」を出した。
『泣いていいわい』の文字が『内定祝い』に変わっていた。
〇〇食堂 如月芳美 @kisaragi_yoshimi
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