ある富豪の遺産

澤田慎梧

ある富豪の遺産

※作者注※

 本作品は自主企画「5000兆円が降ってきた:みんなで分岐する小説を書いてみよう」の参加作品です。

 まずは↓プロローグをお読みください。

https://kakuyomu.jp/works/16816700429152765040

※注ここまで※


「『そして──私が再びまぶたを開いたとき、物語は始まったのだ』……か。うーん、分からん!」


 手にしていた本をテーブルの上に投げ捨て、あくびを噛み殺しながらソファーに寝転がる。

 と、そのタイミングを見計らっていたかのように、妹の乃絵琉のえるがリビングに姿を現した。


「九郎兄さん? ああ、やっぱりこちらにいましたか。そろそろお昼を食べてくれって、料理長が――」

「すまないが、料理長にはいらないと伝えておいてくれ。……とてもそんな気分じゃないんだ」


  時刻は既に昼を回っている。体は空腹を訴えていたが、気疲れからか、とても食べる気にはなれなかった。


「……また、それを読んでたんですか?」

「ああ。馬鹿馬鹿しい話だとは思うんだが、どうしても引っかかってな」


 妹と共にテーブルの上に放られた本を見やる。

 無駄に立派な装丁のその本は、俺達の父親である棟方敦夫むなかた あつおの自叙伝だ。

 タイトルは「ある日、5000兆円が降ってきた」。なんとも馬鹿馬鹿しい、ネットの与太話のようなタイトルだが、著者が著者だけに、笑い飛ばせない部分もあった。


 俺達の父親、棟方敦夫は所謂「成金」だ。それもただの成金じゃない。不景気の続く日本において裸一貫で起業し、またたく間にそれを世界的複合企業まで成長させた伝説の成金なのだ。


 その総資産は小国の国家予算に匹敵し、今や世界でも五本の指に入る金持ちになった――のだが、残念なことに、つい先日ぽっくり逝ってしまった。

 まだ六十代。早すぎる死だった。


 親父の遺産は莫大だったが、兄弟や親戚で骨肉の争いをすることもなく、平和裏に相続を終えていた。

 ――というのは表向きの事。実際には、末の息子である俺と末の娘である乃絵琉は煮え湯を飲まされていた。


 相続の額面は兄弟で平等に分割されたのだが、その内訳が違ったのだ。八人いる兄貴や姉貴たちは額面は同じでも、今後額が跳ね上がるであろう土地や証券、諸々の権利を相続していた。一方の俺たちは、額面は立派だが今後の成長が望めない物件や現金を中心に相続していた。

 とてもフェアな遺産分割とは言えなかった。


「乃絵琉だって悔しいだろう? 棟方グループの実権も殆どは兄貴たちが握っちまった。親父がお前に任せたがってた出版社だって、姉貴に取られちまったんだぞ」

「仕方ないよ、兄さん。私たちはまだ学生で、いきなり大企業のトップになれって言われても、無理だもの。一生困らない位のお金をもらったんだから、それ以上を望んだら罰が当たるわ」


 ――乃絵琉の言う事も正論だ。末の息子と娘である俺たちは、まだ、なんの社会経験もない学生だ。既にグループの重役を任され、家庭も持っている兄貴や姉貴たちとは違う。

 だが、理由はそれだけじゃないだろう。俺と乃絵琉が妾腹であることも関係しているはずだ。


 しかし、遺産分割協議は既に終わっている。税理士や弁護士の立ち合いのもと、何度も精査し、俺たちも同意した。「よく分かっていなかった」なんて話は今更通じない。


 ――だったら、今から兄貴たちに逆襲するには「裏技」に頼るしかない。

 それが親父の書いた自叙伝「ある日、5000兆円が降ってきた」だった。


 親父は生前、何度も俺たちにこう言っていた。「私の最大の遺産の在り処はこの本に記しておいた」と。

 だが、本の内容の殆どは自慢話と棟方グループの社史で埋め尽くされている。「最大の遺産」と呼べるような知識や秘密が隠されているようには見えない――ただ一点を除いては。

 それが、先ほど俺が読んでいた一節、自叙伝の冒頭部分に記された謎めいた部分だった。


 他の部分は全て現実のことが書かれているのに、冒頭の数ページだけ、幻想小説のような内容になっている。

 何かをきっかけに希望を失い、世をすね、他者を恨み、絶望の淵に沈んでいた二十代半ばの親父。ある日、その上に「大量の札束」が降ってきたと書いてあるのだ。

 自叙伝のタイトルから推測するに、降ってきた札束と言うのがズバリ5000兆円だということになるのだろうが……あまりにも荒唐無稽だった。


 以前、調べたことがあるが、親父が二十代だった頃の日本の国家予算がおおよそ110兆円。流通していた円の総額も似たり寄ったりの額だったはずだ。

 5000兆円は、その約50倍。現金として存在すること自体が、まずありえない金額だ。ましてや、それが空から降ってくるなど、絶対にない。

 ……そもそも、全部が一万円札だったとしても、5000兆円なら大体50万トンくらいの重さになる。それが本当に降って来ていたら、多少バラけていたとしても人間が耐えられる重さではない。親父はまず間違いなく死んでいただろう。


 そう。現実に「5000兆円が空から降ってくる」なんてことは起こりえない。

 だとしたら、考えられるのは――。


「やっぱりさ、これって何かの例え話……というか、暗号文なんじゃないか?」

「暗号?」

「ああ。例えば、隠し財産のありかを示している、とか」


 実は、親父には以前から「隠し財産」の噂がつきまとっていた。

 親父の半生には謎が多い。二十代半ばにいきなり起業家として世に現れ、莫大な資金力でもって破竹の勢いで自社を成長させた。

 その財力を支えた謎の資金源――それこそが「隠し財産」ではないのか、と。


「隠し財産……ねぇ。私はそっちも十分に荒唐無稽だと思うけど」

「でも、あの親父がわざわざ『最大の遺産』なんて吹聴してたんだぞ? 何もないはずがないだろ」

「ん~。でも、だったら一太いちた兄さんや姉さんたちがとっくに見付けてるんじゃないかしら。隠し財産なんてあったら、お役所も黙ってないでしょうし」


 確かに、もし「隠し財産」なんてものがあったら、相続税逃れと思われても仕方がない。兄貴たち――特に長男の一太がそんなリスクを冒すわけもない。

 きっとあいつらも、「隠し財産」が本当に存在するのかしないのか、散々に調べたことだろう。

 だが――。


「そりゃ、兄貴たちだって『隠し財産』がないかどうか、きちんと調べているだろうさ。けど、それは現実的なラインについて、だ」

「……どういうこと?」

「親父の資産におかしな金の流れが無かったか、とかそういう線でしか調べてないってこと。自叙伝の記述についちゃ、兄貴たちははじめからガン無視なんだよ」


 そう。ほんのガキの頃にも、兄貴たちとは「隠し財産」の話は散々にしてきた。だが誰も真剣に考えているやつはいなかったのだ。

 はなからそんなものは存在しないと、高をくくっているのだ。


 かくいう俺も半信半疑のまま、今まで真剣に調べようなんて思ったこともなかったのだが……今は違う。

 このまま兄貴たちにいいようにやられっぱなしなのは、ムカついて仕方がない。かといって反撃の手段もない。

 すがれるのは最早、親父の自叙伝の謎くらいしか残っていないのだ。


「――とはいえ、手詰まりだ。ここ数日、自叙伝とにらめっこしてたけど、分からん! この手の頭を使うことは苦手だ……ということで、乃絵琉。ヘルプ」

「ええ、私? 私も暗号とか分からないけど……」

「お前、ゲームとかアニメとか好きだろ。ほら、ミステリとかも詳しいじゃないか。何かピンとくるものはないか?」

「ああいうものはフィクションだし……」


 等と言いながらも、テーブルの上の自叙伝を手に取りにらめっこを始める乃絵琉。

 野暮ったい黒縁メガネの向こうに透ける黒い瞳は真剣そのものだ。我が妹ながら、律義で可愛い奴だと思う。どうしてこれで、恋人の一人もいやしないのか……。世界七不思議のひとつに数えられてもおかしくない謎だ。


「『世の中には絶望しかない』……か。ふむ」

「お、何か引っかかったか?」

「引っかかるという程じゃないのだけど……。兄さんは、この冒頭部分が暗号文じゃないかと疑っているのよね。参考までに、今までどんなアプローチをしたのか、聞かせてもらってもいいかしら?」


 何かのスイッチが入ったのか、乃絵琉はなんだかやる気だった。

 眼鏡をクイッと指で直し、俺の言葉を待っている。


「そりゃあ、古今東西の暗号の歴史を紐解いてだな、符合するものがないか調べたのさ。ほら、『四半世紀』だとか『5000兆円』だとか『午前六時』だとか、所々に数字が散りばめてもあるだろ? 解読すると、どこかにある隠し口座の番号か何かが浮かび上がるんじゃないか、と思ったのさ」

「なるほど、正攻法ね。……でも、その方向性では解けなかった、と。となると……ふむ」


 乃絵琉は何かに納得したかのように何度か頷くと、おもむろに口を開いた。


「――兄さん。突然ですけど、ちょっと屋敷の外を散歩しましょうか」


   ***


 棟方の屋敷は東京都郊外の丘の上に鎮座している。

 建物は一つではなく、古めかしい洋館である本宅、主に親類や関係者の宿泊に使われる和風建築の離れ、古今東西の書籍を集めた図書館等など、大小さまざまな建物が東京ドーム数個分の広大な土地に点在しているのだ。

 この広大な屋敷は、今は親父の正妻である雅子母さんが相続している。雅子母さんは妾腹の俺たちにも優しく、お陰で屋敷を追い出されることもなく、今も暮らせていた。


 土地の殆どは季節の木々が生い茂る雑木林に覆われている。自然を愛した親父らしい趣味だった。

 だが、それぞれの建物の周囲や、それらを繋ぐ道沿いには、高名な美術家に作らせたオブジェやら、古今東西の芸術品のレプリカが飾られている。こちらも親父の趣味だったらしい。


「おいおい乃絵琉、どこまでいくんだ?」

「図書館の方よ。ほら、建物の裏手に『考える人』が置いてあったでしょう?」


 本宅を出るなり、乃絵琉はずんずんと敷地内を歩いていき、どうやら図書館へと向かっているらしかった。

 図書館は、名前こそ立派だが二階建てのこじんまりとした木造の建物だ。おまけに恐ろしくぼろい。

 その周囲には様々な有名彫像のレプリカが置いてある。乃絵琉の言う「考える人」もその内の一つだ。


「あった。ええと、私の考えが正しければ、多分この辺に……ああ、やっぱり!」

「おい乃絵琉、俺にも説明してくれよ。この『考える人』が、例の暗号文と関係あるのか?」

「ああ、ごめんなさい。説明していませんでしたね」


 乃絵琉はコホンとわざとらしく咳ばらいをすると、ようやく解説を始めてくれた。


「兄さんの言う通り、あの冒頭部分は暗号なんだと思う。でも、あれ単体では完成しないのよ。もっと正確に言えば、私たち家族にしか解けないようになっている暗号……というか、『なぞなぞ』なのよ」

「……どういうことだ?」

「あの冒頭部分にはね、。それがここ、『考える人』の像――その背中側なの」

「……ごめん、さっぱり分からん」


 情けないことに、乃絵琉が短時間で解いた暗号の答えが、俺にはまだ分からなかった。


「兄さん、この『考える人』って元々どういうものだったか、知っていますか?」

「元々? えーと、確かロダンの作品だよな。それで……そうだ、確か元はもっと大きな作品の一部に使われたモチーフ、だっけ?」

「そう、『考える人』は元々、ロダンの『地獄の門』という作品群の一つだったんです。地獄の門の上から人々を眺めている感じですね。――それで、この『地獄の門』には、こんな言葉が刻まれているんです。『ここに入る者は一切の望みを棄てよ』って。この言葉、ちょっと引っかかりませんか?」

「一切の望みを棄てよ……ってことは、そこから先には絶望しかない? ああっ、そうか!」


 『世の中には絶望しかない』――自叙伝冒頭の言葉が蘇る。

 「一切の望みを棄てた」後の世界というのは、即ち「絶望しかない世界」だ。

 「考える人」の像を見やる。この像――正確にはこの像が鎮座する門をくぐった先が「絶望しかない世界」であるという事実を「なぞなぞ」的に解釈するなら、つまりはこの像の背中にあるモノが「絶望しかない世界」にならないだろうか?


「兄さんも気付いたみたいですね。そう、この像の背後にあるのは――図書館です!」


   ***


 ――その後の謎解きは順調だった。

 例えば、『私は家賃の安い一人暮らしの部屋で、ボロボロになった布団に入って天井の木目を見つめていた。現在、午前六時。鳥の鳴き声が聞こえる』という一節は、図書館のとある一室の天井に隠されていたメッセージと、設置されていた鳩時計の六時の時報にだけ出てくる違う色の鳩のことなどを示していた。


 乃絵琉は恐るべき発想力と記憶力とで自叙伝冒頭部分と屋敷内の物とで符合する部分を発見していき、遂に――。


「集めたキーワードによれば、ここに間違いない、はずなんですが……」


 乃絵琉が自信なさげに呟くのも無理はない。

 自叙伝冒頭の暗号に従い屋敷中に隠されていたキーワードを探し出した俺たちは、遂にそのキーワードが指し示す場所へとやって来ていた。

 そこは――。


「ここ、雅子母さんの私室……だよな?」

「ですね」


 そう。そこは親父の正妻である雅子母さんのプライベートルームだった。

 ここに親父の「最大の遺産」が隠されてるだって?


「はは、まさか親父の最大の遺産は『愛妻』ってオチじゃないよな?」


 思わず、乾いた笑いと共に独り言ちる。

 もし親父の「最大の遺産」とやらがそんなノロケ話なのだとしたら、とても笑えない。

 ――と。


「おや、九郎さんと乃絵琉さん。どうかしましたか?」


 突然背後から声をかけられ、総身が震えた。

 振り向くと、そこには部屋の主である雅子母さんが立っていた。

 地味な和装に身を包んだ七十絡みの老女だが……不思議な迫力を身にまとっている。


「おやおや、その本は……なるほど。貴方たちも辿り着いたようですね。よござんす、お入りなさい――」


   ***


 雅子母さんの私室は、洋館である本宅の中で唯一の和室で、一階の最も奥まった場所に位置する。

 豪華な調度品などはなく、ちゃぶ台と座布団、古めかしい薬箪笥の他には、床の間にかけられた自筆の掛け軸くらいしかない。


「ええと、雅子母さん、実は――」

「みなまで言わなくともよろしい。お二人とも、辿? よござんす、ご案内しましょう」


 言うや否や、雅子母さんは薬箪笥の引き出しの幾つかを開けたり閉めたり忙しなく動かし始めた。思わず、乃絵琉と顔を見合わせる。

 ――と、何やら畳の下で「ガコン!」という鈍い音が響いた。


「九郎さん、そこの畳を持ち上げていただけますか?」

「……この畳を、ですか?」


 雅子母さんの言葉に訝しがりつつも、言われた通りに畳を持ち上げる。

 すると、そこには地下深くに通じるらしい、古めかしい石段が鎮座していた――。


   ***


「――あらかじめ断っておきますと、この階段を降りる敦夫の子供は、貴方たち二人が初めてではありません」


 長い長い石段を下りるさなか、雅子母さんがおもむろに語り始めた。


「初めてじゃない? じゃあ、親父の『最大の遺産』とやらは、もう誰かの物に?」

「いいえ。長男の一太も長女の杏里もこの階段を下りましたが、二人とも遺産を手に入れてはいません」

「どういうことですか、雅子お母さま。『最大の遺産』というのは、一体」

「……見れば分かります」


 その後は無言のまま、三人で階段を下り続ける。

 階段は所々で曲がりくねり距離感を狂わせたが、かなり地下深くに潜っている事だけは分かった。

 明かりは雅子母さんが手渡してくれた懐中電灯だけで、なんとも心もとない。

 そして――。


「着きましたよ」


 遂に階段の終点へと辿り着いた。どうやらただっぴろい空間のようだ。

 さながら地下大空洞とでもいったところか。

 その大空洞の中に、何か大きな物体が横たわっているのが、懐中電灯の薄明りの中でも見てとれた。


「……兄さん、やけにかび臭くないですか? 古い本の臭いにも似てるような」

「確かに。雅子母さん、目の前にある巨大なあれは、一体なんですか?」

「……近付いて、ご自分の眼でとくとご覧なさい」


 どこか試すような声音で雅子母さんが告げる。

 俺は、乃絵琉と静かに頷きあうと、その巨大な物体の方へと歩み寄って――言葉を失った。


「兄さん! これ……これ、全部ですよ! すごい……一体どれだけあるのかしら」

「随分と奥まで続いてるな。懐中電灯の明かりなんかじゃ、全然届かない。これが全部一万円札だとしたら……5000兆円なんてのも戯言じゃなくなるぞ! 雅子母さん、これは一体!?」


 興奮する俺たちをよそに、雅子母さんはこの地下空間の温度よりも更に低く、それでいてどこか湿度を含んだような声音で答えた。


「何って、5000兆円ですよ。正確には、5000兆円の残り、ですが。敦夫が生前に使わなかった分を、この秘密の地下大倉庫に隠してあるのです――ちなみに、全部本物ですよ。偽札の類ではありません」

「本物って……そんな、親父が若い頃に流通してた一万円札を全部集めたって、こんな数にはなりませんよ!」

「もちろん、わたくしもそのくらいは承知していますよ、九郎さん。でも、これは全て本物なのです。敦夫は、この一部を使って起業し、棟方グループを作り上げた……それは紛れもない事実です。ただし、わたくしも敦夫がこの大量の現金を一体どこから手に入れたのかについては、その一切を知らないのですが」


 なんてことだろうか。「5000兆円」というのは何かの暗号や比喩ではなく、文字通りの意味だったのだ。

 しかもその出所については、長年連れ添ったパートナーである雅子母さんでさえ知らないのだという。

 まさか、本当に空から降って来たとでも?


 ――それに、そうだ。他にも疑問があった。


「一太兄貴たちも、この金の山を見たんですよね? だったら、なんで自分達の物にしなかったんですか?」

「逆にお聞きしますが、九郎さん。もし貴方がこの現金の山を譲られたとして、どうやってお使いになりますか?」

「どうやって使うって、そりゃあ……」


 そこまで言いかけてふと気付く。こんな大量の現金があったとしても、その全てを使い切ることはできないし、何より――。


「この現金の山は、世間様には認知されていないものです。数百万程度を持ち出してコツコツと使うならいざ知らず、千万、億、兆のお金を持ち出して世間にばら撒けば、間違いなく露呈します――出所不明の大金として。下手をしなくても司直のお世話になる事でしょう。円と言う通貨そのものの信用も著しく低下するでしょうねぇ」

「じゃあ、親父は……敦夫はどうやってこの現金を活用したんですか!?」

「……わたくしも詳しいことは聞かされていませんが、とても世間様には明かせない手段を何度も講じたと聞いております。相当に危ない橋を、何度もわたった、と」


 雅子母さんの言葉に、傍らの乃絵琉が小さく「まさか」と呟くのが聞こえた。

 もしかすると、乃絵琉の中では親父が渡った「危ない橋」とやらの想像がついているのかもしれなかった。


「既に棟方の家は十分な資産を築きました。敦夫は逝ってしまいましたが、一太をはじめ一族の者たちはこれからも事業に励んでいくことでしょう。――一太や杏里が、このお金に手を付けなかった理由が、賢い貴方がたなら分かりますね?」


  ――話はそれで終わった。


   ***


 帰り道に雅子母さんから聞いたところによると、あの現金の山は遠からず全て秘密裏に処分されることになっているらしい。

 あの地下空間には仕掛けがあって、本宅にあるスイッチを一週間に一度押さないと、特殊な薬剤が流れ込んで札束を全て溶かしてしまうのだという。スイッチを押す役割は、今は雅子母さんが担っていた。

 その役割を終わりにしたいと思います――雅子母さんは、どこか寂しそうに呟いた。


(了)


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ある富豪の遺産 澤田慎梧 @sumigoro

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