第29話 神殺し

 お館様を力いっぱい抱きしめて、白夜は叫んだ。

 もう殺して欲しいなんて言わないからさ。

 頼むから一人にしないで。

 口も性格も悪いままでいいからさ、おれの家族でいてよ。

 やっと認めることができたんだ。

 小春からも許してもらえたんだ。

 だから――頼むよ。

「うる……さい、な」

 腕の中で身をよじり、お館様がぴくりと眉間にしわを寄せた。

 ごほごほとむせながら玉藻も目を覚ます。

 口を一文字に結ぶ白夜の目が見開かれ大粒の涙が溢れた。

「泣く、な……この馬鹿、者が」

 竜胆色の瞳がやわらかく細められる。

 お館様は痛々しく裂けた唇に薄い笑みを浮かべ、

「よく、やった」

 そう言って頭に手を伸ばした。

 大きくて温かい手が、ぽんぽんと慰めるように何度もなでる。

「立派な、あやかしになったな」

 いままでに聞いたこともない、優しい声だった。

 白夜は結んだ唇を大きくふるわせる。

 涙は止まるどころか、我慢するほどにこぼれ落ちた。

 お館様が助かったこと。

 初めて認めてくれたこと。

 ここまで白夜を導き、育ててくれたこと。

 有り余るほどの感謝が胸にこみ上げる。

 白夜は大きく吐息をもらし、困ったように笑ってみせた。

「そうなるように育てられたからね。お館様も玉藻も。本当にありがとう」

 長年言えなかったことをようやく伝えると、二人は目を丸くして白夜をみた。

 玉藻などは口を押さえ、くるりと後ろを向いて肩を揺らす。

「帰ろう。おれたちの家に」



「しっかし、内裏の修繕にかり出されるとは面倒な」

 倒れた柱を巴と持ち上げる兼嗣は、荒れ果てた内裏を眺めて大きなため息をつく。

「仕方ないわぁ。命があっただけでも拾いものだと思わなくちゃ」

「まっ、そうだな。そうすりゃ、またあの別嬪さんと会えるかもしれねえし」

「あなたぁ。まだそんなことを言っているのですかぁ?」

 巴は眉をひそめる。

 やっと動けるようになったとはいえ、互いに満身創痍。全身は布でグルグル巻きの状態。三月で動けるようになったのは、日頃の鍛錬の成果と臓腑に致命的な損傷がなかったためである。幸運だったのか、それとも意図的か。どちらにせよ二人は生き延びた。

「この内裏の惨状は、あの鬼のしわざだと聞いでしょう。しかも高位の陰陽師二百名が施した結界を打ち破って、白虎のご神体を真っ二つに切ったそうではないですかぁ。いまでは黒天狗と九尾に並んで名を馳せた鬼となったのよぉ。なんとも大げさな通り名までついてしまいましたし……わたくしは二度と会いたくありませんねぇ」

 肩をすくめる巴に対し、兼嗣は爛々と目を輝かせる。

「上等じゃねえか。おれは強い奴が好きだ! で、通り名はなんという」

「あまり大きな声では言えないのですけどねぇ。ちょっと耳を貸しなさいよぉ」

「うん、で?」

 巴はきょろきょろと辺りを見渡し、袖で口を覆ってささやいた。

「〝神殺し〟ですって。そりゃあ四神の一体を殺したんですものぉ。これで都の防御が一角崩れたことになるのよぉ。大変だわぁ」

「はっはっは! また大層な名がついたものだ! 神殺しか! うん、実によい名だな!」

「なぁにが、よい名ですかぁ。さっさとこれを運んでおくんなまし!」

 


 二条大路と大宮大路の交わる辻には、百鬼夜行が現れるらしい。

 黒々と光る牛車には黒天狗が。その脇には九つの尾を持つ妖狐が。

 そして女子おなごのような格好をした〝神殺し〟がいるらしい。

 そのものは背に闇の翼を生やし、世にも美しいかおをしているそうな。

 しかし決して惑わされてはならぬ。見かけたら迷わず逃げよ。

 銭をすべて放り投げ、身ぐるみ剥いで逃げよ。

 鬼が出る夜は決して都を歩いてはならぬ。


 しんと静まり返った都の夜。

 屋根の上を真っ白な狐たちが飛び交い、桃色の被衣をかぶった鬼が空を舞う。

 今夜もまたどこからか、「馬鹿者がっ!」という怒鳴り声が響き渡るのであった。



――完――

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ツン甘なお館様のスパルタ教育のおかげで神殺しと呼ばれる鬼となりました。 一色姫凛 @daimann08080628

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