第28話 届け、ぼくの願い!


 あまりに嬉しくてついご丁寧に説明してしまったけれど、すぐに後悔した。

 陰陽師たちが術を変えたのだろうか。それとも強めたのか。透明な分厚い壁がびくともしなくなったのである。

「こんのっ!!」

 虎の御神体まであとわずか。あと数歩進めば手が届くのに!

 体を押し倒す。ずんっと足が畳に食い込んだ。

「ふんぬううっ!!」

 蹴る。蹴る。蹴る!!

 噛みしめた奥歯が砕け、唇の端から血がこぼれる。

 ねじこむ頬に亀裂が入り、衣だけでなく皮膚も裂ける。

 それでも前に進まなくて、畳が半分折れて後方に弾け飛んだ。

「小春!」

 白夜は姉の名を呼ぶ。助けて、力を貸してと。

 白夜の前に黒姫が現れた。

 それは禍々しい闇だった。

 目にした陰陽師はみな目を見張り、青ざめた。

 陰陽師たちも限界を迎えようとしていた。

 何人かは唇の端から血を流し、何人かは大きく吐血して、それでも経を唱え続けていた。

 黒天狗と九尾を倒すため、みな死ぬ覚悟であった。

 陰陽師たちと白夜。拮抗する力が互いの体力を削り取る。

 黒姫も普段のように機敏な動きはできないようだった。緩慢に動く。それでも見えない壁の隙間に鋭い爪を立てた。戸を開くように、左右に向かって黒姫の爪が動きだした。ほんのわずか、空間に歪みができた。少しだけ他と比べて柔らかい風が吹く。白夜の体が動いた。歯を噛み締めて身体をねじ込み、また一歩前に踏み出した。

「ぬっ!」

 中央に座す陰陽師が振り返った。

「なにが起きているのだ! これは人であっても入れぬ結界であるぞ! まさか……力尽くで破壊しているのか!?」

 黒姫がまた空間に爪を立てた。

 メキメキとふくれ上がり、天を翔ける虎の脚と同じくらいの大きさとなる。

 いまや陰陽師と白夜の間には大きな闇だけがあった。

 黒姫が空間をこじ開ける。開ける、開ける!

 左右に向かってじわりと押し開いた。

 陰陽師たちの掲げる木簡が一斉に音を立てて燃え上がる。彼らは悲鳴をあげて、黒く燃えた木簡を慌てて放り投げた。

 その瞬間、空間の圧力が軽くなったのを白夜は感じとる。

「いかんっ!」

「うおおおおおおっ!」

 圧は、まだある。体が重い。前からも上からも押しつぶされそうだ。しかし白夜はありったけの力で踏み込んだ。背に黒い翼が生える。部屋の横幅いっぱいにまたがる双翼。突風を巻き上げて近くにいた陰陽師たちを凪ぎ払い、宙へ飛んだ。

 白夜は両の手を頭上に掲げて吠える。

「こいっ! 黒姫!」

 白夜の手のひらに黒姫が刀を宿らせる。いままでの倍はあるであろう、長さであった。御神体の前に座していた陰陽師を飛び越え、真っ直ぐに振り下ろした。

 光る虎の体に刃が食い込む。だが、切れない。

 白夜は渾身の力を刃にこめる。

「切れろおおおおおおっ!! この、馬鹿やろーーーッ!!」

 刀身が轟っと燃えた。黒い焔だった。白夜の体もまた黒い焔に包まれる。ゆっくりと刀身が沈む。また、沈み。また、沈む。

「うおおおおおっ!!」

 だんっ!

 最後に床まで切り裂いて、祭壇ごと御神体は真っ二つとなった。祭壇の破片や畳などが、半分となった虎の体と宙を舞う。陰陽師たちは茫然としてそれを見た。

 特殊な力に守られた聖獣のご神体は何があっても切れぬ。

 何百年とそう言い伝えられてきた。

 この強固な結界を破ったあやかしなど、いまだかつておらぬ。

 ご神体に打ち勝つあやかしなど見たことも聞いたこともない。

 この場にいる全員が伝承が覆る瞬間を目にし、崩れ落ちた。

 御神体からふっと光が消え失せる。

 ゆっくりと宙を舞う御神体の端が黒ずんでゆく。

 それはあっと間に浸食し、塵と化して空に溶けた。

「はあっはあっはあっ! おや、かた……様!」

 汗がだらだらと顎からこぼれて床に落ちる。

 ついに尽き果てて倒れ込む者もいる中、白夜は黒姫を支えに膝をつき、再び都へ目を向ける。

 最後の力を振り絞り、白夜は飛んだ。

 もう行く手を遮るものはなにもない。

 雷より速く。風より速く、白夜は飛ぶ。

 もう廊下を曲がるのも億劫だった。

 手にした刀剣で柱を薙ぎ払い、一直線に飛んだ。

 内裏を突っ切って空へ抜けた。

 立ち込めていた雷雲が霧散し、天にいた白虎が崩れ落ちている。

 その真ん中に落下する二つの影が見えた。

「お館様あああっ!」

 白夜は風を切って飛んだ。眼下に広がる都は陽炎と化していた。

 お館様と玉藻の姿をハッキリと目にして手を伸ばす。

 地上に落ちるギリギリのところで、お館様を抱きとめた。

「はあっはあっはあっ……お館様。お館様!」

 黒姫が玉藻をそっと地面に下ろす。

 お館様も玉藻もすでに面が割れ、酷い火傷の痕が全身にみられた。

 衣もあちこち燃えていたし唇からは血が流れている。

 なにより目を開いてくれない。

 どくどくと心臓が不安な音を刻む。

 あの日、目の前にあった小春の遺体。

 家族の無残なありさまが、走馬灯となってあたまを巡る。


 やめて。いやだ。もう失いたくないんだ!

 お願い。お願い! お願いだから!


 いつも余裕の顔をしているくせに。

 血なんか流したことないくせに。

 一番強いくせに。

 こんどは桃じゃなくて、美味い酒を届けてやるからさ。


「だから……目を開けろよ!  馬鹿やろうっ!」

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