一ノ章 孤寄島 ⑤

       5


 あとの処理は背広の男たちがするようだった。夏美たちが洞窟から出ると同時に、外に待機していた三人が穴のなかに入って行った。

 もと来た道を、少女を先頭にして歩く。謝花は一番後ろからついてきた。杏梨は気分が優れない様子なので、涼湖が肩を支えながら歩いている。夏美も誰かにそうしてほしい気分だった。空想と現実の狭間にでもいるような心境で、足元がおぼつかない。何度もつまずきそうになる。

「お風呂の準備は?」少女が振り返っていう。謝花に訊いたようだった。

「予想外の事態でばたばたしていましたが、儀式のあいだに梢絵さまがお湯を張っていてくださると」

「よかった」と安堵の吐息をついて、「お母さんが動けるようになってから、色々と助かるわ」

「ええ。ご無理させているので、恐縮ではありますが」

 裏門までもどってくると、話題にあがったばかりの梢絵が待っていた。

「すみません。出迎えを」謝花が頭を下げる。当の彼女は首を振り、「せっかく動けるようになったからねえ」と答えた。

 動けるようになった……。少女もそういっていたが、体調でも崩していたのだろうか。そういえば咳込んでいるのを見た。

「謝花」と少女がいう。「お風呂が済むまでに、ご飯の支度ね」

「はい」と彼はいった。

 少女は夏美たちのほうを見て、「一緒に、食べる?」

 ごく普通に訊ねてくる様子を見て、常識や日常というものが歪んでしまっていることがわかる。このひとは、人間というものを理解できていない。いや、この島のなかでは自分たちのほうがおかしな生き物なのかもしれない……そう夏美は思った。

「食欲、ないから」と涼湖がいった。夏美は頷く。杏梨も同感だろう。

「そう……じゃあもう眠ったらいい」

 梢絵が続く。「謝花、空いている部屋ならいくらでもあるからね、どこかに案内しておやり。死んでいただくまではお客さんですよ。お世話してあげなさい」

 お願いね、と少女もいった。

 夏美たちは裏口から入ったあと、屋敷の中心あたりにある一室へと案内された。襖を開くと八畳ほどあった。押し入れがあるだけで、家具も窓もなく殺風景である。だが、襖や畳、柱にいたるまで質感がよく、島の民宿より何倍も立派な部屋だとわかる。

 少しお待ちを、といって謝花は退室したが、三人は立ち尽くしたまま、誰もくちを開かない。まだ、頭が受け入れきれていないのかもしれない。理解できていないのかもしれない。話し合いたいことはたくさんあるはずなのに、声にならない。なにから話せばいいのか、どんな言葉を発すればいいのか、判断できない。

 じきに謝花が布団を抱えてやってきて、奥の和室に敷きはじめた。

「あとで飲み物もお持ちします。儀式のときは熱かったですから。――ああそう、お風呂はどうしますか」

 再び、現在どのような状況に立たされているのか判断がつかなくなってきた。この扱いに、混乱してしまう。

「……お風呂には、民宿で入りましたので」と夏美が答えた。

「そうですか。では今夜はもうお休みください。明日、浴室やお手洗いなどに案内しますね。この屋敷はやや広いので」

「どうしてですか」夏美はいった。「わたしたちが逃げないように、閉じ込めたりしないのですか」

 謝花は布団を敷きながら答えた。

「島から逃げ出すことは不可能でしょうから」

「でも……せめて、ふつうなら閉じ込めておくとか」

 横から涼湖が、「おい夏美」と肩をゆすった。杏梨も、余計なことをいうなといいたげな眼を向けている。

 夏美はうつむいて、「でも……だって、わけがわからない」

「……まあ、外から鍵をかけられる部屋もあるにはありますが」謝花はちょうど三枚目の布団を敷き終えて、夏美たちを見た。「あなたたちは勘違いをしているみたいです。いいですか。お嬢さまがいったように、寒咲家はただキリコという使命を背負ってきただけなのです。島人の遺体に、そして運ばれてきた者たちに、必然的に《楔の業》を施し、処理してきた。因習なだけであって根っからの犯罪一家ではない。露骨な監禁なんてしません。梢絵さまがいっていたでしょう。あなたたちはむしろ、お客さまなのです」

「そう思っているなら、お客さまなんだったら助けて。朝になったら、家に帰らせて」

 謝花は首をふって、「梢絵さまはこうも話しましたよね。死んでいただくまではお客さま……と。儀式の存在も、孤寄島で死体が処理されているという事実も、もちろん世間に知られてはならない。ですから見てしまったあなたがたを殺すしかないのです」

 杏梨が泣きそうな声で訴える。「だれにもいいません、絶対に……」

 謝花はその言葉には反応はせずに、部屋から出て行こうとする。

「あとわずかな時間、寒咲家の手も、わたしの手も煩わせることなく、ひっそりとこの屋敷で暮らし、ひっそりと殺されてくれたら助かります」

 最後にそれだけをいった。

 あたりまえのようにいわれ、やっぱりこの家はおかしい、と思った。この屋敷では、殺す、死ぬ、という言葉が日常的なのかもしれない。ひとの死、というものが、手が届くほど近くにあるような気がする。

 自分たちはお客さま……。この境遇にも優しさや安堵を感じることはできなかった。もうじき殺してしまう人間を、客として迎える精神……狂気の沙汰だ。

「――そうだ真季」夏美は謝花が部屋の戸を閉めるまえにいった。

「ああ」と彼は思い出したようだった。「逃げ足が速かったのでしょうか、捕まえたという報告はまだありませんね。まあ、夜が明ければ見つかるでしょう」

「そう、ですか」

 では、といって謝花は戸を閉めた。足音が離れていく。

 杏梨が力が抜けたように座りこんだ。

「……やだ。もうやだ。なんなのここ。この島はなに。真季はどこにいったの」

 夏美は彼女の傍によって、肩に手を置く。「大丈夫?」

 大丈夫なわけがない。当然、杏梨は首を振った。

 面の販売所にいた老人が、きょう孤寄島に泊まるといったとき、やけに不思議がっていた理由がいまならわかる。おそらく、儀式が開かれる日を島人は把握している。そして当日には、島人以外のひとはいてはならないはずだったのだ。儀式の存在は悟られてはならないのだから。

 しかし、民宿の手落ちと考えていいだろうか、手違いが生じた。さらに自分たちは、夜に外出するという過ちを犯してしまい……

 ――未曾有の事態、ですね。

 という謝花の言葉を思い出す。たしかにそうなのだろう。

「おい杏梨」と涼湖がいう。「混乱してるのはわかるけど、あたしと夏美だって同じ状況にいるんだ。ひとりひとりがしっかりしないと」

 杏梨は聞こえていないように、「お父さん……お母さん、帰りたい」と呟く。

「杏梨っ」涼湖はやや強くいった。

 彼女は肩をびくつかせると両耳に手をやって顔を伏せる。「ごめん、ごめんなさい……」

「やめて涼湖」夏美は杏梨の背中をさすった。「いまは、しかたないよ」

 涼湖は仕方なさそうに吐息をつき。「そうだけど、こんなときだからこそしっかりしないと、島から脱出なんてできない」

「――島から」杏梨が反応し、顔を上げた。「逃げられるの?」

「難しいのはわかってる。でもわからないだろ。なんだよ、もうあきらめたのかよ」

 杏梨はぶんぶんと首をふった。「逃げたい。死にたくない」

「あたしもだ」涼湖も杏梨の傍に来て腰を下ろした。「だから落胆しててもはじまらない」

「なにをすればいいの」

「なんでもいいから情報を集めよう。まずはこの屋敷、寒咲邸に詳しくならなきゃいけないだろうな。そうしなきゃ、島から出るどころじゃない」

「うんっ」夏美は深く頷いた。「監禁されてるわけでもないし、きっとなんとかなる。考えよう」

「……ふたりとも、強いね」杏梨が苦笑した。

「強いのは涼湖だよ」夏美は涼湖の手を握った。「みんな辛いのに、希望をもたせてくれてる」

 彼女だって夏美と同じ女子高生。混乱しているはずだ。怖いはずだ。「強がりをいってなきゃ、だめになりそうなんだよ」と答えた彼女の言葉は嘘ではないだろう。涼湖だけに無理をさせるわけにはいかないと思った。

 夏美は杏梨の手も握った。

「絶望するのは早いよ。逃げよう」

「……そう、だよね。わかった」

 杏梨は自分を納得させるように頷いた。

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鬼離殺が棲む孤島 ウニ軍艦 @meirieiji

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