光の速さで

蓬葉 yomoginoha

光の速さで

「自分から相対的に見て動いている相手の時間は、自分の時間よりも流れる速度が遅くなるわけだ」


 化学の教師が白衣をはためかせて自慢げに笑う。クラスメイトの頭には「?」が浮かんでいる。

「アインシュタインというのはほんとうに偉大だなあ。なあ浜舞」

「えっ、ははっ、そうですね、とっても」

 中学校の三年間と高校の一年間で身に着けた愛想笑いを返すのと同時に、チャイムが鳴った。余談だけで授業の三分の一が終わった。





「全然関係ねー話しないでほしいもんだよ」

 帰り道、自転車、私の大好きな彼は呟いた。いつもより少しだけ声のトーンが低い。サッカー部の練習終わりで、疲れているようだ。私自身もバスケ部の練習後だけれど、こうして一緒に風を感じられるだけで元気になる。

「何の話?」 

 私が聞き返すと、彼は「化学の授業」と吐き捨てるように言った。

「二十分くらい関係ない話してたろ」

「ああ、アインシュタインの、なんだっけソウタイセイリロン、だっけ。よくわかんなかったよね」

「そもそも俺寝てたし」

「駄目じゃん」

「関係ねーなら寝てたっていいだろ。テストにも出ねーだろうし」

「柳真どうせ普通の授業でも寝てるくせに」

「うるせー」



 電車に乗り、地元の町へ一駅。再び自転車をまたぐ。

 柳真は私の少し前を行く。私と彼とではどうしてもスピードが違って、必然柳真の方が早くなってしまうのだ。

 そんな彼の背に声を飛ばした。1メートルくらいの差が、彼のブレーキで埋まる。

「なんだよ」

「そんな、早くいかないでよ」

「いや普通に走ってるだけなんだけど……」

「授業聴いてないから、わかんないんだよ」

 柳真と私は同じ日の同じ時間、同じ場所で生まれ、同じスピードで同じ道を生きてきた。多分、相対的にも。

 それなのにそんなに早く動いたら、私と時間が変わってしまうじゃない。

「早く帰んないと栗花が泣くんだよ」

「栗花ちゃんが?」

 栗花は柳真の一つ下の妹。柳真たちはお母さんがいないから母親代わりになっている。大家族のご飯を作ったりするのは大変だろうなと、彼女の名前が出る度いつも思う。

「うん。めっちゃ悲しそうな顔する」

「ふうん」

 妹思いなのはいいことだ。私にも妹がいるから、それは見習うべきかもしれない。

 でも、その愛情の数滴くらいこちらに注いでくれてもいいのになと思う。



「……でも、ゆっくり帰ろうよ。毎日一緒なわけじゃないんだから」

私にしては結構思い切ったと思う。

「……」

「聞いてる? ってちょっと!!」

振り返ると彼は自転車を跨いでこぎ出そうとしていた。

「柳真っ!」

「追いつきたきゃここまで来いよー」

柳真は快活に笑って手を振っている。そういうやつだ彼は。私の煩悶になんか気づきもしないで、いつもそうやって。

「もうっ!」

ここまで来たらもう意地だ。私も同様、自転車に乗って、彼を追いかけた。夏の風を浴びながら、しがみつくように彼を追いかけた。



「はあっ、はあっ……」

「さすが運動部だな」

 分かれ道近くの駄菓子屋で、彼は涼しい顔で笑った。腹立たしい。

「柳真ってほんっとにば……!」

「ほらやるよ」

 私の目の前に、透明なビンが差し出される。入っているはずのビー玉が入っていない。

「金ねーから回し飲みだけど。いいだろ? 別に」

「……うん」

 握りかけた拳を解いて、ラムネを受け取る。開封済みのラムネ。爽快感と動揺と、ほんの少しの快楽を飲み込む。

 涼しさが身体の中に満ちる。けれど、同じくらいの熱が身体の中から湧き上がってくる。

「全部飲んでいいよ」

 柳真はそう言ったが、私は瓶を返した。

「ううん、柳真飲みたいでしょ。返すよ」

 下心がバレないか不安で、瞳を合わせることが出来なかった。けれど幸か不幸か彼は気づかず、「サンキュ」と笑ってラムネ瓶を傾けた。



 美味しかった、嬉しかった。

 また少しだけ、彼が好きになった。

                                  つづく?





 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

光の速さで 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ