第26話 病巣
――『狭間・アンダーグラウンド』
――〝
そこは〝
「この『狭間』には〝上〟と違って、はっきりとした〝中心〟がある。つまり、この〝領域〟の主――『
その樹状の『乙女心』は、この〝世界〟の中心に立ち、天を支える一つの〝柱〟である。見た目のうえでは三メートルもないが、目には見えないかたちで地に根を這わせ、赤い空へ向かって枝葉を伸ばしている――
そこに、何かいる。
何かがひしめいている。
ふと気付いたその〝存在感〟に気圧されるように、
「っ」
何かに足をとられ、その場によろめき、尻餅をつく。手をついたアスファルトは微かにぬめり気を帯びていた。水溜まり、ではない。視線を向けた先の地面は、泥か油か、粘性のある濁った液体に濡れている。空が赤いためか、それは血溜まりのようにも見えた。
地面には木の根のようなものがそこらじゅうに生えている。舗装を突き破った赤紫色のそれらは生物に出来た腫瘍のようで、どくどくと脈動し、ドクンドクンと腹の底に響くような鼓動を立てている。個々の刻むリズムは一定だが、それらは連動せず不規則だ。地面に接しているとその震動はより顕著で、足場が波打っているような錯覚に陥る。
……まるで化け物の腹の中にでも取り込まれたかのようだ。気分が悪い。
起き上がろうとして、またよろめく。平衡感覚がおかしい。意識しないと、身体に力が入らなかった。
「だから言っただろう、〝変身〟しろと。ここは本来、人間の……他人の立ち入っていい領域じゃない。いわば〝胃のなか〟なんだよ。侵入者は喰われるか、吐き出されるかだ」
そう語る実継に変わった様子はない。実に平然としていた。まるで彼だけが別の場所にいるかのように――
「俺さまは、これから登校するが――」
「は……?」
言ってることも場違いで、頑馬は彼の言葉をすぐには理解しかねた。
「〝中心〟がズレれば、世界もズレる。放り出されたらどこに出るか分からねぇからな、なんとかしたければ焦るんだな」
遅刻するなよ、と。こちらに背を向けながらそう言って――忽然と、その姿が掻き消えた。
その場には沈黙と、『蟲』の立てる羽音の低周波だけが広がっている――
「なんだったんだ、いったい……」
一瞬、頑馬は呆けてしまった。
竿留実継は唐突に現れ、言いたいことだけまくしたてると、しかも後半はよく分からないことを言うだけ言って、突然いなくなってしまった――頑馬を一人、謎の空間に取り残して。
実に身勝手、まさに〝俺さま〟……。
すっかりその雰囲気に呑まれ、彼が去ったあともまだその余韻が拭いきれない。いやそもそも、余韻が生じてる時点で相当に影響を受けていたということだろう。
考え方が似ていた。共感できる点も、なかったとは言えない。
しかし、相手は〝敵〟なのだ――こんなところに放置していったのも、きっとある種の〝攻撃〟なのだから――
「のっじゃ!」
不意に頭上から響いた高い声に、頑馬はハッと我に返る。
得体のしれない気配が、すぐ間近に迫っていた。
「!?」
それは何もない空間にこびりついた泥のように、あるいは傷口から溢れた血液のように――樹状の『乙女心』の頭上である。一見すると何もないその虚空に、黒い染みが滲む。そこから何かが湧きだしていた。
――〝悪魔〟だった。
常時歪み続ける黒いシルエット――黒い炎をまとった、ヒト型の『蟲』だ。背に数枚の翅を生やし、それを高速振動させながら浮上している。あるいは『蟲』に掴まれ中空に浮かんだ人間のようにも見えるかもしれない。ヒト型の部分は脱力しきっていて、手足はもちろん頭部もうなだれているような格好だった。
陽炎のようだった。
向こうが透けて見えるようで、その実すべてが黒く塗り潰されている。
見つめていると意識を吸い込まれそうになるそれから、何かが――
「!」
そこから放たれた無数の〝
反応できなかった、が――頑馬の目の前でそれは、見えない壁とぶつかってガラスのように砕け散った。
(〝ちびのじゃ〟か……?)
当たり前になりすぎていて、すっかり意識から抜けていたが、頑馬の頭上には〝ちびのじゃ〟がいる。ちびのじゃが〝攻撃〟を防いでくれたのだ。
……でなければ、〝変身〟する間もなくやられていた――
(そうだ、〝変身〟しないと……。あれがなんなのか? それは分からないが、昨日見た『人蟲』の同類っぽいのは間違いない。あれを倒すことが出来れば……もしかしたら――)
この、『蟲』に巣食われているという少女を、救うことが出来るのではないか。
それは正義感というものなのかもしれない。ただ、見過ごせないと思った。なんとか出来るなら――なんとか出来るかもしれない力が、自分にあるのなら――
ポケットからカードを取り出す。そして叫んだ。
「変身――!」
頑馬の全身を、光が覆い隠した。
それはほとんど一瞬の出来事だが、頑馬はその〝変化〟をはっきりと体感していた。
周囲のぬめり気を帯びた空気が、身体に、皮膚にまとわりつく感覚。抵抗感を覚える間もなく、それは肌を上塗りし上書きしていく――書き換えられる。空気も、身体も、何もかも。
大気に満ちた〝守気〟が、光が頑馬の新たな身体をかたちづくる。『美少女体』が構成される。
それとほぼ前後するように、取り出したカードに刻まれた〝イメージ〟を元にして大気に存在する〝
素肌の右腕が出来上がったそばから、灰色に空色を添えた袖がそれを覆っていく。
脚が生え変わるのに合わせてショートパンツが現れ、無防備なつま先を隠すように花開くように、ブーツの形状が完成する。
そして次の瞬間には、赤黒い空間に清涼な風を呼び込むように――ペンギンルックの銀髪少女の姿があった。
「っ――」
体感で、一呼吸の瞬間。息を吸って、吐き出した時にはもう、別の身体に変わっていた。
……違和感は、ない。目を閉じていれば、己の身体を目視しなければ、外見が変化した実感はほとんどなかった。あったはずのものがなくなったことも、実はそこまでの違和感ではなかった。胸のふくらみもそうだ。まるで最初からそうであったかのように――〝変身〟は滞りなく、『美少女体』にはっきりとした血の流れを、神経の繋がりを感じ取れた。
知らず閉じていた目を開くと、これにはさすがにわずかな違和感を覚える。目線が、背丈が数センチほど低くなっているためだ。それに、右目を覆い隠すように前髪が部分的に長くなっている。慣れないためややうっとうしいが、視界に困るほどではない。
ただ――
(大きいな……)
身長が縮んだせいか、見上げる先に浮遊する『人蟲』がより遠くに、より高くに感じられる。
そして、その存在感――
ドクン、ドクンと……それは周囲の〝根〟から聞こえるものなのか、自分の内側から、耳元から響いているものなのか。心臓が鼓動する、全身に血液が巡る。痛いくらいに、生きていることを実感する。
生きていることを、〝死〟を間近に感じている。
(……〝殺意〟なのか……?)
実継が言っていた。彼女のなかには人を殺せるだけのエネルギーがある、と。
それがあの『人蟲』なのか? あれが、その殺意そのものなのか?
だからこんなにも――脈拍が早くなるのか。
気が遠くなるような――景色が遠く、広くなっていくような――
「あ……? なん……、」
頑馬は一歩も動いていない。にもかかわらず、あの樹状の『乙女心』も、その上に浮かんでいる『人蟲』も、なぜか頑馬から遠ざかっている――そのように感じる。歩くような速さで、景色が流れているのだ。
まるで頑馬が後ずさっているように――動いていないのに、景色の方から離れていくのである。
――〝中心〟がズレれば、世界もズレる。
(まさか、動いてるのか……!? 俺が〝こっち〟にいるあいだに、現実の方で――あの子が移動してるから……!?)
実継の言葉の意味を悟った。
ここは、頑馬の知る『狭間』とは違うのだ。広大であるように見えて、その実、あくまで一定の範囲しか存在していない。これはあの少女の見ている景色――あの少女のつくりだした世界。
世界の視点主が移動すれば、そのぶんだけこの『狭間・アンダーグラウンド』もまた変化する――
(スクロールするタイプのやつ……!)
前に進み、追いつかなければ、この『狭間』から追い出される――放り出される。
(どこに出るか分からねぇ……て、おい、これマジか!?)
頑馬の知る『狭間』には、謎が多い。それは先の実継との会話を経てより深まった。
この『狭間』には、現実の時間を超越する何かが、その可能性がある――
どこに出るか分からないとはつまり――本当に、どうなるか分からないということ。
もしも放り出されてしまえば、そこは現実か、それとも『狭間』か、あるいは現在、それとも未来か。次元だけでなく時間すらも、その保証がない。
「あンの野郎……! じゃあどうすればいいってんだよ……!?」
直感的に分かるのは、目の前の――だんだんと遠くなる『乙女心』と『人蟲』、そのいずれかに対処すればいい、ということ。
しかし、
「っ……!?」
とっさに両手で顔を庇う。再び〝翅片〟が襲ってきた。見えない壁がそれらを防ぐが、その〝壁〟の崩れる速度が先ほどよりもやや早まった気がした。ちびのじゃも、万全ではない。この〝壁〟には回数制限がある。
(なんとか、前へ……!)
踏み出した足が、何かにとられる――絡みつく。
地面の〝根〟が隆起し、頑馬の足首を拘束したのだ。
その間も景色は流れていく――頑馬を伴ったまま。
美少女戦士 -The try_underground- 人生 @hitoiki
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