第25話 登校4 - 『狭間・アンダーグラウンド』




 それは、世界の全てを恐れているかのようにびくびくと、おどおどしている女の子――常に周囲に神経をとがらせて、誰の邪魔にもならないよう、誰の目にも障らないよう、いっそ脅迫的なまでに気を配っている。


 そのさまはまるで、自分以外の人間を敵視しているかのようにも見えた。


「分かったか。あの『蟲』がなんなのか――あの禍々しさの正体は、あの女の抱える殺意だ。あいつには、人を殺せるだけの行動力がある」


 そうか――昨日見た『人蟲』と同じだ。胸のうちをざわつかせる、この嫌な雰囲気――


「そんなエネルギーを秘めているのに、何もしない――いや、〝人を殺せる力〟と化していることがもう、あの女が〝悪〟だという何よりの証明だ」


「……でも、それは――『蟲』のせい、なんじゃないのか?」


 頑馬がんまは彼女について、何も知らない。本当のところは分からない。

 はっきりとそこにあり、目につくのは、醜悪な異物の存在。だから、そこに原因があるのではないかと、縋るように思った。


「『蟲』はただの〝運び屋〟にすぎん。あいつらには悪意もなければ、そもそも意思など持たない。〝そういうモノ〟でしかない。ただ右から左へ……ヒトが抱えるには過剰な、感情の持つエネルギーを回収しているだけだ。ヒトにとり憑き、その心からエネルギーを吸い上げる。そして吸い取った感情の質に応じて、見た目が変わる――ああいう風に」


 ぬらぬらと光る、錆色の『蟲』――見ているだけで怖気の走るような、不快感を催す存在。


「これが〝善人〟なら――正しい心を持つ強者であれば、そのエネルギーは多少濁ってはいても、あれほどまでに醜悪にはならないだろう。我慢はしても、迎合はしない。恨みはしても、殺したいとは考えないからだ。……なのに、だ。あの女は、自分では何もしようとしないクセに、変えようとしないクセに、まるで〝この世界が悪い〟とばかりに不満を募らせている」


 排除すべき、犠牲になるべき〝悪〟とは、ああいう人間だと竿留さおとめ実継みつぐは言う。


「あれは、タチの悪い爆弾だ」


 実継の言葉を信じるなら――


(あの子はいつか、何かのきっかけで爆発して……)


 いつか、大きな災いをもたらすのではないか。


 昨日、薫子たちから聞いた『蟲』の『巣』の話にも似た――


「『蟲』どもに、『巣』があるという話は聞いているか」


「え? ……ああ、まあ……」


 まるで頑馬の心を読んでいたようなタイミングだった。


「見せてやろう、この女の本性を」


 そう言って、実継は少女に向かって歩みを進めた。そしてあろうことか、声をかける。街一番のイケメンに話しかけられ、少女は驚きを隠せないといった反応だ。愛想笑いを浮かべていて――もしかすると、今日この場に彼女を呼び出したのは実継なのかもしれない。待ち合わせていたのか。少女はまるで、待ち人が訪れたことに安心しているかのように見えた。


 実継がこちらを振り返る。ポケットに入れていた片手を出すと、その手のなかにはボールペンくらいの大きさの鍵のようなものが握られていた。それを――


「な……!?」


 少女の胸に、突き刺した。


「〝皇帝特鍵こうていとっけん乙女開孔おとめかいこう〟――『狭間・アンダーグラウンド』展開……!」


 直後、世界から音が消えた。




 ドクン――ドクン――


 心臓の脈動が、そこらじゅうから鳴り響く。


 まるで体内に、心臓のなかにでも迷い込んでしまったかのような――


「な……、」


 気が付くと、頑馬は異様な場所に立っていた。


 一面が赤と黒、それらが入り混じったような色に覆われた、薄暗い世界――しかしよく見ればそこは、ついさっきまで頑馬たちのいた、人々が行き交っていた街のなかだと分かる。にもかかわらず、決定的に何かが異なっている。


 空は赤く、黄昏時のように暗い。地面にはまるで血管のような、生物的な何かが飛び散っている――這い回っている、というべきか。植物の根のようにも、生肉でつくられた触手のようにも見える。


 そして――頑馬の視線の先、つい一瞬前には実継と少女の立っていたその場所に、


「……んだ、これ……?」


「これが、『巣』だ」


 いつの間にか少し離れた場所に立っていた実継が促すのは、〝樹木〟を思わせる――何か。


 それは、街路樹のように見えるかもしれない。樹皮を赤黒く染め、血液の滴る臓物で彩った――あるいは、磔にされた罪人だろうか。


 植物のようでもあるし、生物のようでもある。その二つを織り交ぜたような、不気味な構造体。

 正面には、人間の顔が――ヒトの、少女の上半身のような彫刻が――違う、あれは生きた人間だ。人間の身体が〝樹〟の表面にこぶのように浮かびあがり、枝のように両手を水平に伸ばしている。さながら十字架に磔にされているかの如く。風に枝葉をそよがせるかのように、微かに身動きしている。


 その周囲には、小さな『蟲』のようなものが飛び交っていた。

 枝葉と、そこに実った果実のようなものは――ぜんぶ、『蟲』なのか。小刻みに蠕動した、『蟲』の翅だ。


「この空間は『狭間・アンダーグラウンド』……ヒトと世界とのあいだにある、いわば個人の精神世界のような『狭間』だ」


「アングラ――」


 聞いたことがある。そうだ、初めてクロウに会った日に、彼が口にしていた――


「お前がついさっき目にした、あの醜悪な『蟲』はまだほんの上澄み、〝表層オモテ〟に浮かんだ一部分でしかない。これが本性、これがあの女の――『乙女心オトメンタル』だ」


「おと……、」


 絶句した。


 では、あの〝樹〟から生えているのが、そうなのか。俯くような格好で、前髪が表情を隠していて、その顔は窺えないが――


「この女は『蟲』に〝寄生〟され、巣食われている――あの『蟲』はこの女に惹かれてとり憑いてるんじゃない、


「――――」


 ――『蟲』はね、その回収したストレスを自分たちの『巣』に集める。


 薫子かおるこの言葉が脳裏をよぎる。


『――それはやがて肥大化、そのうち限界を迎えて爆発し――大きな災厄となる。それはたとえば原因不明の事故であったり――』


 ――動機のはっきりしない事件であったりする――


「『蟲』の『巣』は……人間……?」


 ヒトが『巣』であるというのなら――なるほどそれが暴発すれば、引き起こされるのはヒトによる災いだ。


 腑に落ちた瞬間、戦慄が走った。


「いちおう言っておくがな、こうなったのは『蟲』のせいだけじゃない。先に説明したように、原因はこの女にある。この女の抱く悪意が『蟲』を引き寄せたのがはじまり――それによって、『。そして『蟲』は女に〝寄生〟し――」


 その『乙女心』に根付き、タマゴを植え付けて――『巣』へと変貌させた。


「醜悪だろう。この見た目が全てを物語っている――こいつから生まれた『蟲』は、その悪意を他の人間にも伝播させる。〝フェロモン〟って言葉があるだろう。そういった感じに、こいつはいるだけで、周囲の人間に悪影響を及ぼす」


 淡々と、実継は口にする。


「この女の場合は、そうだな……他人の言いなりになることを〝良し〟として、それを正常マトモな状態だと受け入れているこの女は、周りの人間をより増長させるだろう」


 ――いじめの理由としてよく聞く言葉に、「見ているとイライラするから」というものがある。


「こいつになら、何をしてもいい――誰もが、そう思う。こいつ自身がそう仕向けているといってもいい。こいつにとって、誰かの言いなりになることが悦びと化してるんだ。感覚が麻痺してるんだよ、もう。中毒ともいえるな。この女は堕落しきり、現状を変えようという意思はかけらもない――そのくせ、不満だけは抱いている。これを我が侭と言わず、なんと言う?」


 それでも〝いじめられてる〟と思うか? ――と。


「…………」


 何も、言えなかった。

 何も考えられない。


 じめじめと、ぬめり気のある不快な空気が肌にまとわりつくようだった。息を吸うと、むせかえりそうになる。自然と呼吸が苦しくなってきた。


「こういう〝悪〟が、世のなかには無数にいるんだよ。……初見ではキツいか、グロいもんな」


「たすけよう、とは……――」


「あ?」


 なんとか絞り出した言葉に、実継は呆れたように、


「この女にとって、これが〝救い〟なんだよ。『蟲』に巣食われることが〝幸せ〟なんだ」


「……こうなる、まえに……」


「夢を見るなよ。魔法少女も美少女戦士も、万能神さまじゃない。全てを救える訳がないだろう。助けられる人間には限りがある。手の届く範囲が全てだ。……それに、いるんだよ。世のなかにはこういう、どうしようもない、救いようのないクズが、ごまんとな」


「……あんた、知り合いなんだろ」


「あぁ、そういうことか。俺さまが、もっとこいつを気にかけてやれば、と? そうすればどうなると思う、それこそ〝いじめ〟が起こりかねん」


 ……確かに、周りの女子たちも、自分たちより〝下〟に見ていた相手が、街一番のイケメンと親しくしていたら、良い気はしないだろう。


「それともなんだ、さっきみたいに『蟲』でも使って、いじめる側の方に釘を刺せばいいと? 俺さまが支配していれば、こんなことにはならなかったと?」


「っ……」


 それでは、なんの解決にもならない。その場しのぎ、一時しのぎでしかない。心変わりはいっとき――心の根っこの部分から変えるには、『守り神』の力を完全掌握する必要がある、と――


「そもそも、こいつには救う価値がないんだ。助けたところで、かたちは変わるが同じようにやがて巣食われるだろう。それが弱者の本性だ。……他人の助けを糧としない、甘えて貪り、堕落する――最悪なことに、差し伸べられた手を掴んだまま、恩を仇で返すように他人を道連れにするタイプだよ、この女は」


「…………」


「けどな、こんなクズにも使い道がある。一つは、排除すべき〝悪〟の手本サンプルとして、お前に提示できることだ」


 排除すべき、〝悪〟――世界をより良くするために、必要な過程犠牲――


「そして、もう一つ――……お前には〝強者〟になりうる〝資質〟がある。だが、心が強くとも、力を持っていても、それを扱える能力がなければ――」


 不穏な気配を感じ、頑馬はハッと我に返る。


「〝変身〟しろよ、芽能めのう頑馬。――さもなきゃお前も喰われるぞ」



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