そこはさながら、影が作り出す海だった。


「な……っ!?」


 緊急用にロゼとキルケーによって設置されていた『裏道』を利用して迎賓棟へ向かったヨルは、そこに広がっていた光景に言葉を失う。


「これは……っ!?」


 迎賓棟の前庭にあたる場所であるはずなのに、迎賓棟の影が見えなかった。


 それどころか、見知った景色がどこにもない。


 周囲を満たす夜闇とは一線画す闇。物理的な質量を帯びた影と、それとは存在を異にする異質な『闇』がぶつかりあう端から、青白い燐光が弾けるように散っていく。


「あははっ!」


 その中心で、少女が笑っていた。


 己の背丈よりも長大な漆黒の大鎌を舞うように振るい、青白い燐光を従えながら。


「あはっ、あははっ!! 楽しいっ!! 楽しいわ、『』!」


 ヒラヒラと、クルクルと、その動きを彩るかのように少女がまとう極東の装束が翻る。その軌跡に燐光が舞う様は、蝶が鱗粉を散らしながら羽ばたいているかのように可憐だ。


 だというのに、そんな少女から放たれる斬撃は、どれも苛烈の一言に尽きる。


「こんなに楽しくなったのは、三十年前にラグニルとり合った時以来かもしれない! あははははっ!!」

「っ……!」


 少女から繰り出される斬撃を、本性に立ち戻ったリーヒは影を繰り出すことで防ぐ。だが少女に叩き付けられる影は、どれも大鎌の一薙ぎで斬り捨てられ、次の瞬間には黒霧に姿を変えていた。やがてその黒霧も青白い燐光に姿を変えて散っていく。


 ──隊長の攻撃が一切効いていない……っ!?


 その様に歯を食いしばったリーヒは、次々と影を召喚しては少女にけしかける。だが少女は己の体を軸に大鎌を回転させると、変わることなく優雅でありながら峻烈な斬撃で片っ端からリーヒの影を無に帰していった。


 そう、少女の鎌によって斬り捨てられた存在は、全てが無に帰していく。


 ──こんなの……!


 打つ手がない。


詠人不知ナーメンローゼ』について初めて口にした時、リーヒは彼女が『死神』と呼称されている理由について『文字通り神に類する存在なのか、その力の性質が死神じみた「何か」であるのかは、現状分かっていない』と言っていた。


 だがこの局面に来て、ヨルはようやく彼女が『死神』と呼ばれている理由を覚る。


 ──こんなの……


『死神』と呼称する以外に、どんな呼び方があると言うのだろうか。


 周囲の全てを始原の混沌へ帰し、全ての存在を文字通りに終わらせながら、少女はどこまでも無邪気に、楽しそうに笑っていた。


 この強大な力を遺憾無く振るえる現状が、楽しくて楽しくて仕方がない。その内心が、少女の無垢な笑い声にはあふれ返っている。


 そんな少女の様子にリーヒが低く舌打ちをしたのが、距離が開いていても分かった。


「バケモノが……!」

「あら、まだまだ貴方あなたも余力を残しているのではなくて?」


 リーヒの悪態に少女は笑みを深めると、不意に膝を深くたわめた。カンッと鋭い踏み込みの音が響いたと思った瞬間、リーヒと少女の間にあったはずの間合いは消えている。


「さぁ、もっとやれるでしょう? 『』。ラグニルはもっとやれたわ。貴方はラグニルよりも序列が高いのでしょう?」

「っ!!」


 ゼロ距離から繰り出される容赦のない斬撃を、リーヒは全て体捌きだけで避ける。だがその動きはわずかにだが少女についていけていない。大鎌を振るっているとは思えない軌道と素早さに、リーヒの髪の先や軍服の裾がわずかに切り裂かれては燐光に溶けて消えていく。


 その様には目もくれず、無邪気に笑った少女は真っ直ぐにリーヒの真紅の瞳だけを見据えていた。


 蒼く染まったその瞳に、狂ったように白銀の燐光が舞う。


「もっともっとり合いましょう!」


 ──ひたすら避け続けるしかない。だけどそれにだって限界がある。


 少女が操る大鎌は、触れたモノ全てを無に帰す、まさに『死神の大鎌』そのものの能力を備えているらしい。ならばリーヒが使役する影はおろか、サーベルで打ち合うことも難しいだろう。


 そもそも少女は軽々と大鎌を振り回しているが、どう考えてもあの武器は重い。それは生み出される斬撃が地面をえぐる強さや、風切り音の重さで分かる。単純に物理のみで考えても、あの大鎌とサーベルで打ち合えば一撃でサーベルが折れるのは明らかだ。


 ──考えろ。


 目の前には絶望しかない。だが考えることをやめれば、そこで本当に全てが終わってしまう。


 心臓が止まるその瞬間まで。いや、その先までも、弱者である自分は考えることをやめるわけにはいかない。


 ──この状況を覆す方法を……!


「お嬢!」


 ヨルは目の前の光景から目をらすことなく思考を回し続ける。


 そんなヨルの耳を、外野にいる存在の声が叩いた。


「お嬢! こっちはカタがついた! それ以上はもうやめろっ!!」


 ハッと視線を投げれば、二人を挟んだ向こう側からラグニルが声を張り上げていた。その後ろには地に倒れ伏した狼姿のヴォルフと、そんなヴォルフに埋もれるように倒れ込んだロゼの姿が見える。


 ──ロゼさんっ!? ヴォルフさんっ!?


 ヨル達がエルランテ側の実働班を大教会におびき寄せている間に迎賓棟に忍び込み、エルランテ側が隠し持っているであろう『クラルハイト・ハルスケッテ』を奪取するのが二人の役目だった。恐らく潜入中に留守番をしていた手勢に見つかり、迎撃されたのだろう。


 ──ラグニル・バスクリットは四大公爵ヘアツォークの一角。隊長と同格の存在に真正面からぶつかれば、二人では対処が難しい。


 この状況では撤退することも難しかったのだろう。ピクリとも動かない二人の姿に、ヨルの背筋にはヒヤリと嫌な予感が走る。


 だがそれ以上に、状況に似つかわしくないほどの焦りを見せるラグニルへの違和感がヨルの意識を引いた。


「『小回りは効かせる』って言ってただろっ!? これ以上は……っ!!」

「姫様っ!!」


 さらに続くように、今度は女の悲鳴が響く。声の方へ視線を巡らせれば、ラグニルとは離れた位置からミヤが声を上げていた。


「姫様っ、おやめくださいっ!! これ以上はなりませんっ!! 姫様っ!!」


 ──どうして、そこまで焦るんだ?


 リーヒと少女の交戦は明らかに少女が押している。何の手立ても講じられなければ、リーヒが負けるのは時間の問題だ。


 エルランテ側が少女を止めなければならない理由はない。だというのにラグニルもミヤも、血相を変えて少女を止めにかかっている。


 ──この状況を続けると、向こうに何の問題が起きる?


 その疑問とともに、ヨルは改めて戦場を見渡した。


 少女が操る大鎌には相変わらず澱みは見えず、リーヒは変わることなく防戦を強いられている。周囲は少女が展開する力で混沌の海と化しているが、エルランテの面々はその闇に自分達が呑まれかけていることさえ構わずに少女を止めようと必死になっていた。


「嬢さんっ!! これ以上は嬢さんの体がたねぇってっ!!」

「ダメです、声が届きません……っ!!」

戦闘狂バーサーカースイッチ入っちまったのかっ!? 久々に本気で鎌振ってるからってハメ外しすぎだって!」


 ──体が保たない?


 レオが張り上げた声に、ヨルは思わずハッと息を呑んだ。


 同時に苦しげに顔をしかめたミヤがバッと手元に呪符を広げる。ミヤの周囲に少女が巻き散らす燐光と同じ光が舞った瞬間、ミヤの傍らに控えたサノが飛び出すタイミングを計るかのように重心を低く移動させた。


「宮様」

「これ以上は姫様の器が耐えきれぬ。強引にでも止めるしかあるまい」


『体が保たない』『器が耐えきれぬ』


 その言葉に、ヨルは思わず少女を注視した。


 同時に、少女がヨルを茶会に招いた時、彼女が口にした言葉が脳裏によみがえる。


【『砂金』がね、欲しいんですの】


 彼女は、確かにそう言った。


 ──なぜ彼女は、『蛇けの砂金』を欲した?


 ヨル・ネーデルハウトでもなく。イライザ特殊部隊隊長付き副官でもなく。さらに言えばエゼリア皇帝の血を引く庶子でもなく。


 彼女が価値を覚え、欲したのは、『蛇除けの砂金』だ。それがたまたまヨル・ネーデルハウトで、イライザ特殊部隊隊長付き副官であったというだけに過ぎない。


 ──なぜ?


 エゼリア皇帝家に降りかかる『蛇の呪い』を、エゼリア皇帝家に正式に属する人間に代わって受け止めさせるための人身御供。呪いを代替わりさせるための消耗品として産み落とされる、皇帝の血を引く贄。それが『蛇除けの砂金』だ。


 確かにエゼリア皇帝家が存続するためには『蛇避けの砂金』の存在が必須になる。『砂金』が消えればエゼリア皇帝家は呪いに蝕まれてやがては滅びるだろう。


 だが逆に言えば、それだけの存在でしかない。


『砂金』はいわばただのカタシロ、……生きている呪い避けの呪具だ。ヨルは受けた呪いを『蛇眼』という形で攻撃に転化することができるが、それだって『砂金』だからできるというものではなく、リーヒと交わした『契約』の副産物に過ぎない。


『死神』とまで称される少女が欲するような能力を、『砂金』が持ち合わせているとは思えない。


 だがそれでも今、現にこうして少女はとんでもないことを巻き起こしてまで『砂金』を手中に収めようと躍起になっている。


 ──『砂金』の実態を正しく知った上で、『砂金』を求めたならば。


 器。体。『蛇除けの砂金』。


 強大な魔力を持つ存在モノは、その力を身に収めておくために、保持する魔力の強さに耐えうるだけの肉体を持つ。むしろ順序は逆で、器が強く、強大であるからこそ、そこにより多くの力を蓄え、より大きな能力を振るうことができると言った方が正しい。


 ヒトもヒトならざるモノも、それは同じだとヨルは教えられた。アッシュが振るう『神の奇跡』も、ロゼが操る『魔女術ウィッチクラフト』も、リーヒの魔力も、器と力の理屈は皆同じだという。


 ならば『死神』と呼ばれている少女にも、この理屈は通じるはずだ。


 ──『蛇除けの砂金』を器として見た時の特徴は、呪詛を受け止め、溜め込んで外に出さないこと。強度はともかく、その特異性はずば抜けている。


『器が耐えきれぬ』ことが理由で、『体が保たない』というならば。その状況を解消するために、彼女が『蛇除けの砂金』を求めたならば。


 彼女が『保有する能力に対し、何らかの理由で極端に器が弱くなっている状況』であるならば。


「隊長っ!」


 ヨルは己の直感に従って声を張り上げた。


 確証はない。だがどのみち何もできなければ、自分達はここで滅ぼされる。


「魔眼をっ!!」

「……っ!!」


 ヨルの声に、リーヒの真紅の瞳に怪しげな光が舞う。同時にリーヒは少女との間に影を繰り出すと、あえて自ら間合いを詰めた。


 影は間髪をれずに少女の大鎌に斬り捨てられる。


 だが次の瞬間、少女の予想よりも間合いを詰めていたリーヒは、至近距離から少女の瞳を覗き込んでいた。より一層深みを増した真紅の瞳が、少女の意識を揺さぶりかける。


 だがそんなリーヒに対し、少女は無邪気な笑みを深めただけだった。


「あはっ! 効きませんわよ?」


 少女は指先だけの動きでクルリと大鎌を回すと、刃先を後ろからリーヒの首筋に添える。


 殺意の塊とも言える刃が己の首を狙っていると分かっているのか、リーヒは少女から視線を逸らさないまま目をすがめた。上質なルビーのように深みを増した真紅の瞳は、己に纏わりつく殺意など気にすることなく少女の瞳を覗き込んでいる。


「それでは、ごきげんよ……」


 その瞳に、不意に笑みがにじんだ。


 同時にパチンッとリーヒの指が鳴らされる。


 その瞬間、ヨルの目には、少女の輪郭がわずかにブレて揺らぐ様が確かに見えた。


「え」


 ほうけたような声とともに、少女の唇からはコポリと鮮血がこぼれる。同時に、ヨルが捕らえた揺らぎは少女の大鎌を揺らし、あばたきをした瞬間に鎌は青白い燐光となって弾けて消えた。


「ケホッ、? ……コッ、……コフッ」


 その状況に『何が起きているのか分からない』という顔をした少女は、無防備な表情のまま軽く咳き込み続ける。


 だが音はあくまで軽くとも、少女が口元に添えた手からはバタバタと血がこぼれ落ちていた。


 ──確かに能力的に考えて、本来ならば隊長の魔眼は『詠人不知ナーメンローゼ』には効かない。


 少女の能力は、恐らくありとあらゆるモノを殺す。その能力を用いてありとあらゆる攻撃を無効化できる彼女は、リーヒの魔眼による支配を受け付けない。


 だが支配はできずとも、ただでさえ限界な器に外から新たな負荷をかけることで、彼女の器の崩壊を早めることはできる。


「お嬢っ!!」


 状況を呑み込むのは、少女当人よりもラグニルの方が早かった。ラグニルの切羽詰まった叫び声に触発されたかのように、他の面々も少女へ駆け寄るべく動き始める。


「キルケーさんっ!!」


 そんな面々よりも一瞬早く、ヨルは動き出していた。


 キルケーに呼びかけながら前へ踏み出せば、『裏道』に待機していたキルケーの手により、ヨルは少女とリーヒの間に転送される。


「確かに、直接話をする当人としては、お前達二人が妥当か」


 ヨルが右手で少女を、左手でリーヒの腕を取ると、ヨルの意図を察したリーヒは不敵な笑みを浮かべた。


 そんなリーヒの視線は、キルケーによって異界に撤退させられる直前にラグニルへ向けられる。


「首謀者同士のトップ会談だ。邪魔をするなよ、小僧」


 同時に、リーヒが足元から影を巻き上げ、壁を生み出す。


 キルケーとロゼによってあらかじめへ繋げられていた通路へ一行が撤退する直前、ヨルは自身に向けられる刃の切っ先を見たような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【web版】真紅公爵の怠惰な暗躍 ~妖精や魔術師対策よりもスイーツが大事~(旧題:Grenzenlos-エゼリア帝国特殊部隊-) 安崎依代 @Iyo_Anzaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ