第五幕 彼が願うものーⅩ

 確かな足取りで部屋の中央へと進み出ながら、続けてトータは語る。

「優先すべきはハナダに関する願いだ。こちらに都合がいいよう事を運ぶためには、店主でいることが必須条件だからね。それが叶えば、次は僕の願いを叶えるために、この店の後継者になり得る客を探す。ハナダと僕の両方が、当たり前の人生を取り戻すその時まで、僕はこの店で、誰かの願いを叶え続けるつもりだ」

 トータは立ち尽くすグレッグの横を通り過ぎ、そのまま反対側の壁際まで進むと、一面の引き出しと向き合って足を止めた。

 そして、長く、長く、息を吐く。

 それはここまで語るのに要した時間の長さ故か。それとも、語った内容に対する想いの強さ故か。

 徐にグレッグを振り返ったトータは、胸のつかえが取れたかのような、すっきりとした顔をしていた。

「さて、話はこれで終わりだ。いい記事は書けそうかな」

 微笑みを浮かべたトータに気軽に尋ねられたグレッグは、悩ましげにちらりと手帳に目をやって、しばし熟考する。

 それから、ゆっくりと首を横に振った。

「やめておこう」

 トータはさして驚いた風でもなく、軽く首を傾げて瞬きする。

「そのためだけに、わざわざこんなところまで訪ねてきたのに?」

「全くもって、そのとおりだな。俺も馬鹿だと思う。だけど、気が変わってしまってね」

 グレッグは大仰に肩をすくめながら、自嘲気味に笑った。

「記事にしてはいけない気がするんだ。この店のことは、面白おかしく書き散らすべきじゃないと、今はそう思うんだよ」

 グレッグは手帳と万年筆を懐に収めると、名残惜しそうに地下室の中をぐるりと見回してから、改めてトータに向き直る。

「俺はこれでお暇するよ。貴重な話をありがとう、トータ『さん』。君の願いが遠くない未来に叶うことを、俺も心の中で願っていよう」

 グレッグは帽子を脱いで胸に当て、深々と丁寧に一礼した。トータも同じように、ぺこりと頭を下げる。

「そう。こちらこそ、話を聞いてくれてありがとう、グレッグさん。またのご利用を」

 トータは微笑み、そう締めくくった。

 地上への階段に足を向けながら、グレッグはトータを見て苦笑する。

「遠慮しておくよ」




 事務所へと戻ったトータが、ハナダとともにグレッグを店の外で見送った頃には、すでに夜は更けていた。

 客が去り、玄関に「閉店」の札を下げた事務所の中に、ココアの甘い香りが漂う。

「随分長く話していたのね」

 温かいカップをトータに持たせてやりながら、ハナダが穏やかに言う。ゆらりと上がる白い湯気を眺め、トータは「まあね」と答えた。

「正式な客ではないのだから、追い返してもよかったのだけど。噂や憶測で面白半分の記事を書かれて、冷やかしの客が増えでもしたら堪らないからね。それに――僕にとっても、いい機会だった」

 後半は小さな独り言で、ハナダはわずかに怪訝そうな面持ちを浮かべたが、トータはそれ以上を語ろうとはしない。ココアの温もりが、地下室ですっかり冷え切ったトータの小さな手を優しく温める。

 この店の、まるで外とは世界が異なっているかのような緩やかな空気と、ハナダと過ごす平穏な時間に浸っていると、トータは時折、忘れてしまいそうになる。叶えなければならない願いのことを。

 グレッグという第三者に話をすることで、ともすれば緩みそうになる気持ちを引き締め直したい。そんな意識がトータのどこかにあって、だから、あんな交換を持ちかけてしまったのかもしれないと、トータは今更ながらに思った。

「もう少し、待っていてくれ。必ず叶えるから」

 口の中で、小さく呟いた。キッチンへ向かっていたハナダが足を止め、首を傾げて振り返る。

「何か言った?」

「なんでもないよ」

 ハナダの素朴な眼差しに、トータは柔らかく微笑み、白々しく誤魔化した。

 そこで急に欠伸が出そうになって、慌てて口を引き結んで噛み殺す。しかし、そんなトータの挙動を、目敏いハナダが見逃すはずもない。

「それを飲んだら、すぐに歯を磨いてベッドに入ってね」

「……分かったよ」

 トータは唇を尖らせたが、睡魔に抗うのもそろそろ限界を迎えていたため、抵抗はしなかった。最後の一滴までココアを飲み干して、腰を上げる。

「それにしても、困ったな。下手なものを交換したから、先からどうにも落ち着かない。一体どうしたものだろうね」

 目を擦りながら上階への階段をのろのろと上がりつつ、トータがぼやいた。畳まれた洗濯物を抱えて、トータの後ろに付き添いながらハナダが尋ねる。

「何を交換したのか、訊いてもいい?」

「いいよ。僕はさっき、グレッグさんに店について教える代わりに、彼から《この店の記事を書きたい気持ち》を奪ったんだ。だから僕は今、この店について何か書きたくて仕方がないんだよ」

 指先をうずうずさせ、トータは困りながらも可笑しそうである。ハナダは口元に手をやって何事か思案したかと思うと、こう提案する。

「記事でなくてもいいなら、とにかく何か、紙に書き留めてみたらどうかしら」

 トータはちらりと振り返ってハナダを見つめると、珍しく、楽しそうに目を輝かせた。

「それは、試してみる価値がありそうだね。ええと、使っていない帳面はあったかな」

「書くのはいいけれど、明日にしてね。今日はもう遅いから」

「分かってる、分かってるよ。でも、眠るまでの間に考えるだけなら構わないだろう? そうだな、書き出しは――」

 二人の声は夜の中に静かに消えていく。

 もう、明日が近かった。




 ノックの音。

 聞き知らぬ誰かの「すみません」の声。

 少年は机に紅茶のカップを置き、椅子から立ち上がると、傍らにいる少女に目配せした。

 心得た少女は足早に玄関へ向かうと、店の扉を開け放つ。

 扉の向こうに立っていた訪問者が浮かべる不安と戸惑いの表情に、少年は全てを悟ったように微笑んだ。

 一礼して言う。

「ようこそ、願望交換局へ」




 願望交換局 完

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願望交換局 秋待諷月 @akimachi_f

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