特別区立怪異バスターズ

新巻へもん

プロローグ それは突然に

第1話 眠い授業

 ううっ。眠い。私は必死になって睡魔と戦う。でも、すでに敗色濃厚だった。通常の授業だけでも頭の中がお豆腐になりそうなのに、外部入学生のための特別授業の七時間目。進学校というだけあって授業の進行が速すぎる。私立有明秀明館。本来なら私なんかが入れる学校じゃない。


 ことの起こりは2月の半ばに高熱を発して寝込んでしまったことだ。とろとろと変な夢にうなされて伏せるうちに本命の高校入試が終わる。ごく普通のサラリーマン家庭に育つ私は都立高校への進学を目指していた。学費の補助があるとかで、公立高校と学費はそれほど変わらないらしいのだけど、私立はそれ以外に色んな費用がかかっちゃう。


 それに裕福な家庭の子と一緒になると生活レベルの差がボディブローのように効いて来るそうだ。これは従姉妹のハル姉のセリフ。私と違って眉目秀麗、文武両道なハル姉でも苦労するなら、特に優れたところのない私なんかが入学したら、それこそ浮きまくること間違いない。


 第一志望校の受験ができず、焦る私に私立有明秀明館の募集案内を持って来てくれたのもハル姉だった。補欠募集がまだ間に合うらしい。若干名というのが不安でしかなかったが藁にもすがるつもりで願書を急いで提出する。頼みの綱の都立の後期募集と合わせて私は背水の陣で臨んだ。


 結果は私立有明秀明館のみ合格。最終学歴中卒を回避するために両親を拝み倒した。

「この後、ヒデもいるのに」

 母はぶつくさと言っていたけど、その弟の秀明のとりなしもあってなんとか進学を許される。


 そんなわけで良く内情を知らないままに入学することになった高校に通い始めた。一学年7クラスで、そのうち6クラスは中学からの内部進学生、残りの1クラスが私のいるG組だ。なんか劣ってるようでやだなあと感じたのはほんの一瞬。今ではZ組でもいいと思っている。


 まず、内部進学生は本来高校1年生で学ぶ範囲が中学のうちにほぼ終わっていた。うん、まあ、勝負にならないね。私のクラスにいる子も中学では学年トップクラスだったようなタイプばかり。しかも部活でも都大会にでていたような子がごろごろいる。まったくもって肩身が狭い。


 隣の席になった明美ちゃんはそうでもないけど、クラスメートの私を見る目はあまり暖かくなかった。まあ、授業で当てられるたびに頓珍漢なことを言う私が悪い。明美ちゃんだけは慰めてくれる。

「まあ、でもチズちゃんって堂々と回答するよね。凄いよ」

 褒められると照れちゃうな。 


 てな感じで、ゴールデンウィークを迎える前に早くも私は打ちのめされていた。まあ、校舎は綺麗だし、冷暖房完備で、お手洗いにはウォシュレットもついている。カフェテリアで食べられるランチは安くて美味しいし。お弁当が用意できなかった日には重宝している。施設面ではとても恵まれていた。でも、勉強は遅れ気味で、ほとんど友達もできていない。


 でも、頑張らなくっちゃ。私のせいでお父さんは晩酌が週1回になったんだし。出来の悪い娘で、ごめんよパパ。黒板の上にのたくるアルファベットに意識を集中しようとする。けれども目蓋は増々重くなってきて……。最終手段のシャープペンを使った手の甲プスプス攻撃も失敗して私は意識が遠のいた。


 はっと気づいて目を開ける。えええ、嘘。教室には誰もいないじゃない。まさか寝ている間に7時間目が終わっちゃってて、寝ている私を置いてみんなで帰っちゃったの? 超ヤバイじゃん。教室内は人っ子一人おらず、天井のライトも消えている。窓の外は薄暗くなっていた。


 あれ? そういえば、グラウンドから聞こえていた部活の子たちの声もしない。ちょ、ちょっと一体何時なのよ。黒板の上に置いてある丸い掛け時計を見て驚いた。時計は4時ちょっと前。まだ7時間目の最中でしょ? みんなどこへ行っちゃったの? 英語の五十嵐先生は?


 恐る恐る席を立って、違和感を覚えていた窓辺に寄る。外には濃い霧がただよっていた。1メートル先も見えないほどの灰色の壁。よくのんびりしていると言われる私でも何か変なことが起きていることは理解できた。ちょっと、なにこれ。何か音がしたような気がして後ろを振り返る。


 廊下に出る教室の扉は二つとも閉まっていた。授業中なんだから当たり前だ。私は悪戯だと思うことにする。物凄い霧が出て騒ぎ出したのに一人眠りこける私に気が付いて、全員でこっそり教室の外に出ているんだ。外から私の様子を伺っているに違いない。なんだか腹が立ってきた。


 クラスメートはともかく、先生がそれに乗ったらマズいでしょ。いじめみたいなもんじゃない。思わず声が出た。

「そりゃあさ、授業中に居眠りしたのは悪かったわよ。でも、これってちょっとひどくない。みんなで笑いものにして」


 声は響くことなく教室の空気の中に消えていく。私はスタスタと歩いて後ろの扉に近寄った。こんな悪趣味な悪戯はさっさとやめさせなきゃ。自分の非は棚上げにして、心の中の闘争心に火がつく。扉の向こうにいるはずのクラスメート達に鋭い目線を向ける。舐められてたまるか。


 息を整えて、取っ手に手をかける。横にスライドさせるとスムーズに動いた。中学校の時のガタつくものとは大違い。こういうところも差があるのね。なんてのんきなことも考えつつ、文句を言おうと息を吸い込んだ。あれ? 誰もいない。首を出してみる。教室と同じように電灯の消えた薄ぼんやりとした廊下にはやっぱり誰もいなかった。


 先ほどまでのカラ元気が急激に萎む。ちょっとお、本当に冗談にならないじゃん。教室の電灯はまあ分かる。教室の前の方にスイッチがあるから消すのは簡単だ。でも、廊下のスイッチは私の知る限り見たことがない。多分、職員室かどこかにあるのだと思う。じゃあ、なんで廊下まで電灯が消えてるの?


 廊下に出て左右を見渡す。F組は廊下の一番端にある。反対側の端にあるB組からF組まで教室の扉は開いていた。内部進学生は6時間目までだから授業はやっていない。でも、誰も居ないなんてどういうことだろう? いつもなら7時間目が終わっても他の教室に残って雑談をしている人がいた。


 カタンという音がして飛び上がりそうになる。心臓が飛び出しそうだった。夢なら覚めて欲しい。このガチなホラー展開に嫌な予感しかしない。向こう側の階段室から何かが飛び出す。ん? あれは冷蔵庫? それはくるりと向きを変える。違うアレは普通の冷蔵庫なんかじゃない。うわわ。


 冷蔵庫に見えるソレにはびっしりと毛が生えた手足のようなものが生えていた。パカンと冷蔵庫の上側の扉が開く。普通なら調味料とかを入れる扉の内側の部分に吊り上がった赤い目のようなものが浮かんだ。その横の製造品を入れるはずの空間にはびっしりとギラギラ光る牙が同心円状にうごめく。


 シャカシャカと走り始めたそれを見て私は息を飲んだ。ナニあれ?


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