第3話 急急如律令
スベ様は右手にトの字型の赤い棒のようなものを二本握って立っていた。すぐに両手に構える。正確にはトの字の横棒の部分を持つ感じ。冷蔵庫お化けの真ん中の引き出しが開いて、中から白い物がいくつも飛び出した。スベ様が両腕を動かすとカンコンと音がする。床をすべってきたものを見るとつららのようなものだった。
「今度はこっちからいくぜ」
スベ様は勇躍して突っ込んで行く。踊るかのような足取りで手にした棒を冷蔵庫に叩きつけた。そのたびにガンという音が響き渡る。スベ様は重心を落として右足を大きく踏み込むと両腕を前に突き出した。
凄い。大きな冷蔵庫お化けの体が宙を飛び床に落ちる。スベ様はタンと地面を踏むとジャンプした。いつの間にか逆手に持った棒を横たわるお化けに打ち下ろす。
「
棒を叩きつけながらスベ様が叫ぶと冷蔵庫お化けの体がぐにゃりと曲がり靄のようになる。そしてふっとかき消えた。
大きく息を吸って吐き出すとスベ様は立ち上がる。私は思わず拍手をしてしまった。何か良く分からないけどカッコイイ。スベ様は目を剥いた。
「お前何してるんだ?」
「あ、なんかカッコイイなって感動しちゃて」
二本の棒を片手にまとめて持つと開いた手で頭をガシガシとかく。
「なんか調子狂うな。まあ、いいや。下手に失神されたり、粗相されるよりはいいか。おっと、それよりも電話探さねえと。ついて来い」
スベ様はスタスタと昇降口脇の受付の方に向かう。
慌てて追いかける。スベ様はガラス戸から覗き込んで声をあげた。
「あった。やっぱ事務室の中か」
ぐるりと回って廊下側の扉を開けると中に入って行く。扉を開けて待っていてくれた。
中に入ると部屋の奥の机の上に黒電話が置いてある。近づくとスベ様は棒を握った手を差し出した。意図が分からずにいるとぐっと手が突き出される。
「ほら。早く手を添えろ。置いていかれたくはないだろ」
咄嗟の場合は別として、改めてお手に触れるとなると畏れ多い。
さらにぐっと手が寄せられ、私が顔を見ると早くしろという表情をしていた。恐る恐る手を添える。改めて触れる肌はやはり滑らかだ。そして微かなしっとりとした風合いも感じる。ああ、練り絹の手触りだ。お祖母ちゃんに貰ったスカーフと同じ。なんと心地いいのだろう。さすがスベ様。
私が手を添えるとスベ様は受話器を取り上げ、肩と首の間に挟んだ。なんてことは無い動作だけど様になっている。電話機の円盤の1の穴に指を入れて回した。ジーというような音で円盤が戻る。次は3の穴。先ほどよりちょっと長い時間をかけて円盤が戻る。受話器から呼び出し音が漏れ、プツっという音と共に世界が暗転した。
「…た。太田」
んー。誰? 私のことを呼ぶのは? はっとして目を開ける。教壇から五十嵐先生がしょうがない奴だという顔をして見ていた。あれ? スベ様?
「居眠りじゃなく完全に寝てたな」
教室内から失笑の声が漏れる。私は知らず知らずのうちに頬が熱くなるのを感じた。ああ、やっちゃった。私は慌てて立ち上がる。ガタンと椅子が倒れる音が響き渡った。クスクスという笑い声が聞こえてくる。
「す、すいません」
慌てて椅子を引き起こして五十嵐先生の方を向いた。でも、質問が全く分からない。その様子に先生はふうと息を吐く。
「慣れない高校生活で疲れるのは分からなくもないが……。もう一度聞くぞ」
先生は黒板の英文を指して第何文型か聞いた。
なんだ。訳せと言われると知らない単語が2つもあるから分からない。だけど文型なら5択だ。なんとかなる。文章が長いし、これは第4か第5だな。よし確率2分の1。楽勝じゃん。
「第5文型です」
私は元気一杯答えて着席する。へへん。
「残念だが違う。答えは第3文型だ」
うーん。絞り込みの段階で間違えていたか。難しいなあ。五十嵐先生は文章の下に赤線を引いて説明を始めた。
私はその上の時計を見る。4時ちょっと前だった。
「太田。分かったか?」
「はい。分かりました」
元気よく返事をする。五十嵐先生はやれやれというように首を振りながら次の問題に移った。
先生の声に半分だけ意識を割きながら私は考える。さっきのは一体何だったのだろう? 夢なんだと思うけど、妙に生々しかったなあ。眠ってすぐには夢は見ないと聞くけれど、そんなにガッツリ寝ていたのかしら。うたたねして起こされた時のけだるさはない。
先生の指示に合わせて教科書のページをめくる。机に肘が触れて痛みが走った。ブレザーの上からそっと押してみる。痛い。居眠りするときに体を支えて強く圧迫したのかな。ちらと斜め後ろの床を見る。あのあたりに倒れたんだっけ? まあ、私が倒れたくらいで床が傷つくわけが無いか。
そういえば、あの冷蔵庫みたいなのが扉をぶっ飛ばしたんだ。もう一度首を巡らす。後ろの扉も前の扉も閉まったままで異常はない。
「太田。何をきょろきょろしている。首でも寝違えたか?」
さすがに先生の声にいらだちが混じっていた。
私は首をすくめると真面目な表情を取り繕う。私ったら何を考えているんだろう。先生もクラスメートも居るし、そう言えば窓の外から部活の声が聞こえていた。目だけを動かして窓の外を見ると穏やかな春の日差しが降り注いでいる。やっぱ夢か。まあでもそれほど悪い夢じゃ無かった。眼福眼福。
残りの時間は真面目に授業を受ける。残り時間が短いともなれば集中力は復活するのだ。きちんと理解できたかと問われれば、まあそこそこって感じ。授業終了の鐘が鳴り響いてほっとする。起立、礼を終えるといそいそと帰り支度をした。
「ごめんね。今日は用事があるんだ」
いつもは途中まで一緒に帰っている明美ちゃんが両手を合わせる。鞄を肩にかけるとたたっと後ろの扉に向かって出て行った。うーん、お腹が空いたから乗換駅で何か一緒に食べていこうと思ってたんだけど仕方ない。まあ真っすぐ家に帰って、母に何かおやつをねだろう。お小遣いの節約にもなる。
席を立つと周囲も三々五々と帰り始めていた。ざわっとした空気を感じてそちらを見る。え? そこに夢の中で見た顔があった。スベ様が前扉から教室内を眺めている。誰かの声が聞こえた。
「2年A組の蒲田先輩……」
あれ? スベ様って実在するの? 蒲田って名前なんだ。2年だから先輩なのね。戸惑う私の元に蒲田先輩はやって来る。うわー、やっぱり肌のきめがそろっていてきれいだなあ。精悍なお顔とちょっとミスマッチ。そこがまたいい。あ、でもリアルでこの距離はちょっと……。蒲田先輩は有無を言わさぬ声を出した。
「ちょっと付き合ってくれないか?」
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