第2話 名付けてスベ様

 ああ。なんだ夢か。いやあ、授業が大変でこんなおかしな夢まで見るなんて。そういえば受験前に高熱を出した時もなんか変な夢を見たような。私ってば相当ストレス溜まってるんだな。高校入学以来緊張しっぱなしだし、今日は家に帰ったら少しは息抜きしよう。平安京を舞台にイケメン陰陽師や武士が活躍するスマホゲー『一条戻橋の君』を久しぶりに触っちゃおうかなあ。


「ぼけっとするな」

 何かに突き飛ばされてF組の教室の床にずざっと倒れ込む。痛いと思う間もなく、ドンという音が響いた。なんで夢の中なのに痛いの? それにこの衝突音は何? 頭が混乱した。


 教室に何かが入ってくる。え? なにこのイケメン。眩しすぎて直視できない。精悍なご尊顔もさることながら肌が本当にキレイ。透き通るような透明感のあるお肌。ちょっと難しい言葉で言うと白皙ってやつ? そんなお肌スベスベ様が片眉をあげると呆れた声を出した。よしスベ様と名付けよう。


 スベ様はブレザーを着ていることから、この学校の生徒で間違いあるまい。ただ、髪の毛を派手なオレンジ色に染めて、がっちり立ち上げていた。精悍なお顔にマッチしているとは思うけど、高校生の髪型としてはどうなのか? まあ、この学校はその辺は校則あってなきが如しにユルユルだけど。


「おい。聞こえてるか? おっと」

 スベ様は腰を捻ると後ろに右足を蹴る。冷蔵庫のようなものの扉にヒットし、教室に入ってこようとしていたそいつはよろめいた。

「くそっ。よりによって無腰の時に」


 スベ様は私の右手をとって強引に引き起こした。途端に変な顔をする。手が汗ばんでた? そんなに嫌がらなくてもいいと思うんだけど。表情を引き締めるとスベ様は顔を近づける。近い、近い、近い。わあ、睫毛なっが。

「逃げるぞ」

 

 スベ様は私の手を引いて机の間を走り始める。後ろの扉をぶっ飛ばして冷蔵庫お化けが入ってきた。教室の前の扉を開けるとB組の方に向かって走る。こんなカッコイイ男の人と手をつないで逃げるなんて夢みたい。あ、夢か。でも、さっきぶつけた肘が痛いんだよねえ。なんてリアルな。


 どがん。振り返ると今度は前扉が外れて廊下に飛び出した。冷蔵庫お化けが勢いあまって廊下の壁にぶつかっている。

「ああ。くそ。もっと本気で走れ」

 急かされて必死に足を動かした。


 自慢じゃないけど走るのは得意じゃない。特に短距離走は中学の時の順位もビリから数えた方が早かったぐらい。でも、なんか非常事態っぽいし、イケメンと手に手を取り合うシチュなら頑張れる。全力で走っていたら急に横に引っ張られた。

「どこ行くんだよ。そっちは行き止まりだろ」

 す、すいません。


 気が付けば、すぐ近くまで冷蔵庫お化けがやってきていた。あまり長くないがに股の足なのに私より速いのか。

「ああ。もう面倒くせえ」

 スベ様は叫ぶと体を折り曲げ首を脇の下に突っ込んでくる。


 え? えええ。私はスベ様の肩に担ぎ上げられていた。これってユーチューブで見た奥さま運び競争のファイアマンキャリーってやつ? スベ様の手が私の大腿部をささえ、私の胸がスベ様の肩に密着する。きゃー。ちょ、ちょっと。花の乙女には刺激が強すぎる。でも、エストニア・スタイルよりはマシかも。


 私の心中の思いなど知らぬようにスベ様はとっとと階段を駆け下り始めた。

「くっ。ちと重いな」

 スベ様のつぶやきが聞こえる。失礼な。そんなに重くないわよ。あ、そうか、階段降りてるから膝に私の分の重さも乗ってるのか。


 どーんと音がする。3階の踊り場を回る時にチラリと見たら、冷蔵庫お化けはすぐ上の踊り場で壁をひっかきながら向きを変えジャンプした。スベ様は一段飛ばしで駆け下りていく。また背後でどーんという大きな音が響いた。半階分を飛んでるってこと?


 階段での追いかけっこは1階まで続いた。1階にたどり着いたスベ様は左右に目をやる。

「くそ。どっちだ?」

 背後に気配を感じると右に向かって走り始めた。


「な、なにを探してるんで、で、すか?」

 背中で揺さぶられながら質問をする。

「電話だ。黒い電話を探せ」

「穴の開いた円盤のついた?」

「そう、それだっ!」


 令和の時代ですよ。そんなものあるわけ……。昇降口を駆け抜けるときに壁の隅に黒いものが見えた。昭和時代を描いたアニメに出てきた電話に似ている気がする。

「ありました!」

「どこだ?」

「昇降口の……」


 スベ様は急ストップする。その勢いで放り出されそうになったが腿に添えられた腕に力が加わった。スベ様は体を折り曲げて私を廊下におろす。

「ああ。くっそ」

 スベ様は唸り声をあげた。


 廊下を塞ぐようにして冷蔵庫お化けが立ちふさがっている。スベ様は私を覆い隠すようにすっと横に動いた。前を向いたまま低い声でささやいてくる。

「いいかい。お嬢ちゃん、良く聞けよ。俺があいつと戦っている間にスキをみて、昇降口の電話に向かえ。受話器を取り上げたら13を回せ」


「13を回せってどうしたら?」

「円盤に穴が開いていて数字が書いてある。1の穴に指を突っ込んで時計回りに動くとこまで回して指を抜け。勝手に戻るので……、おっと」

 スベ様は体を沈めると長い足を横に払う。


 ずでん。冷蔵庫お化けは横倒しになった。

「行け」

 ぱっと立ち上がったスベ様が私を押し出した。走って昇降口の隅を探す。あった。高揚感と共に駆け寄った私の気持ちはたちまちのうちに萎む。


 黒い電話だと思ったものはただの黒い袋だった。あああ。見間違えたんだ。唇を噛みしめ周囲を見渡す。無駄だった。改めて見回しても電話なんてない。スベ様のところに戻ろうと数歩足を踏み出したところだった。空中を飛んできたスベ様が左肩から床に叩きつけられる。


「ぐうっ」

「大丈夫?」

 駆け寄って声をかける。

「何やってんだ?」

 切羽詰まった声。

 

「ごめんなさい。見間違えだったみたい」

 申し訳なさから声が湿った。スベ様は左肩を右手で押さえながら立ち上がり荒い息を吐く。

「万事休すか。あいつら何やってんだ」


 トタトタとやってきた冷蔵庫お化けからキキキという音が漏れる。

「せめて武器があればな。って無いものねだりをしても仕方ねえか」

 スベ様はうっと声をあげた。私は心配になって後ろから左手を添える。スベ様は素っ頓狂な声をあげた。

「はっ?」


 私の左手を右手でぎゅっと握りしめた。あわわわ。

「なんだ。うおお滾ってくるぜ。でもさっきは……。まあ、いい。とりあえず力を借りるぞ」

 急に嬉しそうな声になる。


 私の熱っぽい左手から何かがすっと流れ出す。背筋がぞくぞくした。不快な感じはしない。むしろ妙な爽快感が体を覆った。おふう。変な声が漏れてしまう。あ、絶対スベ様に変な女と思われた。ハズいったらありゃしない。目をあげるとスベ様は私に背を向け、右手を突き上げ叫んだ。

「五法招来!」

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